韓非子 / 難二第三十七
且桓公得管仲又不難。管仲不死其君而歸桓公,鮑叔輕官讓能而任之,桓公得管仲又不難,明矣。已得管仲之後,奚遽易哉?管仲非周公旦。周公旦假爲天子七年,成王壯,授之以政,非爲天下計也,爲其職也。夫不奪子而行天下者,必不背死君而事其讎;背死君而事其讎者,必不難奪子而行天下;不難奪子而行天下者,必不難奪其君國矣。管仲,公子糾之臣也,謀殺桓公而不能,其君死而臣桓公,管仲之取舍非周公旦,可知也。若使管仲大賢也,且爲湯、武。湯、武,桀、紂之臣也;桀、紂作亂,湯、武奪之。今桓公以易居其上,是以桀、紂之行居湯、武之上,桓公危矣。若使管仲不肖人也,且爲田常。田常,簡公之臣也,而弑其君。今桓公以易居其上,是以簡公之易居田常之上也,桓公又危矣。管仲非周公旦以明矣,然爲湯、武與田常,未可知也。爲湯、武,有桀、紂之危;爲田、常,有簡公之亂也。已得仲父之後,桓公奚遽易哉?若使桓公之任管仲,必知不欺己也,是知不欺主之臣也。然雖知不欺主之臣,今桓公以任管仲之專借竪刁、易牙,蟲流出户而不葬,桓公不知臣欺主與不欺主已明矣,而任臣如彼其專也,故曰:桓公闇主。
新字:且桓公得管仲又不難。管仲不死其君而帰桓公,鮑叔軽官譲能而任之,桓公得管仲又不難,明矣。已得管仲之後,奚遽易哉?管仲非周公旦。周公旦仮為天子七年,成王壮,授之以政,非為天下計也,為其職也。夫不奪子而行天下者,必不背死君而事其讎;背死君而事其讎者,必不難奪子而行天下;不難奪子而行天下者,必不難奪其君国矣。管仲,公子糾之臣也,謀殺桓公而不能,其君死而臣桓公,管仲之取舎非周公旦,可知也。若使管仲大賢也,且為湯、武。湯、武,桀、紂之臣也;桀、紂作乱,湯、武奪之。今桓公以易居其上,是以桀、紂之行居湯、武之上,桓公危矣。若使管仲不肖人也,且為田常。田常,簡公之臣也,而弑其君。今桓公以易居其上,是以簡公之易居田常之上也,桓公又危矣。管仲非周公旦以明矣,然為湯、武与田常,未可知也。為湯、武,有桀、紂之危;為田、常,有簡公之乱也。已得仲父之後,桓公奚遽易哉?若使桓公之任管仲,必知不欺己也,是知不欺主之臣也。然雖知不欺主之臣,今桓公以任管仲之専借竪刁、易牙,虫流出戸而不葬,桓公不知臣欺主与不欺主已明矣,而任臣如彼其専也,故曰:桓公闇主。
書き下し
且つ桓公の管仲を得るも又難からず。管仲其の君に死せずして桓公に帰し、鮑叔官を軽んじ能に譲りて之に任ず、桓公の管仲を得ること又難からざること、明らかなり。已に管仲を得たる後、奚ぞ遽かに易からんや。管仲は周公旦に非ず。周公旦は仮りに天子為ること七年、成王壮なれば、之に授くるに政を以てす、天下の為に計るに非ざるなり、其の職の為なり。夫れ子を奪はずして天下を行ふ者は、必ず死君に背きて其の讎に事へず。死君に背きて其の讎に事ふる者は、必ず子を奪ひて天下を行ふを難しとせず。子を奪ひて天下を行ふを難しとせざる者は、必ず其の君の国を奪ふを難しとせず。管仲は、公子糾の臣なり、桓公を殺さんと謀りて能はず、其の君死して桓公に臣たり、管仲の取舎の周公旦に非ざること、知る可きなり。若し管仲をして大賢ならしめば、且に湯・武と為らんとす。湯・武は、桀・紂の臣なり。桀・紂乱を作し、湯・武之を奪ふ。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ桀・紂の行を以て湯・武の上に居るなり、桓公危ふし。若し管仲をして不肖の人ならしめば、且に田常と為らんとす。田常は、簡公の臣なり、而して其の君を弑す。今桓公易きを以て其の上に居る、是れ簡公の易きを以て田常の上に居るなり、桓公又危ふし。管仲の周公旦に非ざること以て明らかなり、然れども湯・武と田常とに為ること、未だ知る可からざるなり。湯・武と為らば、桀・紂の危ふき有り。田常と為らば、簡公の乱有るなり。已に仲父を得たる後、桓公奚ぞ遽かに易からんや。若し桓公の管仲に任ずるをして、必ず己を欺かざるを知らしめば、是れ主を欺かざるの臣を知るなり。然れども主を欺かざるの臣を知ると雖も、今桓公管仲に任ずるの専らなるを以て竪刁・易牙に借し、蟲流れて戸を出でて葬られず、桓公は臣の主を欺くと主を欺かざるとを知らざること已に明らかなり、而るに臣に任ずること彼の如く其れ専らなり、故に曰く、桓公は闇主なり、と。
