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韓非子 / 難二第三十七

李克治中山,苦陘令上計而入多。李克曰:「語言辨,聽之說,不度於義,謂之窕言。無山林澤谷之利而入多者,謂之窕貨。君子不聽窕言,不受窕貨。子姑免矣。」或曰:李子設辭曰:「夫言語辨,聽之說,不度於義者,謂之窕言。」辯在言者,說在聽者,言非聽者也。所謂不度於義,非謂聽者,必謂所聽也。聽者,非小人則君子也。小人無義,必不能度之義也;君子度之義,必不肯說也。夫曰「言語辯,聽之說,不度於義」者,必不誠之言也。入多之爲窕貨也,未可遠行也。李子之姦弗蚤禁,使至於計,是遂過也。無術以知而入多,入多者,穰也,雖倍入,將奈何?舉事慎陰陽之和,種樹節四時之適,無早晚之失、寒温之災,則入多。不以小功妨大務,不以私欲害人事,丈夫盡於耕農,婦人力於織紝,則入多。務於畜養之理,察於土地之宜,六畜遂,五穀殖,則入多。明於權計,審於地形、舟車、機械之利,用力少,致功大,則入多。利商市關梁之行,能以所有致所無,客商歸之,外貨留之,儉於財用,節於衣食,宫室器械周於資用,不事玩好,則入多。入多,皆人爲也。若天事,風雨時,寒温適,土地不加大,而有豐年之功,則入多。

新字:李克治中山,苦陘令上計而入多。李克曰:「語言弁,聴之説,不度於義,謂之窕言。無山林沢谷之利而入多者,謂之窕貨。君子不聴窕言,不受窕貨。子姑免矣。」或曰:李子設辞曰:「夫言語弁,聴之説,不度於義者,謂之窕言。」弁在言者,説在聴者,言非聴者也。所謂不度於義,非謂聴者,必謂所聴也。聴者,非小人則君子也。小人無義,必不能度之義也;君子度之義,必不肯説也。夫曰「言語弁,聴之説,不度於義」者,必不誠之言也。入多之為窕貨也,未可遠行也。李子之姦弗蚤禁,使至於計,是遂過也。無術以知而入多,入多者,穰也,雖倍入,将奈何?舉事慎陰陽之和,種樹節四時之適,無早晩之失、寒温之災,則入多。不以小功妨大務,不以私欲害人事,丈夫尽於耕農,婦人力於織紝,則入多。務於畜養之理,察於土地之宜,六畜遂,五穀殖,則入多。明於権計,審於地形、舟車、機械之利,用力少,致功大,則入多。利商市関梁之行,能以所有致所無,客商帰之,外貨留之,倹於財用,節於衣食,宮室器械周於資用,不事玩好,則入多。入多,皆人為也。若天事,風雨時,寒温適,土地不加大,而有豊年之功,則入多。

書き下し

李克中山を治む、苦陘の令計を上りて入多し。李克曰く、「語言辨にして、之を聴きて説び、義に度らざる、之を窕言と謂ふ。山林沢谷の利無くして入多き者、之を窕貨と謂ふ。君子は窕言を聴かず、窕貨を受けず。子姑く免ぜよ」と。或ひと曰く、李子辞を設けて曰く、「夫れ言語辨にして、之を聴きて説び、義に度らざる者、之を窕言と謂ふ」と。辯は言ふ者に在り、説は聴く者に在り、言ふ者は聴く者に非ざるなり。所謂義に度らずとは、聴く者を謂ふに非ず、必ず聴く所を謂ふなり。聴く者は、小人に非ざれば則ち君子なり。小人は義無し、必ず之を義に度る能はざるなり。君子は之を義に度る、必ず肯へて説ばざるなり。夫れ「言語辯にして、之を聴きて説び、義に度らず」と曰ふ者は、必ず誠ならざるの言なり。入多きの窕貨と為すや、未だ遠く行ふ可からざるなり。李子の姦蚤く禁ぜず、計に至らしむ、是れ過を遂ぐるなり。術以て知る無くして入多し、入多き者は、穣なり、倍入すと雖も、将に奈何せんとす。事を挙ぐるに陰陽の和を慎み、種樹するに四時の適に節し、早晩の失、寒温の災無ければ、則ち入多し。小功を以て大務を妨げず、私欲を以て人事を害せず、丈夫は耕農に尽くし、婦人は織紝に力むれば、則ち入多し。畜養の理に務め、土地の宜を察し、六畜遂げ、五穀殖すれば、則ち入多し。権計に明らかに、地形・舟車・機械の利を審らかにし、力を用ふること少なくして、功を致すこと大なれば、則ち入多し。商市関梁の行を利し、能く有る所を以て無き所を致し、客商之に帰し、外貨之に留まり、財用を倹にし、衣食を節し、宮室器械資用に周くして、玩好を事とせざれば、則ち入多し。入多きは、皆人為なり。天事の若きは、風雨時あり、寒温適ひ、土地大を加へずして、豊年の功有れば、則ち入多し。

