韓非子 / 內儲說上七術第三十
一曰:韓昭侯曰:「吹竽者衆,吾無以知其善者。」田嚴對曰:「一一而聽之。」趙令人因申子於韓請兵,將以攻魏。申子欲言之君,而恐君之疑己外市也,不則恐惡於趙,乃令趙紹、韓沓嘗試君之動貌而後言之。内則知昭侯之意,外則有得趙之功。三國兵至韓,秦王謂樓緩曰:「三國之兵深矣!寡人欲割河東而講,何如?」對曰:「夫割河東,大費也;免國於患,大功也。此父兄之任也,王何不召公子汜而問焉?」王召公子汜而告之,對曰:「講亦悔,不講亦悔。王今割河東而講,三國歸,王必曰:『三國固且去矣,吾特以三城送之。』不講,三國也入韓,則國必大舉矣,王必大悔。王曰:『不獻三城也。』臣故曰:王講亦悔,不講亦悔。」王曰:「爲我悔也,寧亡三城而悔,無危乃悔。寡人斷講矣。」應侯謂秦王曰:「王得宛、葉、藍田、陽夏,斷河内,困梁、鄭,所以未王者,趙未服也。㢮上黨在一而已,以臨東陽,則邯鄲口中虱也。王拱而朝天下,後者以兵中之。然上黨之安樂,其處甚劇,臣恐弛之而不聽,奈何?」王曰:「必弛易之矣。」五。龐敬,縣令也。遣市者行,而召公大夫而還之。立有間,無以詔之,卒遣行。市者以爲令與公大夫有言,不相信,以至無姦。
新字:一曰:韓昭侯曰:「吹竽者衆,吾無以知其善者。」田厳対曰:「一一而聴之。」趙令人因申子於韓請兵,将以攻魏。申子欲言之君,而恐君之疑己外市也,不則恐悪於趙,乃令趙紹、韓沓嘗試君之動貌而後言之。内則知昭侯之意,外則有得趙之功。三国兵至韓,秦王謂楼緩曰:「三国之兵深矣!寡人欲割河東而講,何如?」対曰:「夫割河東,大費也;免国於患,大功也。此父兄之任也,王何不召公子汜而問焉?」王召公子汜而告之,対曰:「講亦悔,不講亦悔。王今割河東而講,三国帰,王必曰:『三国固且去矣,吾特以三城送之。』不講,三国也入韓,則国必大舉矣,王必大悔。王曰:『不献三城也。』臣故曰:王講亦悔,不講亦悔。」王曰:「為我悔也,寧亡三城而悔,無危乃悔。寡人断講矣。」応侯謂秦王曰:「王得宛、葉、藍田、陽夏,断河内,困梁、鄭,所以未王者,趙未服也。㢮上党在一而已,以臨東陽,則邯鄲口中虱也。王拱而朝天下,後者以兵中之。然上党之安楽,其処甚劇,臣恐弛之而不聴,奈何?」王曰:「必弛易之矣。」五。龐敬,県令也。遣市者行,而召公大夫而還之。立有間,無以詔之,卒遣行。市者以為令与公大夫有言,不相信,以至無姦。
書き下し
一に曰く、韓の昭侯曰く、「竽を吹く者衆し、吾以て其の善き者を知る無し」と。田厳対へて曰く、「一一にして之を聴け」と。趙、人をして申子に因りて韓に兵を請はしめ、将に以て魏を攻めんとす。申子之を君に言はんと欲するも、君の己の外市するを疑はんことを恐れ、然らずんば趙に悪まれんことを恐る。乃ち趙紹・韓沓をして嘗試に君の動貌を試みしめて而る後に之を言ふ。内は則ち昭侯の意を知り、外は則ち趙を得るの功有り。三国の兵韓に至る。秦王、楼緩に謂ひて曰く、「三国の兵深し。寡人、河東を割きて講ぜんと欲す、何如」と。対へて曰く、「夫れ河東を割くは大費なり。国を患ひより免るるは大功なり。此れ父兄の任なり、王何ぞ公子汜を召して焉に問はざる」と。王、公子汜を召して之に告ぐ。対へて曰く、「講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ。王今河東を割きて講ずれば、三国帰りて、王必ず曰はん、『三国固より且に去らんとす、吾特に三城を以て之を送る』と。講ぜずんば、三国也韓に入り、則ち国必ず大いに挙げられん、王必ず大いに悔いん。王曰はん、『三城を献ぜざればなり』と。