韓非子 / 外儲説右下第三十五
王將聽之矣,田嬰令官具押券斗石參升之計。王自聽計,計不勝聽,罷食後,復坐,不復暮食矣。田嬰復謂曰:「羣臣所終歲日夜不敢偷怠之事也,王以一夕聽之,則羣臣有爲勸勉矣。」王曰:「諾。」俄而王已睡矣,吏盡揄刀削其押券升石之計。王自聽之,亂乃始生。五。兹鄭子引輦上高梁而不能支。兹鄭踞轅而歌,前者止,後者趨,輦乃上。使兹鄭無術以致人,則身雖絶力至死,輦猶不上也。今身不至勞苦而輦以上者,有術以致人之故也。趙簡主出稅者,吏請輕重。簡主曰:「勿輕勿重。重,則利入於上;若輕,則利歸於民。吏無私利而正矣。」薄疑謂趙簡主曰:「君之國中飽。」簡主欣然而喜曰:「何如焉?」對曰:「府庫空虚於上,百姓貧餓於下,然而姦吏富矣。」
新字:王将聴之矣,田嬰令官具押券斗石参升之計。王自聴計,計不勝聴,罷食後,復坐,不復暮食矣。田嬰復謂曰:「羣臣所終歳日夜不敢偸怠之事也,王以一夕聴之,則羣臣有為勧勉矣。」王曰:「諾。」俄而王已睡矣,吏尽揄刀削其押券升石之計。王自聴之,乱乃始生。五。茲鄭子引輦上高梁而不能支。茲鄭踞轅而歌,前者止,後者趨,輦乃上。使茲鄭無術以致人,則身雖絶力至死,輦猶不上也。今身不至労苦而輦以上者,有術以致人之故也。趙簡主出税者,吏請軽重。簡主曰:「勿軽勿重。重,則利入於上;若軽,則利帰於民。吏無私利而正矣。」薄疑謂趙簡主曰:「君之国中飽。」簡主欣然而喜曰:「何如焉?」対曰:「府庫空虚於上,百姓貧餓於下,然而姦吏富矣。」
書き下し
王将に之を聴かんとす、田嬰官をして押券斗石参升の計を具へしむ。王自ら計を聴く、計聴くに勝へず、罷めて食する後、復た坐し、復た暮に食せず。田嬰復た謂ひて曰く、「羣臣の終歳日夜敢て偷怠せざる所の事なり、王一夕を以て之を聴かば、則ち羣臣勧勉を為すこと有らん」と。王曰く、「諾」と。俄かにして王已に睡る、吏尽く刀を揄きて其の押券升石の計を削る。王自ら之を聴き、乱乃ち始めて生ず。五。茲鄭子輦を引きて高梁に上るも支ふる能はず。茲鄭轅に踞りて歌ふ、前む者は止まり、後るる者は趨り、輦乃ち上る。茲鄭をして術以て人を致す無からしめば、則ち身力を絶ちて死に至ると雖も、輦猶ほ上らざるなり。今身労苦に至らずして輦以て上る者は、術有りて以て人を致すの故なり。趙簡主税する者を出だす、吏軽重を請ふ。簡主曰く、「軽くする勿かれ重くする勿かれ。重ければ、則ち利上に入る。若し軽ければ、則ち利民に帰す。吏私利無くして正し」と。薄疑趙簡主に謂ひて曰く、「君の国中飽く」と。簡主欣然として喜びて曰く、「何如ぞや」と。対へて曰く、「府庫上に空虚にして、百姓下に貧餓す、然り而して姦吏富めり」と。
現代語訳
王がいよいよ会計報告を聞こうとすると、田嬰は役人に命じて、割符の証文や斗・石・参・升などの升目ごとの帳簿を揃えさせた。王は自ら会計報告を聞いたが、とても聞ききれず、いったんやめて食事をした後、また座って聞き、夕食もとらなかった。田嬰はさらに言った。「これは臣下たちが一年中、昼も夜も怠けずに取り組んできたことです。王が一晩でも聞いてくだされば、臣下たちは励みとするでしょう」。王は「よかろう」と言った。やがて王は眠り込んでしまい、役人たちはみな小刀を抜いて、割符や升目の帳簿の数字を削って書き換えた。王が自ら会計を聞いたことで、かえって乱れが生じ始めたのである。その五。茲鄭子が手押し車を引いて高い橋の坂を上ろうとしたが、支えきれなかった。そこで茲鄭は轅に腰かけて歌を歌った。前を行く者は足を止め、後ろから来る者は駆け寄って手を貸し、車はついに上った。もし茲鄭に人を引き寄せる術がなかったなら、力を使い果たして死ぬほど頑張っても、車は上らなかったであろう。いま自分は苦労せずに車が上ったのは、術によって人を引き寄せたからである。趙の簡主が徴税の役人を送り出すとき、役人が税を軽くするか重くするかを尋ねた。簡主は言った。「軽くもするな、重くもするな。重くすれば利は上に入り、軽くすれば利は民に帰する。役人が私利をむさぼらなければ、それで正しいのだ」。薄疑が趙の簡主に「君の国は中ほどが肥えております」と言った。簡主はうれしそうに喜んで「どういうことか」と言った。薄疑は答えた。