現代語訳
しかも桓公が管仲を得たのも難しいことではなかった。管仲は主君(公子糾)のために死なずに桓公に帰順し、鮑叔は自分の官職を惜しまず有能な者に譲って管仲を任用させたのだから、桓公が管仲を得たのが難しくなかったことは明らかである。管仲を得た後、どうしてすぐに楽になろうか。管仲は周公旦ではない。周公旦は仮に天子の位を代行すること七年、成王が成人すると政権を返した。これは天下のために計ったのではなく、自分の職分を果たしたのである。そもそも幼い君主から位を奪わずに天下を治める者は、必ず亡き主君に背いてその仇に仕えたりはしない。亡き主君に背いてその仇に仕える者は、必ず幼い君主から位を奪って天下を治めることをためらわない。幼い君主から位を奪うことをためらわない者は、必ず主君の国を奪うこともためらわない。管仲は公子糾の臣下で、桓公を殺そうと謀って果たせず、主君が死ぬと桓公の臣下となった。管仲の身の処し方が周公旦と違うことは明らかである。もし管仲が大賢人なら、殷の湯王や周の武王のようになるだろう。湯王と武王は夏の桀王と殷の紂王の臣下であったが、桀王と紂王が乱を起こすと、湯王と武王は位を奪った。いま桓公は気楽にかまえて管仲の上にいるが、これは桀王や紂王のような行いで湯王や武王の上にいるのと同じで、桓公は危うい。もし管仲が愚か者なら、田常のようになるだろう。田常は斉の簡公の臣下であったが、主君を殺した。いま桓公は気楽にかまえて管仲の上にいるが、これは簡公のように気楽にかまえて田常の上にいるのと同じで、桓公はやはり危うい。管仲が周公旦でないことはすでに明らかであり、湯王・武王となるか田常となるかはまだ分からない。湯王・武王となれば、桀王・紂王のような危険があり、田常となれば、簡公のような乱が起こる。仲父を得た後、桓公はどうしてすぐに楽になれようか。もし桓公が管仲に任せたのが、必ず自分を欺かないと知っていたからだとすれば、それは君主を欺かない臣下を見分けられたということである。しかし君主を欺かない臣下を見分けられたとしても、いま桓公は管仲に専ら任せたのと同じやり方で竪刁や易牙に権力を貸し与え、遺体から蛆が戸口に流れ出ても葬られなかった。桓公が臣下が君主を欺くか欺かないかを見分けられなかったことはすでに明らかであるのに、あれほど臣下に専ら任せた。だから桓公は愚かな君主だというのである。
解説
関連する章句
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『韓非子』難一第三十六将に天下を治めんとするに、庸主の易しとする所を釈てて、堯・舜の難しとする所を道ふは、未だ与に政を為す可からざるなり」と。管仲病有り、桓公往きて之を問ひて、曰く、「仲父病む、不幸にして大命に卒せば、将に奚を以て寡人に告げんとする」と。管仲曰く、「君の言微かりせば、臣故より将に之を謁せんとす。願はくは君竪刁を去り、易牙を除き、衛の公子開方を遠ざけよ。易牙は君の為に味を主る、君惟だ人肉のみ未だ嘗めず、易牙其の子の首を烝して之を進む。夫れ人情其の子を愛せざる莫し、今其の子を愛せず、安んぞ能く君を愛せん。君妬みて内を好む、竪刁自ら宮して以て内を治む。人情其の身を愛せざる莫し、身すら且つ愛せず、安んぞ能く君を愛せん。開方君に事ふること十五年、斉・衛の間は数日の行を容れず、其の母を弃て、久しく宦して帰らず、其の母すら愛せず、安んぞ能く君を愛せん。臣之を聞く、『矜偽は長からず、蓋虚は久しからず』と。