臣故に曰く、王講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ、と」と。王曰く、「為に我悔ゆるや、寧ろ三城を亡ひて悔ゆるも、危ふくして乃ち悔ゆること無からん。寡人講ずるを断ぜり」と。応侯、秦王に謂ひて曰く、「王、宛・葉・藍田・陽夏を得、河内を断ち、梁・鄭を困しむるも、未だ王たらざる所以の者は、趙未だ服せざればなり。上党を弛むること一に在るのみ、以て東陽に臨めば、則ち邯鄲は口中の虱なり。王拱して天下を朝せしめ、後るる者は兵を以て之に中てん。然れども上党の安楽は、其の処甚だ劇し。臣恐らくは之を弛めて聴かざらん、奈何」と。王曰く、「必ず弛めて之に易へん」と。五。龐敬は県令なり。市者を遣はして行かしめ、而して公大夫を召して之を還す。立つこと間有りて、以て之に詔する無く、卒に遣はして行かしむ。市者以為へらく令と公大夫と言有りと、相信ぜず、以て姦無きに至る。
現代語訳
別の伝えでは、韓の昭侯が「竽を吹く者が多くて、わしには誰がうまいのかわからない」と言った。田厳は答えた。「一人ずつお聞きなさい」。趙が人をやって申不害を通じて韓に援軍を求め、魏を攻めようとした。申不害はこのことを君に言いたいと思ったが、君に外国と通じていると疑われることを恐れ、かといって言わなければ趙に憎まれることを恐れた。そこで趙紹と韓沓に命じて、それとなく君の反応を探らせてから進言した。こうして内には昭侯の意向を知り、外には趙の信頼を得る功を立てた。三国(韓・魏・斉)の兵が韓の地まで迫った。秦王が楼緩に言った。「三国の兵は深く攻め込んでいる。わしは河東を割いて講和しようと思うが、どうか」。楼緩は答えた。「河東を割くのは大きな損失です。国を災いから免れさせるのは大きな功です。これは王族の長老が担うべきことです。王はなぜ公子汜を呼んでお尋ねにならないのですか」。王は公子汜を呼んでそのことを告げた。公子汜は答えた。「講和しても後悔し、講和しなくても後悔します。王がいま河東を割いて講和すれば、三国が引き上げた後、王はきっと『三国はもともと引き上げるつもりだったのに、わしはわざわざ三つの城を贈ってやった』とおっしゃるでしょう。講和しなければ、三国は韓に入り(秦に攻め込み)、国は必ず大いに攻め取られ、王はきっとひどく後悔なさるでしょう。王は『三つの城を差し出さなかったからだ』とおっしゃるでしょう。だからわたしは、王は講和しても後悔し、講和しなくても後悔すると申すのです」。王は言った。「どうせ後悔するのなら、むしろ三つの城を失って後悔する方がよい。国が危うくなってから後悔するよりはましだ。わしは講和すると決めた」。応侯(范雎)が秦王に言った。「王は宛・葉・藍田・陽夏を手に入れ、河内を断ち切り、梁(魏)と鄭(韓)を苦しめていますが、まだ天下の王となれないのは、趙がまだ服していないからです。上党を手放すことが一つあるだけで、東陽に臨めば、邯鄲は口の中のシラミのように(たやすく噛みつぶせる)ものとなります。王は手をこまねいたまま天下を朝見させ、遅れる者には兵を差し向ければよいのです。しかし上党は安楽な土地で、その地の守りは非常に堅い。わたしは、手放せと申し上げても王が聞き入れないのではないかと恐れますが、いかがでしょう」。王は言った。「必ず手放して(趙の地と)取り替えよう」。(以下は説の)五である。龐敬は県令であった。市場の監督役を出発させておきながら、公大夫を呼んで引き戻した。しばらく立たせておいたが、何も命じることなく、結局そのまま出発させた。市場の監督役は、県令と公大夫とが何か話したのだと思い込み、互いに信じなくなったので、悪事がなくなった。
