韓非子 / 外儲説右上第三十四
故能使人彈疽者,必其忍痛者也。一。賞之譽之不勸,罰之毁之不畏,四者加焉不變,則其除之。齊景公之晉,從平公飲,師曠侍坐。景公問政於師曠曰:「太師將奚以教寡人?」師曠曰:「君必惠民而已。」中坐,酒酣,將出,又復問政於師曠曰:「太師奚以教寡人?」曰:「君必惠民而已矣。」景公出之舍,師曠送之,又問政於師曠。師曠曰:「君必惠民而已矣。」景公歸,思,未醒,而得師曠之所謂:公子尾、公子夏者,景公之二弟也,甚得齊民,家富貴而民說之,擬於公室,此危吾位者也。今謂我惠民者,使我與二弟争民耶?於是反國,發廪粟以賦衆貧,散府餘財以賜孤寡,倉無陳粟,府無餘財,宫婦不御者出嫁之,七十受禄米。鬻德惠施於民也,已與二弟爭。居二年,二弟出走,公子夏逃楚,公子尾走晉。景公與晏子遊於少海,登栢寢之臺而還望其國,曰:「美哉!泱泱乎,堂堂乎!後世將孰有此?」晏子對曰:「其田成氏乎!」景公曰:「寡人有此國也,而曰田成氏有之,何也?」晏子對曰:「夫田成氏甚得齊民。其於民也,上之請爵禄行諸大臣,下之私大斗斛區釜以出貸,小斗斛區釜以收之。殺一牛,取一豆肉,餘以食士。終歲,布帛取二制焉,餘以衣士。
新字:故能使人弾疽者,必其忍痛者也。一。賞之誉之不勧,罰之毀之不畏,四者加焉不変,則其除之。斉景公之晋,従平公飲,師曠侍坐。景公問政於師曠曰:「太師将奚以教寡人?」師曠曰:「君必恵民而已。」中坐,酒酣,将出,又復問政於師曠曰:「太師奚以教寡人?」曰:「君必恵民而已矣。」景公出之舎,師曠送之,又問政於師曠。師曠曰:「君必恵民而已矣。」景公帰,思,未醒,而得師曠之所謂:公子尾、公子夏者,景公之二弟也,甚得斉民,家富貴而民説之,擬於公室,此危吾位者也。今謂我恵民者,使我与二弟争民耶?於是反国,発廪粟以賦衆貧,散府余財以賜孤寡,倉無陳粟,府無余財,宮婦不御者出嫁之,七十受禄米。鬻徳恵施於民也,已与二弟争。居二年,二弟出走,公子夏逃楚,公子尾走晋。景公与晏子遊於少海,登栢寝之台而還望其国,曰:「美哉!泱泱乎,堂堂乎!後世将孰有此?」晏子対曰:「其田成氏乎!」景公曰:「寡人有此国也,而曰田成氏有之,何也?」晏子対曰:「夫田成氏甚得斉民。其於民也,上之請爵禄行諸大臣,下之私大斗斛区釜以出貸,小斗斛区釜以収之。殺一牛,取一豆肉,余以食士。終歳,布帛取二制焉,余以衣士。
書き下し
故に能く人をして疽を弾せしむる者は、必ず其の痛みを忍ぶ者なり。一。之を賞し之を誉むるも勧まず、之を罰し之を毀るも畏れず、四者加ふるも変ぜざれば、則ち其れ之を除け。斉の景公晋に之き、平公に従ひて飲む、師曠侍坐す。景公政を師曠に問ひて曰く、「太師将に奚を以て寡人に教へんとする」と。師曠曰く、「君必ず民に恵むのみ」と。中坐し、酒酣にして、将に出でんとするに、又復た政を師曠に問ひて曰く、「太師奚を以て寡人に教ふる」と。曰く、「君必ず民に恵むのみ」と。景公出でて舍に之く、師曠之を送る、又政を師曠に問ふ。師曠曰く、「君必ず民に恵むのみ」と。景公帰りて、思ひ、未だ醒めずして、師曠の謂ふ所を得たり。公子尾・公子夏なる者は、景公の二弟なり、甚だ斉民を得、家富貴にして民之を説び、公室に擬す、此れ吾が位を危ふくする者なり。今我に民に恵めと謂ふは、我をして二弟と民を争はしめんとするか、と。是に於て国に反り、廩粟を発して以て衆貧に賦し、府の余財を散じて以て孤寡に賜ひ、倉に陳粟無く、府に余財無く、宮婦の御せざる者は出して之を嫁せしめ、七十には禄米を受けしむ。徳を鬻ぎ恵を民に施して、已に二弟と争ふ。居ること二年、二弟出で走り、公子夏は楚に逃れ、公子尾は晋に走る。景公晏子と少海に遊び、栢寝の台に登りて還りて其の国を望みて曰く、「美なるかな、泱泱乎、堂堂乎。後世将に孰か此れを有たんとする」と。晏子対へて曰く、「其れ田成氏か」と。景公曰く、「寡人此の国を有つなり、而るに田成氏之を有たんと曰ふは、何ぞや」と。晏子対へて曰く、「夫れ田成氏は甚だ斉民を得たり。其の民に於けるや、上は爵禄を請ひて諸を大臣に行ひ、下は私に斗斛区釜を大にして以て出だし貸し、斗斛区釜を小にして以て之を収む。一牛を殺せば、一豆の肉を取り、余は以て士に食はしむ。歳を終ふれば、布帛は二制を取り、余は以て士に衣しむ。
