韓非子 / 外儲說左下第三十三
故曰:不在所與居,在所與謀也。」孔子御坐於魯哀公,哀公賜之桃與黍。哀公曰:「請用。」仲尼先飯黍而後啗桃,左右皆揜口而笑。哀公曰:「黍者,非飯之也,以雪桃也。」仲尼對曰:「丘知之矣。夫黍者,五穀之長也,祭先王爲上盛。果蓏有六,而桃爲下,祭先王不得入廟。丘之聞也,君子以賤雪貴,不聞以貴雪賤。今以五穀之長雪菓蓏之下,是以上雪下也。丘以爲妨義,故不敢以先於宗廟之盛也。」簡主謂左右:「車席泰美。夫冠雖賤,頭必戴之;屨雖貴,足必履之。今車席如此,太美,吾將何屩以履之?夫美下而耗上,妨義之本也。」費仲說紂曰:「西伯昌賢,百姓悅之,諸侯附焉,不可不誅;不誅,必爲殷禍。」紂曰:「子言,義主,何可誅?」費仲曰:「冠雖穿弊,必戴於頭;履雖五采,必踐之於地。今西伯昌,人臣也,修義而人向之。卒爲天下患,其必昌乎?人臣不以其賢爲其主,非可不誅也。且主而誅臣,焉有過?」紂曰:「夫仁義者,上所以勸下也。今昌好仁義,誅之不可。」三說不用,故亡。齊宣王問匡倩曰:「儒者博乎?」曰:「不也。」王曰:「何也?」匡倩對曰:「博貴梟,勝者必殺梟。殺梟者,是殺所貴也。儒者以爲害義,故不博也。」又問曰:「儒者弋乎?」曰:「不也。弋者,從下害於上者也,是從下傷君也。
新字:故曰:不在所与居,在所与謀也。」孔子御坐於魯哀公,哀公賜之桃与黍。哀公曰:「請用。」仲尼先飯黍而後啗桃,左右皆揜口而笑。哀公曰:「黍者,非飯之也,以雪桃也。」仲尼対曰:「丘知之矣。夫黍者,五穀之長也,祭先王為上盛。果蓏有六,而桃為下,祭先王不得入廟。丘之聞也,君子以賤雪貴,不聞以貴雪賤。今以五穀之長雪菓蓏之下,是以上雪下也。丘以為妨義,故不敢以先於宗廟之盛也。」簡主謂左右:「車席泰美。夫冠雖賤,頭必戴之;屨雖貴,足必履之。今車席如此,太美,吾将何屩以履之?夫美下而耗上,妨義之本也。」費仲説紂曰:「西伯昌賢,百姓悦之,諸侯附焉,不可不誅;不誅,必為殷禍。」紂曰:「子言,義主,何可誅?」費仲曰:「冠雖穿弊,必戴於頭;履雖五采,必践之於地。今西伯昌,人臣也,修義而人向之。卒為天下患,其必昌乎?人臣不以其賢為其主,非可不誅也。且主而誅臣,焉有過?」紂曰:「夫仁義者,上所以勧下也。今昌好仁義,誅之不可。」三説不用,故亡。斉宣王問匡倩曰:「儒者博乎?」曰:「不也。」王曰:「何也?」匡倩対曰:「博貴梟,勝者必殺梟。殺梟者,是殺所貴也。儒者以為害義,故不博也。」又問曰:「儒者弋乎?」曰:「不也。弋者,従下害於上者也,是従下傷君也。
書き下し
故に曰く、与に居る所に在らず、与に謀る所に在るなり。」孔子魯の哀公に御坐す、哀公之に桃と黍とを賜ふ。哀公曰く、「請ふ用ひよ。」仲尼先づ黍を飯して後に桃を啗ふ、左右皆口を揜ひて笑ふ。哀公曰く、「黍は、之を飯するに非ざるなり、以て桃を雪ふなり。」仲尼対へて曰く、「丘之を知れり。夫れ黍は、五穀の長なり、先王を祭るに上盛と為す。果蓏六有り、而して桃を下と為す、先王を祭るに廟に入るを得ず。丘の聞くや、君子は賤を以て貴を雪ふ、貴を以て賤を雪ふを聞かず。今五穀の長を以て果蓏の下を雪ふは、是れ上を以て下を雪ふなり。丘以て義を妨ぐと為す、故に敢て以て宗廟の盛に先んぜざるなり。」簡主左右に謂ふ、「車席泰だ美なり。夫れ冠は賤しと雖も、頭必ず之を戴く。屨は貴しと雖も、足必ず之を履む。今車席此の如く、太だ美なり、吾将に何の屩か以て之を履まんとする。夫れ下を美にして上を耗らすは、義を妨ぐるの本なり。」費仲紂に説きて曰く、「西伯昌は賢なり、百姓之を悦び、諸侯焉に附く、誅せざるべからず。誅せずんば、必ず殷の禍と為らん。」紂曰く、「子の言ふ、義主なり、何ぞ誅すべけんや。」費仲曰く、「冠は穿弊すと雖も、必ず頭に戴く。履は五采なりと雖も、必ず之を地に践む。