解説
関連する章句
-
戦国策・秦王謂公子他秦王公子他に謂いて曰く、「昔歲殽下の事、韓中軍と爲り、以て諸侯と秦を攻む。韓秦と境壤を接し、其の地千里なる能わず、展轉して約す可からず。日者秦・楚藍田に戰い、韓銳師を出だして以て秦を佐く、秦戰いて利あらず、因りて轉じて楚に與し、信盟を固めず、唯便のみ是れ從う。韓の我に在るや、心腹の疾なり。吾將に之を伐たんとす、何如。」公子他曰く、「王兵を韓に出だせば、韓必ず懼れん、懼るれば則ち戰わずして深く割を取る可し。」王曰く、「善し。」乃ち兵を起こし、一軍熒陽に臨み、一軍太行に臨む。韓恐れ、陽城君をして秦に入りて謝せしめ、上黨の地を效して以て和と爲さんことを請う。韓陽をして上黨の守靳𪏘に告げしめて曰く、「秦二軍を起こして以て韓に臨み、韓有つ能わず。今王韓に令じて兵を興して上黨を以て秦に入りて和せしむ、陽をして之を太守に言わしむ、太守其れ之を效せ。」靳𪏘曰く、「人言えること有り、挈瓶の知も、守器を失わずと。王則ち令有り、而れども臣太守たり、王と子と雖も、亦其れ猜わん。臣請う悉く守を發して以て秦に應ぜん、若し卒う能わずんば、則ち之に死せん。」韓陽趨りて以て王に報ず、王曰く、「吾始め已に應侯に諾せり、今與えずんば、是れ之を欺くなり。」乃ち馮亭をして靳𪏘に代わらしむ。馮亭守ること三十日、陰かに人をして趙王に請いて曰く、「韓上黨を守る能わず、且に以て秦に與えんとす、其の民皆秦の爲にすることを欲せず、而して趙の爲にせんことを願う。今城市の邑七十有り、願わくは拜して之を王に內れん、唯だ王之を才せよ。」趙王喜び、平原君を召して之に告げて曰く、「韓上黨を守る能わず、且に以て秦に與えんとす、其の吏民秦の爲にすることを欲せず、而して皆趙の爲にせんことを願う。今馮亭使者をして以て寡人に與えしむ、何如。」趙豹對えて曰く、「臣聞く、聖人は甚だ無故の利を禍とすと。」王曰く、「人吾が義を懷く、何ぞ無故と謂わんや。」對えて曰く、「秦韓氏の地を蠶食し、中絕して相通ぜしめず、故に自ら以て坐して上黨を受くと爲すなり。且つ夫れ韓の趙に內るる所以の者は、其の禍を嫁がんと欲すればなり。秦其の勞を被り、而して趙其の利を受く、强大なりと雖も之を小弱に得る能わずして、小弱顧って之を强大に得んや。今王之を取らば、故有りと謂う可きか。且つ秦牛田を以て、水糧を通じ、其の死士皆之を上地に列す、令嚴に政行われ、與に戰う可からず。王自ら之を圖れ。」王大いに怒りて曰く、「夫れ百萬の眾を用い、攻戰すること年を踰え歲を歷るも、未だ一城をも見ざるなり。今兵を用いずして城七十を得ん、何の故にか爲さざる。」趙豹出づ。王趙勝・趙禹を召して之に告げて曰く、「韓上黨を守る能わず、今其の守以て寡人に與う、城市の邑七十有り。」二人對えて曰く、「兵を用いて年を踰ゆるも、未だ一城をも見ず、今坐して城を得るは、此れ大利なり。」乃ち趙勝をして往きて地を受けしむ。趙勝至りて曰く、「敝邑の王、使者臣勝をして、太守に詔有り、臣勝をして謂わしめて曰く、『請う三萬戶の都を以て太守に封じ、千戶を縣令に封じ、諸吏皆爵三級を益し、民能く相集まる者は、家に六金を賜わん。』と。」馮亭涕を垂れて勉めて曰く、「是れ吾三不義に處るなり。主の爲に地を守りて死する能わずして、以て人に與う、不義の一なり。主之を秦に內れんとするに、主の命に順わず、不義の二なり。主の地を賣りて之を食む、不義の三なり。」封を辭して韓に入り、韓王に謂いて曰く、「趙韓上黨を守る能わざるを聞き、今兵を發して已に之を取れり。」韓秦に告げて曰く、「趙兵を起こして上黨を取る。」秦王怒り、公孫起・王齮をして兵を以て趙に長平に遇わしむ。