現代語訳
だから、人に腫れ物を石針で突かせることができるのは、必ずその痛みを我慢できる者である(第三の經の結び)。(以下、說)その一。賞しても誉めても励まず、罰しても謗っても恐れず、この四つを加えても変わらない者は、取り除くがよい。斉の景公が晋に行き、晋の平公と酒を飲んだとき、楽師の師曠が同席していた。景公が師曠に政治を問うて「太師は私に何を教えてくださるか」と言うと、師曠は「君はただ民に恵みを施されればよいのです」と答えた。宴の半ば、酒がまわって退出しようとするとき、景公はまた師曠に政治を問うて「太師は私に何を教えてくださるか」と言うと、「君はただ民に恵みを施されればよいのです」と答えた。景公が宴を出て宿舎に向かうと、師曠が見送ったので、また政治を問うた。師曠は「君はただ民に恵みを施されればよいのです」と答えた。景公は国に帰る途中、考え込み、酔いがさめないうちに師曠の言わんとするところを悟った。公子尾と公子夏は景公の二人の弟で、斉の民の心をよくつかみ、家は富み栄え、民に慕われて、公室と肩を並べるほどだった。これこそ自分の位を危うくする者だ。いま私に民に恵めと言うのは、私に二人の弟と民を奪い合わせようというのだ、と。そこで国に帰ると、米倉を開いて多くの貧民に分け与え、府庫の余った財貨を散じて孤児や寡婦に賜り、倉には古い米もなく、府庫には余った財もなくなった。お手のつかない宮女は宮中から出して嫁がせ、七十歳の者には禄米を与えた。恵みを施して民の心を買い、弟たちと張り合った。二年たつと、二人の弟は国外に逃げ、公子夏は楚に逃れ、公子尾は晋に走った。景公が晏子と少海に遊び、柏寝の台に登って振り返って自分の国を眺め、「美しいことよ。広々として、堂々たるものだ。後の世に誰がこれを持つのだろうか」と言った。晏子は「おそらく田成氏でしょう」と答えた。景公が「私がこの国を持っているのに、田成氏が持つだろうと言うのはなぜか」と言うと、晏子は答えた。「田成氏は斉の民の心をよくつかんでいます。民に対しては、上には爵禄を請うて大臣たちに行き渡らせ、下には私的に升や枡を大きくして貸し出し、小さい枡で取り立てています。牛を一頭殺せば、自分は一皿の肉だけを取り、残りは士に食べさせます。年の終わりには、布帛は二制(一反分)だけ取り、残りは士に着せています。
解説
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『韓非子』外儲説右上第三十四故に市の木の価は、山より貴きを加へず。沢の魚塩亀鼈蠃𧉻は、海より貴からず。君は重く斂めて、田成氏は厚く施す。斉嘗て大いに饑ゑ、道旁に餓死する者勝げて数ふ可からざるなり、父子相牽きて田成氏に趨く者は生きざるを聞かず。故に秦周の民相与に之を歌ひて曰く、『謳はんか、其れ已まんか。苞はんか、其れ往きて田成子に帰せんか』と。『詩』に曰く、『女に与ふる徳無しと雖も、式て歌ひ且つ舞はん』と。今田成氏の徳ありて民之に歌舞す、民の徳之に帰す。故に曰く、『其れ田成氏か』と」と。公泫然として涕を出して曰く、「亦悲しからずや。寡人国を有ちて田成氏之を有たんとす。今之を為すこと奈何」と。晏子対へて曰く、「君何ぞ患へん。若し君之を奪はんと欲せば、則ち賢に近づきて不肖を遠ざけ、其の煩乱を治め、其の刑罰を緩め、貧窮を振ひて孤寡を恤み、恩恵を行ひて不足に給せば、民将に君に帰せんとす、則ち十田成氏有りと雖も、其れ君を如何せん」と。或ひと曰く、景公は勢を用ふることを知らず、而して師曠・晏子は患を除くことを知らず。