韓非子 / 外儲説右上第三十四
已自謂以爲世之賢士而不爲主用,行極賢而不用於君,此非明主之所臣也,亦驥之不可左右矣,是以誅之。」一曰:太公望東封於齊。海上有賢者狂矞,太公望聞之,往請焉,三却馬於門而狂矞不報見也,太公望誅之。當是時也,周公旦在魯,馳往止之,比至,已誅之矣。周公旦曰:「狂矞,天下賢者也,夫子何爲誅之?」太公望曰:「狂矞也議不臣天子,不友諸侯,吾恐其亂法易教也,故以爲首誅。今有馬於此,形容似驥也,然驅之不往,引之不前,雖臧獲不託足於其軫也。」如耳說衛嗣公,衛嗣公說而太息。左右曰:「公何爲不相也?」公曰:「夫馬似鹿者而題之千金,然而有千金之馬而無一金之鹿者,馬爲人用而鹿不爲人用也。今如耳,萬乘之相也,外有大國之意,其心不在衛,雖辨智,亦不爲寡人用,吾是以不相也。」薛公之相魏昭侯也,左右有欒子者曰陽胡、潘其,於王甚重,而不爲薛公。薛公患之,於是乃召與之博,予之人百金;令之昆弟博,俄又益之人二百金。方博有間,謁者言客張季之子在門,公拂然怒,撫兵而授謁者曰:「殺之!吾聞季之不爲文也。」立有間,時季羽在側,曰:「不然。竊聞季爲公甚,顧其人陰未聞耳。」
新字:已自謂以為世之賢士而不為主用,行極賢而不用於君,此非明主之所臣也,亦驥之不可左右矣,是以誅之。」一曰:太公望東封於斉。海上有賢者狂矞,太公望聞之,往請焉,三却馬於門而狂矞不報見也,太公望誅之。当是時也,周公旦在魯,馳往止之,比至,已誅之矣。周公旦曰:「狂矞,天下賢者也,夫子何為誅之?」太公望曰:「狂矞也議不臣天子,不友諸侯,吾恐其乱法易教也,故以為首誅。今有馬於此,形容似驥也,然駆之不往,引之不前,雖臧獲不託足於其軫也。」如耳説衛嗣公,衛嗣公説而太息。左右曰:「公何為不相也?」公曰:「夫馬似鹿者而題之千金,然而有千金之馬而無一金之鹿者,馬為人用而鹿不為人用也。今如耳,万乗之相也,外有大国之意,其心不在衛,雖弁智,亦不為寡人用,吾是以不相也。」薛公之相魏昭侯也,左右有欒子者曰陽胡、潘其,於王甚重,而不為薛公。薛公患之,於是乃召与之博,予之人百金;令之昆弟博,俄又益之人二百金。方博有間,謁者言客張季之子在門,公払然怒,撫兵而授謁者曰:「殺之!吾聞季之不為文也。」立有間,時季羽在側,曰:「不然。窃聞季為公甚,顧其人陰未聞耳。」
書き下し
已に自ら謂ひて以て世の賢士と為して主の用を為さず、行ひ極めて賢にして君に用ひられざる、此れ明主の臣とする所に非ざるなり、亦驥の左右す可からざるなり、是を以て之を誅す」と。一に曰く、太公望東のかた斉に封ぜらる。海上に賢者狂矞有り、太公望之を聞き、往きて焉を請ふ、三たび馬を門に却くれども狂矞報見せざるなり、太公望之を誅す。是の時に当たりてや、周公旦魯に在り、馳せ往きて之を止めんとす、至る比ほひ、已に之を誅せり。周公旦曰く、「狂矞は、天下の賢者なり、夫子何為れぞ之を誅する」と。太公望曰く、「狂矞や天子に臣たらず、諸侯を友とせずと議す、吾其の法を乱し教を易ふるを恐る、故に以て首誅と為す。今此に馬有り、形容驥に似たり、然れども之を駆れども往かず、之を引けども前まざれば、臧獲と雖も足を其の軫に託せざるなり」と。如耳衛の嗣公に説く、衛の嗣公説びて太息す。左右曰く、「公何為れぞ相とせざる」と。公曰く、「夫れ馬の鹿に似たる者は之を千金と題す、然り而して千金の馬有りて一金の鹿無き者は、馬は人の用を為して鹿は人の用を為さざればなり。今如耳は、万乗の相なり、外に大国の意有り、其の心衛に在らず、辨智なりと雖も、亦寡人の用を為さず、吾是を以て相とせざるなり」と。薛公の魏の昭侯に相たるや、左右に欒子なる者有り陽胡・潘其と曰ふ、王に於て甚だ重くして、薛公の為にせず。薛公之を患へ、是に於て乃ち召して之と博し、之に人ごとに百金を予ふ。之が昆弟をして博せしめ、俄かに又之に人ごとに二百金を益す。方に博して間有り、謁者客の張季の子門に在りと言ふ、公拂然として怒り、兵を撫して謁者に授けて曰く、「之を殺せ。吾聞く季の文の為にせざるを」と。立ちて間有り、時に季羽側に在り、曰く、「然らず。竊かに聞く季の公の為にすること甚だしと、顧だ其の人陰にして未だ聞こえざるのみ」と。
