韓非子 / 説疑第四十四
燕君子噲,邵公奭之後也,地方數千里,持戟數十萬,不安子女之樂,不聽鐘石之聲,内不堙汙池臺榭,外不罼弋田獵,又親操耒耨以修畎畝。子噲之苦身以憂民如此其甚也,雖古之所謂聖王明君者,其勤身而憂世不甚於此矣。然而子噲身死國亡,奪於子之,而天下笑之。此其何故也?不明乎所以任臣也。
新字:燕君子噲,邵公奭之後也,地方数千里,持戟数十万,不安子女之楽,不聴鐘石之声,内不堙汚池台榭,外不罼弋田猟,又親操耒耨以修畎畝。子噲之苦身以憂民如此其甚也,雖古之所謂聖王明君者,其勤身而憂世不甚於此矣。然而子噲身死国亡,奪於子之,而天下笑之。此其何故也?不明乎所以任臣也。
書き下し
燕の君子噲は、邵公奭の後なり。地は方数千里、戟を持つもの数十万、子女の楽しみに安んぜず、鐘石の声を聴かず、内は汚池台榭を堙めず、外は罼弋田猟せず、又親ら耒耨を操りて以て畎畝を修む。子噲の身を苦しめて以て民を憂ふること此くの如く其れ甚だし、古の所謂聖王明君なる者と雖も、其の身を勤めて世を憂ふること此れより甚だしからず。然り而して子噲身死し国亡び、子之に奪はれて、天下之を笑ふ。此れ其れ何の故ぞや。臣に任ずる所以に明らかならざればなり。
現代語訳
燕の君主子噲は、召公奭(周の建国の功臣)の子孫である。領土は数千里四方、戟を持つ兵は数十万あった。子噲は女色の楽しみに安住せず、鐘や磬の音楽を聴かず、内では池や高殿を造成せず、外では狩りをせず、そのうえ自ら鋤や鍬を手にして田畑を耕した。子噲が身を苦しめて民を憂えることは、これほどまでに甚だしく、昔のいわゆる聖王や明君でさえ、身を勤めて世を憂えることはこれ以上ではなかった。それなのに子噲は身は殺され国は滅び、宰相の子之に国を奪われて、天下の笑いものとなった。これはどういうわけか。臣を任用するすべに明らかでなかったからである。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』説疑第四十四其の臣の意行を知らずして、之に任ずるに国を以てす、故に小なるは之れ名卑しく地削られ、大なるは之れ国亡び身死す、臣を用ふるに明らかならざればなり。
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