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十其の患ひは申子の趙紹・韓沓を以て嘗試と為すに在り。故に公子汜は河東を割くを議し、而して応侯は上党を弛むるを謀る。一聴四。数々見えて久しく待ちて任ぜざれば、姦は則ち鹿のごとく散ず。人をして他を問はしむれば則ち私を鬻がず。是を以て龐敬は公大夫を還し、而して戴讙は轀車を視しむるを詔し、周主は玉簪を亡ひ、商の太宰は牛矢を論ず。詭使五。智を挟みて問へば、則ち不智なる者も智なり。深く一物を智れば、衆隠皆変ず。其の説は昭侯の一爪を握るに在り。故に必ず南門にして三郷得らる。周主は曲杖を索めて群臣懼れ、卜皮は庶子を使ひ、西門豹は詳りて轄を遺る。挟智六。倒言反事して以て疑ふ所を嘗みれば、則ち姦情得らる。故に陽山は樛豎を謾り、淖歯は秦の使ひと為り、斉人は乱を為さんと欲し、子之は白馬を以てし、子産は訟者を離し、嗣公は関市を過ぐ。倒言七。右経一。衛の霊公の時、弥子瑕寵有りて、衛国を専らにす。
-
戦国策・秦攻韓之管秦、韓の管を攻む、魏王兵を発して之を救う。昭忌曰く、「夫れ秦は強国なり、而して韓・魏は壌を梁す、出でて攻めずんば則ち已む、若し出でて攻むれば、韓に非ざれば必ず魏なり。今幸いにして韓に於いてす、此れ魏の福なり。王若し之を救わば、夫れ攻めを解く者は、必ず韓の管なり。攻めを致す者は、必ず魏の梁なり。」魏王聴かずして曰く、「若し因りて韓を救わずんば、韓魏を怨み、西のかた秦に合せん、秦・韓一と為らば、則ち魏危うし。」遂に之を救う。秦果たして管を釈きて魏を攻む。魏王大いに恐れ、昭忌に謂いて曰く、「子の計を用いずして禍至る、之を奈何せん。」昭忌乃ち之が為に秦王に見えて曰く、「臣聞く、明主の聴くや、私を挟むを以て政と為さず、是れ参行なりと。願わくは大王魏を攻むる無く、臣を聴け。」秦王曰く、「何ぞや。」昭忌曰く、「山東の従、時に合し時に離るるは、何ぞや。」秦王曰く、「識らざるなり。」曰く、「天下の合するや、王の必とせざるを以てなり。其の離るるや、王の必とするを以てなり。今、韓の管を攻めて、国危うし、未だ卒わらずして兵を梁に移す、天下の従を合すること、此れより精なる者無し。以て秦の求索、必ず支うべからずと為す。故に王の為に計る者は、斉・趙にするに如かず。秦已に趙を制すれば、則ち燕敢て秦に事えざること無く、荊・斉独り従うこと能わず。天下秦に敵を争わば、則ち弱し。」秦王乃ち止む。
-
『韓非子』存韓第二今臣の愚議を以てすれば、秦兵を発して未だ伐つ所を名づけざれば、則ち韓の用事者は秦に事ふるを以て計と為さん。臣斯請ふ、往きて韓王に見え、来りて入見せしめん。大王見て、因りて其の身を内れて遣らず、稍く其の社稷の臣を召し、以て韓人と市を為さば、則ち韓深く割くべきなり。因りて象武をして東郡の卒を発し、兵を境上に闚はしめて未だ之く所を名づけざれば、則ち斉人懼れて蘇の計に従はん。是れ我が兵未だ出でずして勁韓は威を以て擒へられ、強斉は義を以て従ふなり。諸侯に聞こゆるや、趙氏は胆を破り、荊人は狐疑し、必ず忠計有らん。荊人動かざれば、魏は患ふるに足らざるなり、則ち諸侯蚕食して尽くすべく、趙氏与に敵するを得べし。願はくは陛下幸ひに愚臣の計を察し、忽せにする無かれ。秦遂に斯を遣はして韓に使ひせしむ。李斯往きて韓王に詔す、未だ見ゆるを得ず、因りて書を上りて曰く、「昔秦・韓は力を勠せ意を一にし、以て相侵さず、天下敢へて犯す莫し、此くの如き者数世なり。前時五諸侯嘗て相与に共に韓を伐つ、秦兵を発して以て之を救ふ。