現代語訳
(太公望の言葉の続き)「自分で世の賢士だと称しながら君主の役に立たず、行いはこの上なく賢くても君主に用いられない者は、明君が臣下とする者ではありません。驥が左右に操れないのと同じです。だから誅したのです」。別の伝えではこうである。太公望が東方の斉に封ぜられた。海辺に狂矞という賢者がいると聞き、太公望は出向いて面会を求めた。三度も門前で馬を止めて待ったが、狂矞は返礼にも会いにも来なかったので、太公望は彼を誅した。このとき周公旦は魯にいて、馬を馳せて止めに行ったが、着いたときにはすでに誅されていた。周公旦は言った。「狂矞は天下の賢者だ。あなたはなぜ誅したのか」。太公望は言った。「狂矞は、天子の臣下とならず諸侯と交わらないと主張していました。私は彼が法を乱し教えを変えてしまうことを恐れ、だから最初の処刑としたのです。いまここに馬がいて、姿は驥に似ているが、駆り立てても行かず、引いても進まないなら、下僕でもその車に身を託さないでしょう」。如耳が衛の嗣公に遊説すると、嗣公は喜んだが溜め息をついた。側近が「なぜ宰相になさらないのですか」と言うと、嗣公は言った。「鹿に似た馬には千金の値札がつく。しかし千金の馬はあっても一金の鹿はないのは、馬は人の役に立ち、鹿は人の役に立たないからだ。いま如耳は万乗の大国の宰相になれる器で、外の大国に仕える気持ちがあり、心は衛にない。弁舌と知恵があっても、私の役には立たない。だから宰相にしないのだ」。薛公(孟嘗君の父・田嬰とも孟嘗君ともいう)が魏の昭侯の宰相であったとき、王の側近に欒氏の陽胡・潘其という二人がいて、王にたいへん重んじられていたが、薛公のためには働かなかった。薛公はこれを憂え、二人を呼んで博打をし、一人ずつに百金を与えた。さらにその兄弟にも博打をさせ、たちまち一人ずつに二百金を上乗せした。博打の最中に、取次ぎの者が「客の張季の子が門に来ています」と告げた。薛公はむっとして怒り、武器を手に取って取次ぎに渡し、「殺せ。張季は私のために働かないと聞いている」と言った。しばらくして、ちょうど季羽がそばにいて言った。「そうではありません。ひそかに聞くところでは、張季はあなたのためにたいへん尽くしていますが、その人となりが控えめなので、まだ耳に入っていないだけです」。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右上第三十四太公望東のかた斉に封ぜらる、斉の東海の上に居士有り狂矞・華士と曰ふ昆弟二人なる者、議を立てて曰く、「吾天子に臣たらず、諸侯を友とせず、耕作して之を食ひ、井を掘りて之を飲む、吾人に求むる無きなり。上の名無く、君の禄無く、仕を事とせずして力を事とす」と。太公望営丘に至り、吏をして執へて之を殺さしめ以て首誅と為す。周公旦魯より之を聞き、急伝を発して之を問ひて曰く、「夫の二子は、賢者なり。今日国を饗けて賢者を殺すは、何ぞや」と。太公望曰く、「是の昆弟二人議を立てて曰く、『吾天子に臣たらず、諸侯を友とせず、耕作して之を食ひ、井を掘りて之を飲む、吾人に求むる無きなり。上の名無く、君の禄無く、仕を事とせずして力を事とす』と。彼の天子に臣たらざる者は、是れ望得て臣とせざるなり。