韓非子 / 外儲說左下第三十三
又何賀?」管仲相齊,曰:「臣貴矣,然而臣貧。」桓公曰:「使子有三歸之家。」曰:「臣富矣,然而臣卑。」桓公使立於高、國之上。曰:「臣尊矣,然而臣踈。」乃立爲仲父。孔子聞而非之曰:「泰侈偪上。」一曰:管仲父出,朱蓋青衣,置鼓而歸,庭有陳鼎,家有三歸。孔子曰:「良大夫也,其侈偪上。」孫叔敖相楚,棧車牝馬,糲餅菜羮,枯魚之膳,冬羔裘,夏葛衣,面有飢色,則良大夫也。其儉偪下。陽虎去齊走趙,簡主問曰:「吾聞子善樹人。」虎曰:「臣居魯,樹三人,皆爲令尹;及虎扺罪於魯,皆搜索於虎也。臣居齊,薦三人,一人得近王,一人爲縣令,一人爲候吏;及臣得罪,近王者不見臣,縣令者迎臣執縛,候吏者追臣至境上,不及而止。
新字:又何賀?」管仲相斉,曰:「臣貴矣,然而臣貧。」桓公曰:「使子有三帰之家。」曰:「臣富矣,然而臣卑。」桓公使立於高、国之上。曰:「臣尊矣,然而臣疎。」乃立為仲父。孔子聞而非之曰:「泰侈偪上。」一曰:管仲父出,朱蓋青衣,置鼓而帰,庭有陳鼎,家有三帰。孔子曰:「良大夫也,其侈偪上。」孫叔敖相楚,棧車牝馬,糲餅菜羹,枯魚之膳,冬羔裘,夏葛衣,面有飢色,則良大夫也。其倹偪下。陽虎去斉走趙,簡主問曰:「吾聞子善樹人。」虎曰:「臣居魯,樹三人,皆為令尹;及虎扺罪於魯,皆捜索於虎也。臣居斉,薦三人,一人得近王,一人為県令,一人為候吏;及臣得罪,近王者不見臣,県令者迎臣執縛,候吏者追臣至境上,不及而止。
書き下し
又何ぞ賀せん。」管仲斉に相たり、曰く、「臣貴し、然れども臣貧し。」桓公曰く、「子をして三帰の家を有たしめん。」曰く、「臣富めり、然れども臣卑し。」桓公高・国の上に立たしむ。曰く、「臣尊し、然れども臣疏し。」乃ち立てて仲父と為す。孔子聞きて之を非りて曰く、「泰侈上に偪る。」一に曰く、管仲父出づるに、朱蓋青衣、鼓を置きて帰り、庭に陳鼎有り、家に三帰有り。孔子曰く、「良大夫なり、其の侈上に偪る。」孫叔敖楚に相たり、棧車牝馬、糲餅菜羹、枯魚の膳、冬は羔裘、夏は葛衣、面に飢色有り、則ち良大夫なり。其の倹下に偪る。陽虎斉を去りて趙に走る、簡主問ひて曰く、「吾聞く子善く人を樹つと。」虎曰く、「臣魯に居り、三人を樹つ、皆令尹と為る。虎の罪を魯に抵すに及び、皆虎を捜索するなり。臣斉に居り、三人を薦む、一人は王に近づくを得、一人は県令と為り、一人は候吏と為る。臣の罪を得るに及び、王に近き者は臣に見えず、県令なる者は臣を迎へて執縛し、候吏なる者は臣を追ひて境上に至り、及ばずして止む。
現代語訳
(苗賁皇は続けた。爵禄は功を示すためのものなのに、それを使わないのは主君の恩を損なうことだ。)いったい何を祝うことがあろう。」管仲が斉の宰相になると、「私は位は高くなりましたが、貧しいままです」と言った。桓公は「あなたに三帰の邸宅を持たせよう」と言った。管仲は「私は富みましたが、身分が低いままです」と言った。桓公は彼を高氏・国氏という重臣の上に立たせた。管仲は「私は尊くなりましたが、主君との間柄が疎遠です」と言った。そこで桓公は彼を仲父として立てた。孔子はこれを聞いて非難した。「贅沢が過ぎて、上の主君に迫っている。」別の伝えでは、こうである。管仲は外出するとき、朱色の車蓋に青い衣で、太鼓を鳴らして帰り、庭には鼎を並べ、家には三帰の邸宅があった。孔子は言った。「良い大夫だが、その贅沢は上に迫っている。」孫叔敖が楚の宰相になると、粗末な車に雌馬をつけ、玄米の餅に野菜の吸い物、干し魚の膳をとり、冬は子羊の皮衣、夏は葛の衣を着て、顔には飢えの色があった。良い大夫ではあるが、その倹約は下の者に迫っている。陽虎が斉を去って趙に逃げて来たとき、趙の簡子が尋ねた。「聞けばあなたは人を育てて取り立てるのがうまいそうだな。」陽虎は言った。「私は魯にいたとき三人を取り立て、みな長官になりました。ところが私が魯で罪を得ると、みな私を捜し回りました。斉にいたときも三人を推薦し、一人は王の側近になり、一人は県令になり、一人は国境の見張り役人になりました。ところが私が罪を得ると、王の側近は私に会おうとせず、県令は私を出迎えて縛り上げ、見張り役人は私を国境まで追いかけ、追いつけずにようやく止めたのです。
