韓非子 / 難二第三十七
且夫發囷倉而賜貧窮者,是賞無功也;論囹圄而出薄罪者,是不誅過也。夫賞無功,則民偷幸而望於上;不誅過,則民不懲而易爲非。此亂之本也,安可以雪恥哉?昔者文王侵盂、克莒、舉酆,三舉事而紂惡之。文王乃懼,請入洛西之地、赤壤之國方千里,以請解炮烙之刑。天下皆說。仲尼聞之,曰:「仁哉,文王!輕千里之國而請解炮烙之刑。智哉,文王!出千里之地而得天下之心。」或曰:仲尼以文王爲智也,不亦過乎?夫智者,知禍難之地而辟之者也,是以身不及於患也。使文王所以見惡於紂者,以其不得人心耶,則雖索人心以解惡可也。
新字:且夫発囷倉而賜貧窮者,是賞無功也;論囹圄而出薄罪者,是不誅過也。夫賞無功,則民偸幸而望於上;不誅過,則民不懲而易為非。此乱之本也,安可以雪恥哉?昔者文王侵盂、克莒、舉酆,三舉事而紂悪之。文王乃懼,請入洛西之地、赤壤之国方千里,以請解炮烙之刑。天下皆説。仲尼聞之,曰:「仁哉,文王!軽千里之国而請解炮烙之刑。智哉,文王!出千里之地而得天下之心。」或曰:仲尼以文王為智也,不亦過乎?夫智者,知禍難之地而辟之者也,是以身不及於患也。使文王所以見悪於紂者,以其不得人心耶,則雖索人心以解悪可也。
書き下し
且つ夫れ囷倉を発して貧窮に賜ふ者は、是れ功無きを賞するなり。囹圄を論じて薄罪を出だす者は、是れ過を誅せざるなり。夫れ功無きを賞すれば、則ち民偸幸して上に望む。過を誅せざれば、則ち民懲りずして非を為し易し。此れ乱の本なり、安んぞ以て恥を雪ぐ可けんや。昔者文王盂を侵し、莒に克ち、酆を挙ぐ、三たび事を挙げて紂之を悪む。文王乃ち懼れ、洛西の地、赤壌の国方千里を入れて、以て炮烙の刑を解かんことを請ふ。天下皆説ぶ。仲尼之を聞きて、曰く、「仁なるかな、文王。千里の国を軽んじて炮烙の刑を解かんことを請ふ。智なるかな、文王。千里の地を出だして天下の心を得たり」と。或ひと曰く、仲尼文王を以て智と為すは、亦過たずや。夫れ智なる者は、禍難の地を知りて之を辟くる者なり、是を以て身患に及ばざるなり。文王の紂に悪まるる所以の者をして、其の人心を得ざるを以てならしめば、則ち人心を索めて以て悪を解くと雖も可なり。
現代語訳
そもそも米倉を開いて貧しい者に施すのは、功のない者を賞することである。牢獄を調べて軽い罪の者を釈放するのは、過ちを罰しないことである。功のない者を賞すれば、民はまぐれの幸運を当てにして上に期待するようになる。過ちを罰しなければ、民は懲りずに悪事を働きやすくなる。これは乱れの本であり、どうしてそれで恥をすすぐことができようか。昔、周の文王が盂を攻め、莒に勝ち、酆を取った。三度も事を起こしたので、殷の紂王は文王を憎んだ。文王はそこで恐れ、洛水の西の地、赤壌の国の方千里を献上して、炮烙の刑を廃止するよう願い出た。天下の人々はみな喜んだ。仲尼はこれを聞いて言った。「仁であることよ、文王は。千里の国を惜しまずに炮烙の刑の廃止を願い出た。知恵があることよ、文王は。千里の地を差し出して天下の人心を得た」。ある人が言う。仲尼が文王を知恵ある者としたのは、誤りではないか。知恵ある者とは、禍いの起こる所を知ってそれを避ける者であり、だから身が禍いに及ばないのである。もし文王が紂王に憎まれた理由が、人心を得ていなかったからなら、人心を求めて憎しみを解こうとするのもよいであろう。