今西伯昌は、人臣なり、義を修めて人之に向ふ。卒に天下の患と為るは、其れ必ず昌ならんか。人臣其の賢を以て其の主の為にせざれば、誅せざるべきに非ざるなり。且つ主にして臣を誅す、焉んぞ過有らん。」紂曰く、「夫れ仁義は、上の下を勧むる所以なり。今昌仁義を好む、之を誅するは不可なり。」三たび説きて用ひられず、故に亡ぶ。斉の宣王匡倩に問ひて曰く、「儒者は博するか。」曰く、「不なり。」王曰く、「何ぞや。」匡倩対へて曰く、「博は梟を貴ぶ、勝つ者は必ず梟を殺す。梟を殺すは、是れ貴ぶ所を殺すなり。儒者以て義を害すと為す、故に博せざるなり。」又問ひて曰く、「儒者は弋するか。」曰く、「不なり。弋は、下より上を害する者なり、是れ下より君を傷つくるなり。
現代語訳
(顔涿聚は答えた。)「だから、身の安全は誰とともに暮らすかにあるのではなく、誰とともに謀るかにあるというのです。」孔子が魯の哀公のそばに侍っていたとき、哀公は孔子に桃と黍を与え、「どうぞ召し上がれ」と言った。孔子はまず黍を食べ、それから桃を食べたので、側近はみな口を覆って笑った。哀公は言った。「黍は食べるものではなく、桃を拭いて清めるためのものだ。」孔子は答えた。「私もそれは承知しております。そもそも黍は五穀の筆頭で、先王を祭るときの最上の供え物です。果物は六種あり、桃はその最下位で、先王を祭るときにも廟に入れられません。私の聞くところでは、君子は賤しいもので貴いものを清めることはあっても、貴いもので賤しいものを清めるとは聞いたことがありません。今、五穀の筆頭で果物の最下位を清めるのは、上のもので下のものを清めることです。私はそれが義を損なうと考えたので、宗廟の供え物である黍を桃より後回しにしなかったのです。」趙の簡子が側近に言った。「車の敷物が美しすぎる。冠は安物でも必ず頭にかぶり、靴は高価でも必ず足で踏む。今、車の敷物がこれほど美しいのでは、私はどんな草鞋を履いてこれを踏めばよいのか。下のものを美しくして上のものを損なうのは、義を損なう元である。」費仲が殷の紂王に説いた。「西伯昌(のちの周の文王)は賢く、民は彼を慕い、諸侯も彼になびいています。誅殺しなければなりません。誅殺しなければ、必ず殷の禍いとなりましょう。」紂王は言った。「お前の言うとおりなら、彼は義のある君主ではないか。どうして誅殺できようか。」費仲は言った。「冠は穴が開いて破れていても必ず頭にかぶり、靴は五色の美しい模様があっても必ず地面で踏みます。今、西伯昌は臣下の身でありながら、義を修めて人々が彼に向かっています。最後に天下の災いとなるのは、きっと昌でしょう。臣下が自分の賢さを主君のために使わないのなら、誅殺しないわけにはいきません。それに主君が臣下を誅して、何の過ちがありましょう。」紂王は言った。「そもそも仁義とは、上の者が下の者に勧めるものだ。今、昌は仁義を好んでいる。彼を誅殺するのはよくない。」費仲は三度説いたが用いられず、そのため殷は滅んだ。斉の宣王が匡倩に尋ねた。「儒者は双六をするか。」匡倩は「しません」と言った。王が「なぜか」と言うと、匡倩は答えた。「双六は梟という駒を貴びますが、勝つ者は必ず梟を殺します。梟を殺すのは、貴いものを殺すことです。儒者はそれが義を損なうと考えるので、双六をしないのです。」王はまた尋ねた。「儒者は鳥を射るか。」匡倩は言った。「しません。鳥を射るのは、下から上のものを害することで、下から君主を傷つけることになります。
解説
関連する章句
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」
