韓非子 / 外儲説右下第三十五
齊桓公微服以巡民家,人有年老而自養者,桓公問其故。對曰:「臣有子三人,家貧無以妻之,傭未反。」桓公歸,以告管仲。管仲曰:「畜積有腐弃之財,則人饑餓;宫中有怨女,則民無妻。
新字:斉桓公微服以巡民家,人有年老而自養者,桓公問其故。対曰:「臣有子三人,家貧無以妻之,傭未反。」桓公帰,以告管仲。管仲曰:「畜積有腐弃之財,則人饑餓;宮中有怨女,則民無妻。
書き下し
齊の桓公微服して以て民家を巡る。 ... 管仲曰く、「畜積に腐棄の財有れば則ち人は飢餓し、宮中に怨女有れば則ち民に妻無し。」
現代語訳
斉の桓公は、お忍びで民家を視察した。...(老いて妻がいない者がいると知り)管仲に相談すると、管仲は言った。「(倉庫に)腐るほど財産が積み上がっていれば(格差が広がり)民は飢え、宮中に(結婚できない)女性が大勢いれば、民間に妻がいない男が生まれます。」
解説
斉の桓公が身分を隠して民家をこっそり見て回ったところ、年老いても妻を持てず、一人で暮らす男に出会いました。この話を聞いた家臣の管仲は言います。「蔵に腐らせるほど財産を積み上げていれば、その陰で飢える人が出ますし、宮中に嫁ぐ当てのない女性を大勢抱え込んでいれば、その分だけ民の間には妻を持てない男が生まれます」。上に立つ人が現場に足を運び、実情を自分の目で確かめること、そして一部に富や人が偏って滞っている状態を放っておかないことの大切さを説いています。本部だけが潤い、現場が疲弊しているような偏りは、早く手を打たなければ集まり全体の元気を奪ってしまいます。
この章句が説くこと
現場主義リソース配分全社最適格差是正組織活性化
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