韓非子 / 定法第四十三
商君之法曰:『斬一首者爵一級,欲爲官者爲五十石之官;斬二首者爵二級,欲爲官者爲百石之官。』官爵之遷與斬首之功相稱也。
新字:商君之法曰:『斬一首者爵一級,欲為官者為五十石之官;斬二首者爵二級,欲為官者為百石之官。』官爵之遷与斬首之功相称也。
書き下し
商君の法に曰く、『一首を斬る者は爵一級、官と為らんと欲する者は五十石の官と為す。二首を斬る者は爵二級、官と為らんと欲する者は百石の官と為す』と。官爵の遷ること斬首の功と相称ふなり。
現代語訳
商君の法にはこうある。『敵の首を一つ斬った者には爵位を一級与え、官職に就きたい者は五十石の官とする。首を二つ斬った者には爵位を二級与え、官職に就きたい者は百石の官とする。』官職と爵位の昇進が、斬首の功と釣り合うようにしてあるのである。
解説
定法篇で、商鞅の法の不十分さを示すために引かれる軍功爵の規定です。秦では敵の首を一つ斬れば爵一級、官職を望めば五十石の官が与えられ、二つなら爵二級と百石の官が与えられました。功績に応じて確実に報いるこの制度は、秦の兵を勇敢にし、国を強くした原動力として知られます。しかし韓非は、爵位を与えるのはよいとしても、官職まで斬首の数で決めるのはおかしいと続く句で批判します。官職には知恵や能力が必要であり、戦場の勇敢さとは別物だからです。成果に報いる仕組みそのものは正しくても、何に対して何で報いるかを取り違えると、組織を誤らせることを考えさせる一節です。
関連する章句
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『商君書』境内能く城を攻め邑を圍みて斬首八千已上ならば、則ち盈論たり。野戰に斬首二千ならば、則ち盈論たり。吏は自ら操るより校以上・大將に至るまで、盡く行間の吏を賞するなり。故爵の公士は、就きて上造と為る。故爵の上造は、就きて簪褭と為る。故爵の簪褭は、就きて不更と為る。故爵の不更は、就きて大夫と為る。爵吏にして縣尉と為らば、則ち虜を賜わり、六たび五千六百を加う。爵大夫にして國尉と為らば、就きて官大夫と為る。故爵の官大夫は、就きて公大夫と為る。故爵の公大夫は、就きて公乘と為る。故爵の公乘は、就きて五大夫と為り、則ち邑三百家に稅す。故爵の五大夫は、就きて庶長と為る。故爵の庶長は、就きて左更と為る。故爵の三更は、就きて大良造と為る——皆な賜邑三百家有り、賜稅三百家有り。
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史記 商君列伝民をして什伍と為らしめて、相ひ牧司し連坐せしむ。姦を告げざる者は腰斬し、姦を告ぐる者は敵首を斬るに同じく賞し、姦を匿す者は敵に降るに同じく罰す。民に二男以上有りて分異せざる者は、其の賦を倍にす。軍功有る者は、各々率を以て上爵を受く。私斗を為す者は、各々軽重を以て刑の大小を被る。力を本業に僇し、耕織して粟帛を致すこと多き者は其の身を復す。末利を事とし及び怠りて貧しき者は、挙げて以て収孥と為す。宗室も軍功の論有るに非ざれば、属籍を為すを得ず。尊卑爵秩の等級を明らかにし、各々差次を以て田宅を名づく。功有る者は顕栄し、功無き者は富むと雖も芬華する所無し。
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『商君書』境内軍爵は、一級より已下、小夫に至るまで、命じて校徒操士と曰う。公爵は、二級より已上、不更に至るまで、命じて卒と曰う。その戰うや、五人簿を束ねて伍と為す。一人死すれば、而ちその四人を剄る。能く人ごとに一首を得れば、則ち復す。五人に一屯長、百人に一將あり。
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『韓非子』初見秦第一今秦は号令を出だして賞罰を行ひ、功有ると功無きと相事とす。其の父母の懐衽の中より出でて、生まれて未だ嘗て寇を見ざるのみ。戦ひを聞けば、足を頓し徒裼し、白刃を犯し、鑪炭を踏み、死を前に断ずる者皆是れなり。夫れ死を断ずると生を断ずるとは同じからず、而るに民之を為す者は、是れ奮死を貴べばなり。
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『韓非子』定法第四十三勇力の加ふる所を以て智能の官を治むるは、是れ斬首の功を以て医・匠と為すなり。故に曰く、二子の法術に於けるや、皆未だ善を尽くさざるなり。」
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『商君書』境内爵五大夫にして稅邑六百家有る者は、客を受く。大將・御・參は、皆な爵三級を賜わる。故客卿の相論じて盈つれば、就きて正卿たり。戰いを以ての故に、首を暴すこと三たびし、乃ち校すること三日。將軍は疑わざるを以て士大夫の勞爵を致す。夫れ勞爵は、その縣、三日を過ぎて、士大夫の勞爵を致さざる有れば、能あり。[その縣の四尉、]訾は丞尉に由る。能く甲首一を得る者は、爵一級を賞し、田一頃を益し、宅九畝を益す。級ごとに庶子一人を除く。乃ち兵官の吏に入るを得。