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『韓非子』外儲説右上第三十四凡そ姦なる者は、行ふこと久しくして積を成し、積成りて力多く、力多くして能く殺す、故に明主は蚤く之を絶つ。今田常の乱を為すや、漸見はるること有り、而るに君誅せず。晏子は其の君をして侵陵の臣を禁ぜしめずして、其の主をして恵を行はしむ、故に簡公其の禍を受く。故に子夏曰く、「善く勢を持する者は、蚤く姦の萌を絶つ」と。季孫魯に相たり、子路郈の令たり。魯五月を以て衆を起こして長溝を為る、此の為に当たりて、子路其の私の秩粟を以て漿飯を為り、溝を作る者を五父の衢に要へて之に飡はしむ。孔子之を聞き、子貢をして往きて其の飯を覆し、其の器を撃毀せしめて、曰く、「魯君民を有つ、子奚為れぞ乃ち之に飡はしむる」と。子路怫然として怒り、肱を攘ひて入り、請ひて曰く、「夫子は由の仁義を為すを疾むか。夫子に学ぶ所の者は、仁義なり。仁義なる者は、天下と其の有する所を共にして其の利を同じくする者なり。今由の秩粟を以て民に飡はしむるを不可とするは、何ぞや」と。孔子曰く、「由の野なるや。吾女を以て之を知ると為せしに、女徒だ未だ及ばざるなり。女故より是の如く礼を知らざるなり。女の之に飡はしむるは、之を愛するが為なり。夫れ礼は、天子は天下を愛し、諸侯は境内を愛し、大夫は官職を愛し、士は其の家を愛す、其の愛する所を過ぐるを侵と曰ふ。今魯君民を有ちて子擅に之を愛す、是れ子侵すなり、亦誣ならずや」と。言未だ卒らざるに、季孫の使者至り、譲めて曰く、「肥や民を起こして之を使ふに、先生弟子をして徒役に令して之に飡はしむ、将に肥の民を奪はんとするか」と。孔子駕して魯を去る。孔子の賢を以てして、季孫は魯君に非ざるも、人臣の資を以て、人主の術を仮りて、蚤く未形に禁じて、子路其の私恵を行ふを得ずして、害生ずるを得ず、況んや人主をや。景公の勢を以て田常の侵を禁ぜば、則ち必ず劫弑の患無からん。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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『韓非子』內儲說下六微第三十一左右に私かに善からざる者有り、乃ち之が為に王に請ひて曰く、「公子甚だ貧しく、馬甚だ痩す、王何ぞ之に馬食を益さざる。」王許さず。左右因りて微かに夜芻廐を焼かしむ。王以て賤公子と為すや、乃ち之を誅す。魏に老儒有りて済陽君に善からず。客に老儒と私怨有る者有り、因りて老儒を攻めて之を殺し、以て済陽君に徳として曰く、「臣其の君に善からざるが為なり、故に君の為に之を殺せり。」済陽君因りて察せずして之を賞す。一に曰く、済陽君に少庶子有り、知られずして君に愛を入れんと欲する者有り。斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、済陽の少庶子以て功と為さんと欲し、入りて君に見えて曰く、「斉老儒をして薬を馬梨の山に掘らしむ、名は薬を掘るなるも、実は君の国を間するなり。君之を殺さずんば、是れ将に済陽君を以て罪を斉に抵さんとす。臣請ふ之を刺さん。」君曰く、「可なり。」是に於て明日之を城陰に得て之を刺す、済陽君還りて益ます之を親しむ。四。陳需は、魏王の臣なり、荊王に善し、而して荊をして魏を攻めしむ。荊魏を攻む、陳需因りて魏王の為に行きて之を解かんことを請ひ、因りて荊の勢を以て魏に相たり。韓の昭侯の時、黍種嘗て貴きこと甚し。昭侯人をして廩を覆さしむ、吏果して黍種を竊みて之を糶ること甚だ多し。昭奚恤の荊に用ひらるるや、倉廥窌を焼く者有りて其の人を知らず。昭奚恤吏をして茅を販ぐ者を執へて之を問はしむ、果して焼けり。