諸侯を友とせざる者は、是れ望得て使はざるなり。耕作して之を食ひ、井を掘りて之を飲み、人に求むる無き者は、是れ望賞罰を以て勧禁するを得ざるなり。且つ上の名無ければ、知ありと雖も、望の用を為さず。君の禄を仰がざれば、賢なりと雖も、望の功を為さず。仕へざれば則ち治まらず、任ぜざれば則ち忠ならず。且つ先王の其の臣民を使ふ所以の者は、爵禄に非ざれば則ち刑罰なり。今四者以て之を使ふに足らざれば、則ち望当に誰が為に君たるべきか。兵革に服せずして顕れ、耕耨を親らせずして名あるは、又国に教ふる所以に非ざるなり。今此に馬有り、驥の状の如き者は、天下の至良なり。然り而して之を駆れども前まず、之を却けども止まらず、之を左にすれども左せず、之を右にすれども右せざれば、則ち臧獲賤しと雖も、其の足に託せず。臧獲の其の足を驥に託せんと願ふ所の者は、驥の以て利を追ひ害を辟く可きを以てなり。今人の用を為さざれば、臧獲賤しと雖も、其の足に託せず。
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『韓非子』外儲説右上第三十四故に季孫は仲尼を譲むるに勢に遇ふを以てす、而るを況んや之を君に錯くをや。是を以て太公望は狂矞を殺し、而して臧獲は驥に乗らず。嗣公は之を知る、故に鹿に駕せず。薛公は之を知る、故に二欒と博す。此れ皆同異の反を知るなり。故に明主の臣を牧するや、説は烏を畜ふに在り。二。人主なる者は、利害の軺轂なり、射る者衆し、故に人主は共せらる。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」
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『淮南子』齊俗訓昔 太公望・周公旦 封を受けて相い見ゆ。太公 周公に問いて曰く、「何を以て魯を治むるか」と。周公曰く、「尊きを尊び親しきを親しむ」と。太公曰く、「魯は此れより弱からん」と。周公 太公に問いて曰く、「何を以て齊を治むるか」と。太公曰く、「賢を舉げて功を上ぶ」と。周公曰く、「後世 必ず劫殺の君有らん」と。其の後、齊は日々に以て大に、霸に至り、二十四世にして田氏 之に代わる。魯は日々に以て削られ、三十二世に至りて亡ぶ。故に『易』に曰く、「霜を履めば、堅冰 至る」と。聖人の終始を見ること微なるかな。故に糟丘は象箸より生じ、炮烙は熱斗より生ず。子路 溺るるを撜いて牛の謝を受く。孔子曰く、「魯國 必ず人を患いより救うを好まん」と。子贛 人を贖いて金を府より受けず。孔子曰く、「魯國 復た人を贖わざらん」と。子路は受けて德を勸め、子贛は讓りて善を止む。孔子の明、小を以て大を知り、近きを以て遠きを知る。論に通ずる者なり。
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『長短経』是非論語に曰く「逸民を挙ぐれば、天下の人、心を帰す」と。魏の文侯、芸を子夏に受け、段干木を敬し、其の廬を過ぐれば、未だ嘗て式せずんばあらず。是に於て秦、魏を伐たんと欲す。或るひと曰く「魏君は賢なり。国人は仁と称す。上下和洽す。未だ図る可からず」と。秦王乃ち止む。此に由りて誉を諸侯に得たり。〔非に曰く〕韓子曰く「夫れ馬は鹿に似たり、此の馬は千金に値す。今、千金の馬有りて、一金の鹿無き者は何ぞや。馬は人の用を為し、鹿は人の用を為さざればなり。今、処士は人の用を為さず、鹿の類なり。所以に太公は斉に至りて華士を斬り、孔子は司寇と為りて少正卯を誅す」と。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」