解説
関連する章句
-
『韓非子』外儲說左下第三十三陽虎議して曰く、「主賢明なれば、則ち心を悉くして以て之に事ふ。不肖なれば、則ち姦を飾りて之を試む。」魯に逐はれ、斉に疑はれ、走りて趙に之く、趙の簡主迎へて之を相とす。左右曰く、「虎善く人の国政を竊む、何の故に相とするや。」
-
孔子家語・曲禮子貢問子貢問いて曰く、「管仲は奢に失し、晏子は倹に失す。其の倶に失するを与うるに、二者孰れか賢れる」と。孔子曰く、「管仲は簋を鏤め朱纮し、樹を旅て坫を反す、山節藻梲、賢大夫なり、而れども上為り難し。晏平仲は其の先祖を祀るに、豚肩豆を揜わず、一狐裘三十年、賢大夫なり、而れども下為り難し。君子は上は下に僭さず、下は上に偪らず」と。
-
『韓非子』難一第三十六霄略曰く、「管仲賤を以て貴を治む可からずと為す、故に高・国の上を請ふ。貧を以て富を治む可からずと為す、故に三帰を請ふ。䟽を以て親を治む可からずと為す、故に仲父に処る。管仲は貪るに非ず、以て治に便するなり」と。或ひと曰く、今臧獲をして君令を奉じて卿相に詔げしむれば、敢て聴かざる莫し、卿相卑しくして臧獲尊きに非ざるなり、主令の加はる所、敢て従はざる莫きなり。今管仲の治をして桓公に縁らざらしめば、是れ君無きなり、国君無ければ以て治を為す可からず。若し桓公の威を負ひ、桓公の令を下さば、是れ臧獲の信ぜらるる所以なり、奚ぞ高・国・仲父の尊きを待ちて後に行はれんや。当世の事を行ひ、都丞の徴令を下す者は、尊貴を辟けず、卑賤に就かず。故に之を行ひて法ならば、巷伯と雖も卿相に信ぜらる。之を行ひて法に非ざれば、大吏と雖も民萌に詘す。今管仲尊主明法を務めずして、寵を増し爵を益すを事とす、是れ管仲富貴を貪欲するに非ざれば、必ず闇くして術を知らざるなり。故に曰く、管仲に失行有り、霄略に過誉有り、と。韓の宣王樛留に問ふ、「吾公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。樛留対へて曰く、「昔魏は楼・翟を両用して西河を亡ひ、楚は昭・景を両用して鄢・郢を亡ふ。今君公仲・公叔を両用せば、此れ必ず将に事を争ひて外に市せんとす、則ち国必ず憂へん」と。或ひと曰く、昔者斉の桓公管仲・鮑叔を両用し、成湯伊尹・仲虺を両用す。夫れ臣を両用するは国の憂ひならば、則ち是れ桓公は霸たらず、成湯は王たらざるなり。湣王一たび淖歯を用ひて、身東廟に死し、主父一たび李兌を用ひて、食を減ぜられて死す。
-
『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
-
『韓非子』外儲說左下第三十三封人因りて竊かに仲に謂ひて曰く、「適ま幸ひにして、斉に及びて死せずして斉に用ひられば、将に何を以て我に報いんとする。」曰く、「子の言の如くんば、我且に賢を之れ用ひ、能を之れ使ひ、労を之れ論ぜんとす。我何を以て子に報いん。」封人之を怨む。
-
『韓非子』外儲說左下第三十三桓公吏を置くことを管仲に問ふ、管仲曰く、「辞に弁察し、貨に清潔にして、人情に習ふこと、夷吾は絃商に如かず、請ふ立てて以て大理と為さん。登降粛譲し、以て礼を明らかにして賓を待つこと、臣は隰朋に如かず、請ふ立てて以て大行と為さん。草を墾き邑を仞め、地を辟き粟を生ずること、臣は甯戚に如かず、請ふ以て大田と為さん。三軍既に陣を成し、士をして死を視ること帰するが如くならしむること、臣は公子成父に如かず、請ふ以て大司馬と為さん。顔を犯し諫を極むること、臣は東郭牙に如かず、請ふ立てて以て諫臣と為さん。