願はくは君此の三子なる者を去れ」と。管仲卒に死す、桓公行はず。桓公死するに及び、蟲戸を出づるも葬られず。或ひと曰く、管仲の桓公に告ぐる所以の者は、度有る者の言に非ざるなり。竪刁・易牙を去る所以の者は、其の身を愛せずして、君の欲に適ふを以てなり。曰く、「其の身を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。然らば則ち臣に死力を尽くして以て其の主の為にする者有らば、管仲将に用ひざらんとするなり。曰く、「其の死力を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。是れ君をして忠臣を去らしめんと欲するなり。且つ其の身を愛せざるを以て其の君を愛せざるを度るは、是れ将に管仲の公子糾に死する能はざるを以て其の桓公に死せざるを度らんとするなり、是れ管仲も亦去る所の域に在り。明主の道は然らず、民の欲する所を設けて以て其の功を求む、故に爵禄を為りて以て之を勧む。民の悪む所を設けて以て其の姦を禁ず、故に刑罰を為りて以て之を威す。慶賞信にして刑罰必なり、故に君功を臣に挙げて姦上に用ひられず、竪刁有りと雖も、其れ君を奈何せん。
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『韓非子』難一第三十六霄略曰く、「管仲賤を以て貴を治む可からずと為す、故に高・国の上を請ふ。貧を以て富を治む可からずと為す、故に三帰を請ふ。䟽を以て親を治む可からずと為す、故に仲父に処る。管仲は貪るに非ず、以て治に便するなり」と。或ひと曰く、今臧獲をして君令を奉じて卿相に詔げしむれば、敢て聴かざる莫し、卿相卑しくして臧獲尊きに非ざるなり、主令の加はる所、敢て従はざる莫きなり。今管仲の治をして桓公に縁らざらしめば、是れ君無きなり、国君無ければ以て治を為す可からず。若し桓公の威を負ひ、桓公の令を下さば、是れ臧獲の信ぜらるる所以なり、奚ぞ高・国・仲父の尊きを待ちて後に行はれんや。当世の事を行ひ、都丞の徴令を下す者は、尊貴を辟けず、卑賤に就かず。故に之を行ひて法ならば、巷伯と雖も卿相に信ぜらる。之を行ひて法に非ざれば、大吏と雖も民萌に詘す。今管仲尊主明法を務めずして、寵を増し爵を益すを事とす、是れ管仲富貴を貪欲するに非ざれば、必ず闇くして術を知らざるなり。故に曰く、管仲に失行有り、霄略に過誉有り、と。韓の宣王樛留に問ふ、「吾公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。樛留対へて曰く、「昔魏は楼・翟を両用して西河を亡ひ、楚は昭・景を両用して鄢・郢を亡ふ。今君公仲・公叔を両用せば、此れ必ず将に事を争ひて外に市せんとす、則ち国必ず憂へん」と。或ひと曰く、昔者斉の桓公管仲・鮑叔を両用し、成湯伊尹・仲虺を両用す。夫れ臣を両用するは国の憂ひならば、則ち是れ桓公は霸たらず、成湯は王たらざるなり。湣王一たび淖歯を用ひて、身東廟に死し、主父一たび李兌を用ひて、食を減ぜられて死す。
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『韓非子』難三第三十八之を知れば、則ち管仲・寺人を以て自ら解す。君必ず誅せずして自ら以て桓・文の徳有りと為す。是れ臣讎にして明燭らす能はず、多く之に資を仮し、自ら以て賢と為して戒めず、則ち後嗣無しと雖も、亦可ならずや。且つ寺人の言や、直だ君令を飾りて貳せざる者なれば、則ち是れ君に貞なりと。死君復た生くるも、臣愧ぢず、而る後に貞と為す。今恵公朝に卒して暮に文公に事ふ、寺人の不貳何如。人に桓公に隠を設くる者有りて曰く、「一難、二難、三難、何ぞや。」桓公対ふる能はず、以て管仲に告ぐ。管仲対へて曰く、「一難なり、優を近づけて士を遠ざく。