韓非子 / 難二第三十七
紂以其大得人心而惡之,己又輕地以收人心,是重見疑也,
新字:紂以其大得人心而悪之,己又軽地以収人心,是重見疑也,
書き下し
紂は其の大いに人心を得たるを以て之を悪む、己又地を軽んじて以て人心を収む、是れ重ねて疑はるるなり、
現代語訳
紂王は、文王が大いに人心を得ていたからこそ憎んだのである。それなのに文王は自らまた土地を惜しまず差し出して人心を集めた。これは重ねて疑われることになる。
解説
周の文王が千里の地を紂王に献じて炮烙の刑の廃止を願い、孔子がこれを智と称えた話に対する、韓非の反論の要となる箇所です。紂王が文王を憎んだのは、文王が人心を得すぎていたからであり、そこへさらに土地を惜しまず差し出して天下の人心を集めれば、紂王の疑いはいっそう深まるだけだ、と指摘します。次の単位で、だから文王は手かせ足かせをはめられて羑里に囚われたのであり、本当の智者なら「道を体して無為にして見はるる無し」という鄭の長者の言葉のように、人に疑われない振る舞いをしたはずだと結ばれます。人から称賛される行動が、権力者の目には勢力拡大に映ることがあります。組織の中で存在感が大きくなりすぎたときに、目立ち方そのものが危険を招くという教訓として読めます。
この章句が説くこと
嫌疑政治力処世術文王状況認識智
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