「上では府庫が空っぽで、下では民が貧しく飢えていますが、その間で悪徳役人が肥え太っているのです」。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲説右下第三十五故に火を失するの嗇夫は、論ぜざる可からざるなり。火を救ふ者は、吏壺を操りて火に走れば、則ち一人の用なり。鞭を操りて人を使へば、則ち万夫を役す。故に術に遇ふ所の者は、造父の驚馬に遇ふが如し、馬を牽き車を推せば則ち進む能はず、代はりて御して轡を執り筴を持てば則ち馬咸な騖す。是を以て説は椎鍛の平夷、榜檠の矯直に在り。然らざれば、敗は淖歯の斉を用ひて閔王を戮し、李兌の趙を用ひて主父を餓ゑしむるに在るなり。五。事の理に因れば、則ち労せずして成る。故に茲鄭の轅に踞りて歌ひて以て高梁に上るなり。其の患は趙簡主の税吏軽重を請ふに在り。薄疑の「国中飽く」と言ふ、簡主喜びて府庫虚しく、百姓餓ゑて姦吏富むなり。故に桓公民を巡りて管仲腐財怨女を省く。然らざれば、則ち延陵の馬に乗りて進むを得ず、造父之を過ぎりて之が為に泣くに在るなり。一。造父四馬を御し、馳驟周旋して馬に恣欲す。馬に恣欲する者は、轡筴の制を擅にするなり。然れども馬出彘に驚きて造父禁制する能はざる者は、轡筴の厳足らざるに非ず、威出彘に分かるればなり。王子於期駙駕を為し、轡筴用ひずして馬に択欲す、芻水の利を擅にするなり。然れども馬圃池を過ぎて駙駕敗るる者は、芻水の利足らざるに非ず、徳圃池に分かるればなり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五火を救ふ者は、吏をして壺甕を挈げて火に走らしむれば、則ち一人の用なり。鞭箠を操り指麾して人を趣使すれば、則ち万夫を制す。是を以て聖人は細民に親しまず、明主は小事を躬らせず。造父方に耨る、時に子父車に乗りて過ぐる者有り、馬驚きて行かず、其の子車を下りて馬を牽き、父子車を推し、造父に我を助けて車を推さんことを請ふ。造父因りて器を収め、輟めて之に寄載し、其の子の乗を援き、乃ち始めて轡を検め筴を持つ、未だ之を用ひざるに、馬咸な騖す。造父をして御する能はざらしめば、力を尽くし身を労して之を助けて車を推すと雖も、馬猶ほ肯へて行かざるなり。今身をして佚ならしめ、且つ寄載して、人に徳有る者は、術有りて之を御すればなり。故に国は君の車なり、勢は君の馬なり。術以て之を御する無ければ、身労すと雖も、猶ほ乱を免れず。術有りて以て之を御すれば、身は佚楽の地に処り、又帝王の功を致すなり。椎鍛は、夷らかならざるを平らかにする所以なり。榜檠は、直からざるを矯むる所以なり。聖人の法を為るや、夷らかならざるを平らかにし、直からざるを矯むる所以なり。淖歯の斉に用ひらるるや、閔王の筋を擢く。李兌の趙に用ひらるるや、主父を餓殺す。此の二君は、皆其の椎鍛榜檠を用ふる能はず、故に身死して戮と為りて天下の笑と為る。一に曰く、斉に入れば、則ち独り淖歯を聞きて斉王を聞かず。趙に入れば、則ち独り李兌を聞きて趙王を聞かず。故に曰く、人主なる者術を操らざれば、則ち威勢軽くして臣名を擅にす。一に曰く、武霊王恵文王をして政に莅ましめ、李兌相と為る、武霊王身を以て殺生の柄を躬親せず、故に李兌に劫さる。一に曰く、田嬰斉に相たり、人に王に説く者有りて曰く、「終歳の計は、王一たび数日の間を以て自ら之を聴かざれば、則ち以て吏の姦邪得失を知る無し」と。王曰く、「善し」と。田嬰之を聞き、即ち遽かに王に請ひて其の計を聴かしむ。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、
