韓非子 / 外儲説右上第三十四
君所以治臣者有三。一。勢不足以化則除之。師曠之對,晏子之說,皆舍勢之易也而道行之難,是與獸逐走也,未知除患。患之可除,在子夏之說《春秋》也:
新字:君所以治臣者有三。一。勢不足以化則除之。師曠之対,晏子之説,皆舎勢之易也而道行之難,是与獣逐走也,未知除患。患之可除,在子夏之説《春秋》也:
書き下し
君の臣を治むる所以の者に三有り。一。勢以て化するに足らざれば則ち之を除く。師曠の対、晏子の説は、皆勢の易きを舍てて行の難きを道ふなり、是れ獣と逐ひ走るなり、未だ患を除くことを知らず。患の除く可きは、子夏の『春秋』を説くに在るなり。
現代語訳
君主が臣下を治める方法には三つある。その一。勢(君主の地位と権力)をもってしても感化できない者は、取り除く。晋の楽師・師曠の答えや、斉の宰相・晏子の説は、どちらも勢という容易な手段を捨てて、徳を行うという難しい道を説いたものであり、これは(車を降りて)獣と駆け比べをするようなもので、禍いの元を取り除くことを知らない。禍いが取り除けるものであることは、子夏が『春秋』について説いたところに示されている。
解説
外儲説右上篇の冒頭、最初の「經」(要点の箇条)です。韓非は君主が臣下を治める道を三つに分け、その第一として、勢によっても従わない者は除けと述べます。続けて、民に恵みを施せと説いた師曠や晏子を、勢という楽な道具を捨てて難しい徳の道を選んだ者として退けます。車を降りて獣と走り比べをする、という比喩は後の「說」で詳しく展開されます。子夏の『春秋』解釈は、君臣の乱は一日で起こらず少しずつ積もるという話で、芽のうちに摘めという主張の根拠になっています。組織でも、制度や権限で解決できる問題を、個人の人徳や頑張りで何とかしようとしていないかを問い直す視点になるでしょう。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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