現代語訳

魏の李克(李悝)が中山を治めていたとき、苦陘の県令が会計報告を提出したところ、収入が多かった。李克は言った。「言葉が巧みで、聞けば心地よいが、義に照らしていないものを窕言(中身のない言葉)という。山林や沼沢・谷間の産物の利がないのに収入が多いものを窕貨(いわれのない財)という。君子は窕言を聞き入れず、窕貨を受け取らない。あなたはひとまず職を退きなさい」。ある人が言う。李克は言葉を設けて「言葉が巧みで、聞けば心地よいが、義に照らしていないものを窕言という」と言った。巧みさは話す者の側にあり、心地よさは聞く者の側にあるのであって、話す者は聞く者ではない。義に照らしていないというのは、聞く者のことではなく、必ず聞かされる内容のことである。聞く者は小人でなければ君子である。小人には義がないので、必ず義に照らして判断することはできない。君子は義に照らすので、必ず心地よがりはしない。だから「言葉が巧みで、聞けば心地よいが、義に照らしていない」というのは、必ず筋の通らない言葉である。収入が多いことを窕貨とするのも、広く通用させることはできない。李克は(県令の)不正を早く禁じずに、会計報告の段階に至らせた。これは過ちを成し遂げさせたことになる。術によって実情を知る手立てもないまま、収入が多いことを咎めたが、収入が多いのが豊作によるものなら、倍の収入があってもどうしようというのか。事を起こすのに陰陽の調和を慎み、植え付けに四季の適切な時期を守り、早すぎたり遅すぎたりする失敗や、寒さ暑さの災いがなければ、収入は多くなる。小さな手柄のために大きな務めを妨げず、私欲のために人の仕事を損なわず、男は農耕に尽くし、女は機織りに励めば、収入は多くなる。家畜を育てる道理に努め、土地に合ったものを見極め、家畜がよく育ち、穀物がよく実れば、収入は多くなる。見積もりに明るく、地形や舟・車・機械の便利さを見極め、少ない力で大きな成果を上げれば、収入は多くなる。商売や市場、関所や橋の往来を便利にし、あるもので無いものを取り寄せ、よその商人がやって来て、外の物資がとどまり、財の使い方を倹約し、衣食を節約し、住まいや道具が必要を満たすだけで、贅沢な楽しみにふけらなければ、収入は多くなる。収入が多いのは、みな人の努力によるものである。天の働きについていえば、風雨が時にかない、寒暑が程よく、土地が広がらなくても豊作の実りがあれば、収入は多くなる。

解説

難二篇の七つ目、魏の李克(李悝)が中山を治めていたときの話です。苦陘の県令の会計報告で収入が多すぎたため、李克は、根拠のない言葉を窕言、いわれのない財を窕貨と呼んで県令を罷免しました。韓非はこれを二点から批判します。まず窕言の定義が論理的に成り立たないこと、次に、収入が多いこと自体を不正の証とするのは誤りで、豊作や勤勉、技術の工夫、商業の振興、倹約によっても収入は増える、というのです。本当に不正があるなら早く禁じるべきで、術によって実情を確かめずに結果だけで裁くのは過ちだとします。好成績をあげた部署をかえって疑うことも、疑わずに放置することも、どちらも実情を確かめる仕組みがないことの表れだ、と今の組織に置き換えて読めます。

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