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『韓非子』內儲說上七術第三十一に曰く、韓の昭侯曰く、「竽を吹く者衆し、吾以て其の善き者を知る無し」と。田厳対へて曰く、「一一にして之を聴け」と。趙、人をして申子に因りて韓に兵を請はしめ、将に以て魏を攻めんとす。申子之を君に言はんと欲するも、君の己の外市するを疑はんことを恐れ、然らずんば趙に悪まれんことを恐る。乃ち趙紹・韓沓をして嘗試に君の動貌を試みしめて而る後に之を言ふ。内は則ち昭侯の意を知り、外は則ち趙を得るの功有り。三国の兵韓に至る。秦王、楼緩に謂ひて曰く、「三国の兵深し。寡人、河東を割きて講ぜんと欲す、何如」と。対へて曰く、「夫れ河東を割くは大費なり。国を患ひより免るるは大功なり。此れ父兄の任なり、王何ぞ公子汜を召して焉に問はざる」と。王、公子汜を召して之に告ぐ。対へて曰く、「講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ。王今河東を割きて講ずれば、三国帰りて、王必ず曰はん、『三国固より且に去らんとす、吾特に三城を以て之を送る』と。講ぜずんば、三国也韓に入り、則ち国必ず大いに挙げられん、王必ず大いに悔いん。王曰はん、『三城を献ぜざればなり』と。臣故に曰く、王講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ、と」と。王曰く、「為に我悔ゆるや、寧ろ三城を亡ひて悔ゆるも、危ふくして乃ち悔ゆること無からん。寡人講ずるを断ぜり」と。応侯、秦王に謂ひて曰く、「王、宛・葉・藍田・陽夏を得、河内を断ち、梁・鄭を困しむるも、未だ王たらざる所以の者は、趙未だ服せざればなり。上党を弛むること一に在るのみ、以て東陽に臨めば、則ち邯鄲は口中の虱なり。王拱して天下を朝せしめ、後るる者は兵を以て之に中てん。然れども上党の安楽は、其の処甚だ劇し。臣恐らくは之を弛めて聴かざらん、奈何」と。王曰く、「必ず弛めて之に易へん」と。五。龐敬は県令なり。市者を遣はして行かしめ、而して公大夫を召して之を還す。立つこと間有りて、以て之に詔する無く、卒に遣はして行かしむ。市者以為へらく令と公大夫と言有りと、相信ぜず、以て姦無きに至る。
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『韓非子』外儲説右下第三十五田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。
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『韓非子』外儲説右上第三十四太子入りて王の為に泣きて曰く、「廷中潦多く、車を駆りて茆門に至る、廷理『法に非ざるなり』と曰ひて、殳を挙げて臣が馬を撃ち、臣が駕を敗る。王必ず之を誅せよ」と。王曰く、「前に老主有りて踰えず、後に儲主有りて属せず、矜なるかな。是れ真に吾が守法の臣なり」と。乃ち爵二級を益して、後門を開きて太子を出だす。「復た過つ勿かれ」と。衛の嗣君薄疑に謂ひて曰く、「子寡人の国を小として以て仕ふるに足らずと為す、則ち寡人の力能く子を仕へしむ、請ふ爵を進めて子を以て上卿と為さん」と。乃ち田万頃を進む。薄子曰く、「疑の母は疑を親しみ、疑を以て能く万乗を相けて窕ならざる所と為すなり。然れども疑の家の巫に蔡嫗なる者有り、疑の母甚だ之を愛信し、之に家事を属す。疑の智は以て家事を信言するに足り、疑の母尽く以て疑に聴くなり、然れども已に疑と言ふ者も、亦必ず復た之を蔡嫗に決するなり。故に疑の智能を論ずれば、疑を以て能く万乗を相けて窕ならずと為すなり。其の親を論ずれば、則ち子母の間なり、然れども猶ほ之を蔡嫗に議するを免れざるなり。今疑の人主に於けるや、子母の親に非ざるなり、而して人主皆蔡嫗有り。人主の蔡嫗は、必ず其の重人なり。重人なる者は、能く私を行ふ者なり。夫れ私を行ふ者は、縄の外なり。而して疑の言は、法の内なり。縄の外と法の内とは、讎なり、相受けざるなり」と。一に曰く、衛君晋に之かんとし、薄疑に謂ひて曰く、「吾子と皆行かんと欲す」と。薄疑曰く、「媪や中に在り、請ふ帰りて媪と之を計らん」と。衛君自ら薄媪に請ふ。薄媪曰く、「疑は、君の臣なり、君意有りて之を従へんとす、甚だ善し」と。衛君曰く、「吾以て之を媪に請ふ、媪我に許せり」と。薄疑帰りて、之を媪に言ひて、曰く、「衛君の疑を愛すること媪に奚与ぞ」と。媪曰く、「吾の子を愛するに如かざるなり」と。「衛君の疑を賢とすること媪に奚与ぞや」と。曰く、「吾の子を賢とするに如かざるなり」と。