韓は中国に居り、地は千里に満つること能はず、而して諸侯と天下に班位し、君臣相保つを得る所以の者は、世世相教へて秦に事ふるの力を以てなり。先時五諸侯共に秦を伐つ、韓反りて諸侯と先に雁行を為し以て秦軍に関下に嚮ふ。諸侯の兵困しみ力極まり、奈何ともする無く、諸侯の兵罷む。杜倉秦に相たり、兵を起こし将を発して以て天下の怨みに報いて先づ荊を攻む。荊の令尹之を患へて曰く、『夫れ韓は秦を以て不義と為し、而して秦と兄弟となりて共に天下を苦しむ。已にして又秦に背き、先に雁行を為して以て関を攻む。韓は則ち中国に居り、展転して知るべからず』と。天下共に韓の上地十城を割きて以て秦に謝し、其の兵を解く。
-
戦国策・三國攻秦入函谷三國秦を攻め、函谷に入る。秦王樓緩に謂ひて曰く、「三國の兵深し、寡人河東を割きて講ぜんと欲す。」對へて曰く、「河東を割くは、大費なり。國患を免るるは、大利なり。此れ父兄の任なり。王何ぞ公子池を召して問はざる。」王公子池を召して問ふ、對へて曰く、「講ずるも亦た悔い、講ぜざるも亦た悔いん。」王曰く、「何ぞや。」對へて曰く、「王河東を割きて講ぜば、三國去ると雖も、王必ず曰はん、『惜しいかな、三國且に去らんとするに、吾特(た)だ三城を以て之に從へり』と。此れ講ずるの悔いなり。王講ぜずんば、三國函谷に入り、咸陽必ず危からん、王又曰はん、『惜しいかな、吾三城を愛みて講ぜず』と。此れ又講ぜざるの悔いなり。」王曰く、「鈞(ひと)しく吾が悔いなり、寧ろ三城を亡ひて悔ゆるも、咸陽を危くして悔ゆる無からん。寡人講を決せり。」卒に公子池をして三城を以て三國に講ぜしめ、之が兵乃ち退く。
-
『韓非子』內儲說上七術第三十韓の昭侯、騎をして県に於てせしむ。使者報ず。昭侯問ひて曰く、「何をか見たる」と。対へて曰く、「見る所無きなり」と。昭侯曰く、「然りと雖も、何をか見たる」と。曰く、「南門の外に、黄犢の苗を道の左に食む者有り」と。昭侯、使者に謂ふ、「敢へて吾の女に問ふ所を洩らす毋かれ」と。乃ち令を下して曰く、「苗の時に当たりて、牛馬の人の田中に入るを禁ずること固より令有り。而るに吏以て事と為さず、牛馬甚だ多く人の田中に入る。亟かに其の数を挙げて之を上れ。得ずんば、将に其の罪を重くせんとす」と。是に於て三郷挙げて之を上る。昭侯曰く、「未だ尽くさざるなり」と。復た往きて之を審らかにし、乃ち南門の外の黄犢を得たり。吏、昭侯を以て明察と為し、皆其の所に悚懼して敢へて非を為さず。周主、令を下して曲杖を索めしむ。吏之を求むること数日にして得ること能はず。周主私かに人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり。乃ち吏に謂ひて曰く、「吾吏の事を事とせざるを知る。曲杖は甚だ易きなり、而るに吏得ること能はず。我人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり、豈に忠と謂ふべけんや」と。吏乃ち皆其の所に悚懼して、君を以て神明と為す。卜皮は県令為り。其の御史汚濊にして愛妾有り。卜皮乃ち少庶子をして佯りて之を愛せしめ、以て御史の陰情を知る。西門豹は鄴の令為り。佯りて其の車轄を亡ひ、吏をして之を求めしむるも得ること能はず。人をして之を求めしめて之を家人の屋間に得たり。七。陽山君、衛に相たり。王の己を疑ふを聞き、乃ち偽りて樛豎を謗りて以て之を知る。淖歯、斉王の己を悪むを聞き、乃ち矯りて秦の使ひと為りて以て之を知る。斉人に乱を為さんと欲する者有り。王の之を知らんことを恐れ、因りて詐りて愛する所の者を逐ひ、走りて王をして之を知らしむ。