二難なり、其の国を去りて数しば海に之く。三難なり、君老いて晩く太子を置く。」桓公曰く、「善し。」日を択ばずして太子を廟礼す。或ひと曰く、管仲の隠を射る、得ざるなり。士の用は近遠に在らず、而して俳優侏儒は固より人主の与に燕する所なり、則ち優を近づけて士を遠ざけて以て治を為すは、其の難に非ざるなり。夫れ勢に処りて其の有を用ふる能はず、而して悖りて国を去らざるは、是れ一人の力を以て一国を禁ずるなり。一人の力を以て一国を禁ずる者は、能く之に勝つこと少なし。明能く遠姦を照らして隠微を見、必行の令あらば、海に遠しと雖も、内必ず変無し。然らば則ち国を去りて海に之きて劫殺せられざるは、其の難に非ざるなり。楚の成王、商臣を置きて以て太子と為し、又公子職を置かんと欲す。商臣難を作し、遂に成王を弑す。公子宰は周の太子なり。公子根寵有り、遂に東州を以て反し、分かれて両国と為る。此れ皆晩く太子を置くの患に非ざるなり。夫れ勢を分かつこと二ならず、庶孽卑しく、寵藉無くんば、大臣に処ると雖も、晩く太子を置くも可なり。然らば則ち晩く太子を置くも、庶孽乱れず、又其の難に非ざるなり。物の所謂難とは、必ず人に借りて勢を成すも己を侵害せしむる勿きは、一難と謂ふべきなり。
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『韓非子』難二第三十七固より其の桎梏せられ、羑里に囚はるる所以なり。鄭の長者に言有り、「道を体すれば、無為にして見はるる無きなり」と。此れ最も文王に宜し、人をして之を疑はしめざるなり。仲尼文王を以て智と為すは、未だ此の論に及ばざるなり。晋の平公叔向に問ひて曰く、「昔者斉の桓公諸侯を九合し、天下を一匡す、識らず臣の力か、君の力か」と。叔向対へて曰く、「管仲善く制割し、賔胥無善く削縫し、隰朋善く純縁す、衣成りて、君挙げて之を服す。亦臣の力なり、君何の力か之れ有らん」と。師曠琴に伏して之を笑ふ。公曰く、「太師奚ぞ笑ふや」と。師曠対へて曰く、「臣叔向の君に対ふるを笑ふ。凡そ人臣為る者は、猶ほ炮宰の五味を和して之を君に進むるがごとし。君食はざれば、孰か敢て之を強ひん。臣請ふ之を譬へん、君なる者は壌地なり、臣なる者は草木なり。必ず壌地美にして、然る後に草木碩大なり。亦君の力なり、臣何の力か之れ有らん」と。或ひと曰く、叔向・師曠の対は、皆偏辞なり。夫れ天下を一匡し、諸侯を九合するは、美の大なる者なり、専ら君の力に非ざるなり、又専ら臣の力に非ざるなり。昔者宮之奇虞に在り、僖負羈曹に在り、二臣の智、言は事に中り、発すれば功に中る、虞・曹俱に亡ぶる者は、何ぞや。此れ其の臣有りて其の君無き者なり。且つ蹇叔干に処りて干亡び、秦に処りて秦霸たり、蹇叔干に愚にして秦に智なるに非ざるなり、此れ君有ると君無きとなり。向の「臣の力なり」と曰ふは、然らず。昔者桓公宮中に二市あり、婦閭二百あり、髪を被りて婦人を御す。管仲を得て、五伯の長と為り、管仲を失ひ竪刁を得て身死し、蟲流れて戸を出づるも葬られず。以て臣の力に非ずと為さば、且つ管仲を以て霸たらず。以て君の力屯と為さば、且つ竪刁を以て乱れず。昔者晋の文公斉女を慕ひて帰るを亡る、咎犯極諫す、故に晋国に反らしむ。故に桓公は管仲を以て合し、文公は舅犯を以て霸たり、而るに師曠「君の力なり」と曰ふは、又然らず。
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『韓非子』十過第十斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。
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『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」