解説
関連する章句
-
『韓非子』難二第三十七紂は其の大いに人心を得たるを以て之を悪む、己又地を軽んじて以て人心を収む、是れ重ねて疑はるるなり、
-
呂氏春秋・順民③文王、岐に處り紂に事う。冤侮せらるれども雅遜にして、朝夕必ず時にし、上貢必ず適し、祭祀必ず敬む。紂喜び、文王に命じて西伯と稱せしめ、之に千里の地を賜う。文王載拜稽首して辭して曰く、「願わくは民の為に炮烙の刑を去らんことを請う。」文王、千里の地を惡むに非ず。以て民の為に炮烙の刑を去らんことを請うは、必ず民心を得んと欲すればなり。民心を得れば則ち千里の地より賢る。故に曰く、文王は智なり、と。
-
『淮南子』道應訓文王 德を砥ぎ政を修め、三年にして天下の二垂 之に歸す。紂 聞きて之を患えて曰く、「余 夙に興き夜に寐ね、之と行いを競わば、則ち心を苦しめ形を勞す。縱にして之を置かば、余 一人を伐たんことを恐る」と。崇侯虎曰く、「周伯昌は仁義を行いて善く謀り、太子發は勇敢にして疑わず、中子旦は恭儉にして時を知る。若し之と從わば、則ち其の殃に堪えず。縱にして之を赦さば、身 必ず危亡せん。冠 弊ると雖も、必ず頭に加う。未だ成らざるに及びて、請う之を圖らん」と。屈商 乃ち文王を羑里に拘う。是に於いて散宜生 乃ち千金を以て天下の珍怪を求め、騶虞・鷄斯の乘、玄玉百工、大貝百朋、玄豹・黃羆・靑豻・白虎の文皮千合を得て、以て紂に獻ず。費仲に因りて通ず。紂 見て之を説び、乃ち其の身を免じ、牛を殺して之に賜う。文王 歸り、乃ち玉門を爲り、靈臺を築き、女童を相し、鐘鼓を撃ちて、以て紂の失を待つ。紂 之を聞きて曰く、「周伯昌 道を改め行いを易う。吾 憂い無し」と。乃ち炮烙を爲り、比干を剖き、孕婦を剔き、諫むる者を殺す。文王 乃ち其の謀を遂ぐ。故に老子曰く、「其の榮を知り、其の辱を守り、天下の穀と爲る」と。
-
『韓非子』難三第三十八今功有る者は必ず賞せらる、賞せらるる者は君に得とせず、力の致す所なればなり。罪有る者は必ず誅せらる、誅せらるる者は上を怨みず、罪の生ずる所なればなり。民、誅賞の皆身より起こるを知る、故に功利を業に疾くし、而して賜を君に受けず。「太上は、下之有るを智る」。此れ太上の下民は説ぶ無きを言ふなり、安んぞ恵を懐ふの民を取らん。上君の民は利害無し、説くに「近きを悦ばし遠きを来たす」を以てするも、亦舎てて可なり。哀公に臣有り、外は障距し内は比周して以て其の君を愚にす、而して之に説くに「賢を選ぶ」を以てす。此れ功伐の論に非ざるなり、其の心の所謂賢なる者を選ぶなり。哀公をして三子の外は障距し内は比周するを知らしめば、則ち三子は一日も立たざらん。哀公は賢を選ぶを知らず、其の心の所謂賢を選ぶ、故に三子事に任ずるを得たり。燕の子噲は子之を賢として孫卿を非とす、故に身死して僇と為る。夫差は太宰嚭を智として子胥を愚とす、故に越に滅ぼさる。魯君必ずしも賢を知らず、而して説くに賢を選ぶを以てするは、是れ哀公をして夫差・燕噲の患有らしむるなり。明君は自ら臣を挙げず、臣相進むるなり。自ら賢とせず、功自ら徇ふなり。之を任に論じ、之を事に試み、之を功に課す、故に群臣公政にして私無く、賢を隠さず、不肖を進めず。