夫れ猟する者は、車輿の安きに託し、六馬の足を用ひ、王良をして轡を佐けしむれば、則ち身労せずして軽獣に及び易し。今車輿の利を釈て、六馬の足と王良の御とを捐てて、下りて走りて獣を逐はば、則ち楼季の足と雖も時として獣に及ぶ無し。良馬固車に託すれば、則ち臧獲も余り有り。国なる者は、君の車なり。勢なる者は、君の馬なり。夫れ勢に処りて以て擅愛の臣を禁誅せずして、必ず徳厚くして以て天下と行を斉しくして以て民を争ふは、是れ皆君の車に乗らず、馬の利に因らず、車を舍てて下り走る者なり。故に曰く、景公は勢を用ふることを知らざるの主なり、而して師曠・晏子は患を除くことを知らざるの臣なり、と。子夏曰く、「『春秋』の臣の君を殺し、子の父を殺すを記するは、十を以て数ふ。皆一日の積に非ず、漸有りて以て至るなり」と。
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『韓非子』外儲説右下第三十五田連・成竅は、天下の善く琴を鼓する者なり、然り而して田連上を鼓し、成竅下を擑して曲を成す能はざるは、亦共にするが故なり。夫れ王良・造父の巧を以てするも、轡を共にして御すれば、馬を使ふ能はず、人主安んぞ能く其の臣と権を共にして以て治を為さん。田連・成竅の巧を以てするも、琴を共にすれば曲を成す能はず、人主又安んぞ能く其の臣と勢を共にして以て功を成さんや。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇馬服成す、駕を圃中に効す。渇馬圃池を見、車を去りて池に走る、駕敗る。王子於期趙簡主の為に道を取りて千里の表を争ふ、其の始めて発するや、彘溝中に伏す、王子於期轡筴を斉へて之を進む、彘溝中より突出す、馬驚きて駕敗る。司城子罕宋君に謂ひて曰く、「慶賞賜与は、民の喜ぶ所なり、君自ら之を行へ。殺戮誅罰は、民の悪む所なり、臣請ふ之に当たらん」と。宋君曰く、「諾」と。是に於て威今を出だし、大臣を誅するに、君「子罕に問へ」と曰ふなり。是に於て大臣之を畏れ、細民之に帰す。処ること期年、子罕宋君を殺して政を奪ふ。故に子罕出彘と為りて以て其の君の国を奪ふ。簡公上位に在り、罰重くして誅厳しく、賦斂を厚くして民を殺戮す。田成恒慈愛を設け、寛厚を明らかにす。簡公斉民を以て渇馬と為し、恩を以て民に加へず、而して田成恒仁厚を以て圃池と為すなり。一に曰く、造父斉王の為に駙駕し、渇を以て馬を服し、百日にして服成る。服成りて、駕を斉王に効さんことを請ふ、王曰く、「駕を圃中に効せ」と。造父車を駆りて圃に入る、馬圃池を見て走る、造父禁ずる能はず。造父渇を以て馬を服すること久し、今馬池を見て、駻して走る、造父と雖も治むる能はず。今簡公の法を以て其の衆を禁ずること久し、而して田成恒之を利す、是れ田成恒圃池を傾けて渇民に示すなり。
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『韓非子』外儲説右上第三十四君の臣を治むる所以の者に三有り。一。勢以て化するに足らざれば則ち之を除く。師曠の対、晏子の説は、皆勢の易きを舍てて行の難きを道ふなり、是れ獣と逐ひ走るなり、未だ患を除くことを知らず。患の除く可きは、子夏の『春秋』を説くに在るなり。
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『韓非子』難三第三十八今功有る者は必ず賞せらる、賞せらるる者は君に得とせず、力の致す所なればなり。罪有る者は必ず誅せらる、誅せらるる者は上を怨みず、罪の生ずる所なればなり。民、誅賞の皆身より起こるを知る、故に功利を業に疾くし、而して賜を君に受けず。「太上は、下之有るを智る」。此れ太上の下民は説ぶ無きを言ふなり、安んぞ恵を懐ふの民を取らん。上君の民は利害無し、説くに「近きを悦ばし遠きを来たす」を以てするも、亦舎てて可なり。