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韓非子 / 難二第三十七

或曰:桓公之所應優,非君人者之言也。桓公以君人爲勞於索人,何索人爲勞哉?伊尹自以爲宰干湯,百里奚自以爲虜干穆公。虜,所辱也;宰,所羞也。蒙羞辱而接君上,賢者之憂世急也。然則君人者無逆賢而已矣,索賢不爲人主難。且官職,所以任賢也;爵禄,所以賞功也。設官職,陳爵禄,而士自至,君人者奚其勞哉?使人又非所佚也。人主雖使人,必以度量凖之,以刑名參之;以事遇於法則行,不遇於法則止;功當其言則賞,不當則誅。以刑名收臣,以度量凖下,此不可釋也,君人者焉佚哉?

新字:或曰:桓公之所応優,非君人者之言也。桓公以君人為労於索人,何索人為労哉?伊尹自以為宰干湯,百里奚自以為虜干穆公。虜,所辱也;宰,所羞也。蒙羞辱而接君上,賢者之憂世急也。然則君人者無逆賢而已矣,索賢不為人主難。且官職,所以任賢也;爵禄,所以賞功也。設官職,陳爵禄,而士自至,君人者奚其労哉?使人又非所佚也。人主雖使人,必以度量凖之,以刑名参之;以事遇於法則行,不遇於法則止;功当其言則賞,不当則誅。以刑名収臣,以度量凖下,此不可釈也,君人者焉佚哉?

書き下し

或ひと曰く、桓公の優に応ずる所は、君人たる者の言に非ざるなり。桓公は君人を以て人を索むるに労すと為す、何ぞ人を索むるを労と為さんや。伊尹は自ら以て宰と為りて湯に干め、百里奚は自ら以て虜と為りて穆公に干む。虜は、辱むる所なり。宰は、羞づる所なり。羞辱を蒙りて君上に接するは、賢者の世を憂ふること急なればなり。然らば則ち君人たる者は賢に逆らふ無きのみ、賢を索むるは人主の難きと為さず。且つ官職は、賢に任ずる所以なり。爵禄は、功を賞する所以なり。官職を設け、爵禄を陳ぬれば、士自ら至る、君人たる者奚ぞ其れ労せん。人を使ふも又佚する所に非ざるなり。人主人を使ふと雖も、必ず度量を以て之を凖し、刑名を以て之を参す。事法に遇へば則ち行ひ、法に遇はざれば則ち止む。功其の言に当たれば則ち賞し、当たらざれば則ち誅す。刑名を以て臣を収め、度量を以て下を凖す、此れ釈つ可からざるなり、君人たる者焉んぞ佚せんや。

現代語訳

ある人が言う。桓公が道化役者に答えた言葉は、君主たる者の言葉ではない。桓公は、君主は人を探すのに苦労するものだと考えていたが、どうして人を探すのが苦労であろうか。伊尹は自ら料理人となって殷の湯王に仕えることを求め、百里奚は自ら捕虜の身となって秦の穆公に仕えることを求めた。捕虜は辱めを受ける身であり、料理人は恥とされる身分である。恥と辱めを受けてまで君主に近づいたのは、賢者が世を憂える気持ちが切実だからである。そうであれば、君主はただ賢者を拒まなければよいのであって、賢者を探すことは君主にとって難しいことではない。しかも官職は賢者を任用するためのものであり、爵禄は功を賞するためのものである。官職を設け、爵禄を並べておけば、士は自然にやって来る。君主がどうして苦労することがあろうか。また人を使うのも楽なことではない。君主は人を使うにしても、必ず度量の基準で測り、刑名(言葉と実績)を照らし合わせる。事が法にかなえば行わせ、法にかなわなければやめさせる。功がその言葉に見合えば賞し、見合わなければ罰する。刑名によって臣下を統御し、度量によって下の者を測る。これは手放すことのできないものであり、君主がどうして楽をしていられようか。

解説

桓公の「人を探すのは苦労だが、使うのは楽だ」という言葉に対する韓非の反論です。伊尹が料理人に、百里奚が捕虜になってまで君主に近づいたように、賢者は世を憂えて自ら来るのだから、君主は拒まなければよいだけで、人探しは難しくない。官職と爵禄を整えておけば士は自然に集まる、と述べます。むしろ難しいのは人を使うほうで、度量の基準で測り、申し出た言葉と実際の成果を照らし合わせる「刑名参同」を怠らず、功が言葉に見合えば賞し、見合わなければ罰する。これは決して手放せない君主の仕事だというのです。韓非の術の核心である刑名参同がよく表れた一節です。採用に力を注ぎながら、入った人の成果を約束と照らし合わせる仕組みが弱い組織に、そのまま当てはまる指摘です。

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