然らば則ち人主奚ぞ賢を選ぶに労せん。景公は百乗の家を以て賜ふ、而して説くに「財を節す」を以てするは、是れ景公をして術以て富の侈を知る無くして、独り上に倹ならしむるなり、未だ貧を免れざるなり。君有りて千里を以て其の口腹を養ふも、則ち桀・紂と雖も侈とせず。斉国は方三千里にして桓公其の半ばを以て自ら養ふ、是れ桀・紂より侈なり。然り而して能く五覇の冠と為る者は、侈倹の地を知ればなり。君と為りて下を禁ずる能はずして自ら禁ずる者、之を劫と謂ひ、下を飾る能はずして自ら飾る者、之を乱と謂ひ、下を節せずして自ら節する者、之を貧と謂ふ。
-
『韓非子』難二第三十七固より其の桎梏せられ、羑里に囚はるる所以なり。鄭の長者に言有り、「道を体すれば、無為にして見はるる無きなり」と。此れ最も文王に宜し、人をして之を疑はしめざるなり。仲尼文王を以て智と為すは、未だ此の論に及ばざるなり。晋の平公叔向に問ひて曰く、「昔者斉の桓公諸侯を九合し、天下を一匡す、識らず臣の力か、君の力か」と。叔向対へて曰く、「管仲善く制割し、賔胥無善く削縫し、隰朋善く純縁す、衣成りて、君挙げて之を服す。亦臣の力なり、君何の力か之れ有らん」と。師曠琴に伏して之を笑ふ。公曰く、「太師奚ぞ笑ふや」と。師曠対へて曰く、「臣叔向の君に対ふるを笑ふ。凡そ人臣為る者は、猶ほ炮宰の五味を和して之を君に進むるがごとし。君食はざれば、孰か敢て之を強ひん。臣請ふ之を譬へん、君なる者は壌地なり、臣なる者は草木なり。必ず壌地美にして、然る後に草木碩大なり。亦君の力なり、臣何の力か之れ有らん」と。或ひと曰く、叔向・師曠の対は、皆偏辞なり。夫れ天下を一匡し、諸侯を九合するは、美の大なる者なり、専ら君の力に非ざるなり、又専ら臣の力に非ざるなり。昔者宮之奇虞に在り、僖負羈曹に在り、二臣の智、言は事に中り、発すれば功に中る、虞・曹俱に亡ぶる者は、何ぞや。此れ其の臣有りて其の君無き者なり。且つ蹇叔干に処りて干亡び、秦に処りて秦霸たり、蹇叔干に愚にして秦に智なるに非ざるなり、此れ君有ると君無きとなり。向の「臣の力なり」と曰ふは、然らず。昔者桓公宮中に二市あり、婦閭二百あり、髪を被りて婦人を御す。管仲を得て、五伯の長と為り、管仲を失ひ竪刁を得て身死し、蟲流れて戸を出づるも葬られず。以て臣の力に非ずと為さば、且つ管仲を以て霸たらず。以て君の力屯と為さば、且つ竪刁を以て乱れず。昔者晋の文公斉女を慕ひて帰るを亡る、咎犯極諫す、故に晋国に反らしむ。故に桓公は管仲を以て合し、文公は舅犯を以て霸たり、而るに師曠「君の力なり」と曰ふは、又然らず。
-
『韓非子』難二第三十七斉の桓公酒を飲みて酔ひ、其の冠を遺る、之を恥ぢて、三日朝せず。管仲曰く、「此れ有国の恥なり、公胡ぞ其れ之を雪ぐに政を以てせざる」と。公曰く、「胡ぞ其れ善きや」と。因りて倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出だす。処ること三日にして民之を歌ひて曰く、「公胡ぞ復た冠を遺れざる」と。或ひと曰く、管仲は桓公の恥を小人に雪ぎて、桓公の恥を君子に生ず。桓公をして倉囷を発して貧窮に賜ひ、囹圄を論じて薄罪を出ださしむるは、義に非ざるなり、以て恥を雪ぐ可からず。