哀公に臣有り、外は障距し内は比周して以て其の君を愚にす、而して之に説くに「賢を選ぶ」を以てす。此れ功伐の論に非ざるなり、其の心の所謂賢なる者を選ぶなり。哀公をして三子の外は障距し内は比周するを知らしめば、則ち三子は一日も立たざらん。哀公は賢を選ぶを知らず、其の心の所謂賢を選ぶ、故に三子事に任ずるを得たり。燕の子噲は子之を賢として孫卿を非とす、故に身死して僇と為る。夫差は太宰嚭を智として子胥を愚とす、故に越に滅ぼさる。魯君必ずしも賢を知らず、而して説くに賢を選ぶを以てするは、是れ哀公をして夫差・燕噲の患有らしむるなり。明君は自ら臣を挙げず、臣相進むるなり。自ら賢とせず、功自ら徇ふなり。之を任に論じ、之を事に試み、之を功に課す、故に群臣公政にして私無く、賢を隠さず、不肖を進めず。然らば則ち人主奚ぞ賢を選ぶに労せん。景公は百乗の家を以て賜ふ、而して説くに「財を節す」を以てするは、是れ景公をして術以て富の侈を知る無くして、独り上に倹ならしむるなり、未だ貧を免れざるなり。君有りて千里を以て其の口腹を養ふも、則ち桀・紂と雖も侈とせず。斉国は方三千里にして桓公其の半ばを以て自ら養ふ、是れ桀・紂より侈なり。然り而して能く五覇の冠と為る者は、侈倹の地を知ればなり。君と為りて下を禁ずる能はずして自ら禁ずる者、之を劫と謂ひ、下を飾る能はずして自ら飾る者、之を乱と謂ひ、下を節せずして自ら節する者、之を貧と謂ふ。
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『韓非子』難三第三十八貴妾をして后に二せしめざるは、二難なり。愛孽をして正適を危ふくせしめず、専ら一臣に聴きて敢て君に偶せしめざる、此れ則ち三難と謂ふべきなり。葉公子高、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は近きを悦ばして遠きを来たすに在り。」哀公、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は賢を選ぶに在り。」斉の景公、政を仲尼に問ふ。仲尼曰く、「政は財を節するに在り。」三公出づ。子貢問ひて曰く、「三公、夫子に政を問ふは一なり。夫子の之に対ふること同じからざるは、何ぞや。」仲尼曰く、「葉は都大にして国小なり、民に背心有り。故に曰く『政は近きを悦ばして遠きを来たすに在り』と。魯の哀公には大臣三人有り、外は諸侯四隣の士を障距し、内は比周して以て其の君を愚にし、宗廟をして掃除せず、社稷をして血食せざらしむる者は、必ず是の三臣なり。故に曰く『政は賢を選ぶに在り』と。斉の景公は雍門を築き、路寝を為り、一朝にして三百乗の家を以て賜ふ者三たび。故に曰く『政は財を節するに在り』と。」或ひと曰く、仲尼の対は、亡国の言なり。葉の民倍心有り、而して之に説くに「近きを悦ばして遠きを来たす」を以てするは、則ち是れ民に恵を懐ふを教ふるなり。恵の政為る、功無き者賞を受け、罪有る者免る。此れ法の敗るる所以なり。法敗れて政乱る。乱政を以て敗民を治むるは、未だ其の可なるを見ざるなり。且つ民に倍心有るは、君上の明、及ばざる所有ればなり。葉公の明を紹がずして、之をして近きを悦ばして遠きを来たさしむるは、是れ吾が勢の能く禁ずる所を舎てて、下と恵を行ひて以て民を争はしむるなり、能く勢を持する者に非ざるなり。夫れ堯の賢は、六王の冠なり。舜一たび徙りて邑を成し、而して堯天下無し。人有りて術以て下を禁ずる無く、舜と為りて其の民を失はざるを恃むは、亦術無からずや。明君は小姦を微に見る、故に民に大謀無し。小誅を細に行ふ、故に民に大乱無し。此れを「難きを其の易きに図り、大を其の細に為す」と謂ふなり。
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