昭僖侯の時、宰人食を上るに羹中に生肝有り、昭侯宰人の次を召して之を誚めて曰く、「若何為れぞ生肝を寡人の羹中に置く。」宰人頓首して死罪に服して曰く、「竊かに尚宰人を去らんと欲するなり。」一に曰く、僖侯浴す、湯中に礫有り。僖侯曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち当に代るべき者有るか。」左右対へて曰く、「有り。」僖侯曰く、「召して来れ。」之を譙めて曰く、「何為れぞ礫を湯中に置く。」対へて曰く、「尚浴免ぜらるれば、則ち臣之に代るを得ん、是を以て礫を湯中に置く。」
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『韓非子』外儲說左上第三十二孔子曰く、「人君為る者は猶ほ盂のごときなり、民は猶ほ水のごときなり。盂方なれば水方に、盂圜なれば水圜なり。」鄒君長纓を服することを好み、左右皆長纓を服す、纓甚だ貴し。鄒君之を患ひ、左右に問ふ、左右曰く、「君服することを好めば、百姓亦多く服す、是を以て貴し。」君因りて先づ自ら其の纓を断ちて出づ、国中皆長纓を服せず。君下令して百姓の為に服度を為して以て之を禁ずること能はず、纓を断ちて出でて以て民に先んじて示す、是れ先づ戮して以て民に蒞むなり。叔向猟を賦す、功多き者は多きを受け、功少き者は少きを受く。韓の昭侯申子に謂ひて曰く、「法度甚だ行ひ易からざるなり。」申子曰く、「法は、功を見て賞を与へ、能に因りて官を受く。今君法度を設けて左右の請を聴く、此れ行ひ難き所以なり。」昭侯曰く、「吾今より以来法を行ふを知れり、寡人奚ぞ聴かん。」一日、申子其の従兄を官に仕へしめんことを請ふ。昭侯曰く、「子に学ぶ所に非ざるなり。子の謁を聴きて、子の道を敗らんか、亡た子の謁を用ひんか。」申子舎を辟けて罪を請ふ。六。晋の文公原を攻む、十日の糧を裹み、遂に大夫と十日を期す。原に至りて十日にして原下らず、金を撃ちて退き、兵を罷めて去る。士に原中より出づる者有り、曰く、「原三日にして即ち下らん。」群臣左右諫めて曰く、「夫れ原の食竭き力尽く、君姑く之を待て。」公曰く、「吾士と十日を期す、去らずんば、是れ吾が信を亡ふなり。原を得て信を失ふは、吾為さざるなり。」遂に兵を罷めて去る。原人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、帰する無かるべけんや。」乃ち公に降る。衛人聞きて曰く、「君の彼の如く其れ信なる有り、従ふ無かるべけんや。」乃ち公に降る。孔子聞きて之を記して曰く、「原を攻めて衛を得たる者は、信なり。」文公箕鄭に問ひて曰く、「餓を救ふこと奈何。」対へて曰く、「信なり。」公曰く、「安んぞ信ならん。」曰く、「名に信に、事に信に、義に信なり。
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の間に困しみ、環堵の内に居り、三経の席を席とし、七日食らわず、藜羹に糝せず、弟子皆饑色有れども、詩書を読み礼を治めて休まず。子路進み諫めて曰く、「凡そ人の善を為す者は天福を以て報い、不善を為す者は天禍を以て報ゆ。今先生徳行を積み、善を為すこと久し。意うに尚お遺行有るか。奚ぞ居ること隠るるや」と。孔子曰く、「由よ、来たれ、汝知らざるなり。坐せよ、吾汝に語らん。子は夫の知者を以て知らざる無しと為すか。則ち王子比干は何為れぞ心を剖かれて死せる。諫むる者を以て必ず聴かると為すか。伍子胥は何為れぞ目を呉の東門に抉らる。子は廉なる者を以て必ず用いらると為すか。伯夷・叔齊は何為れぞ首陽山の下に餓死せる。子は忠なる者を以て必ず用いらると為すか。則ち鮑莊は何為れぞ肉枯る。荊の公子高は終身顕れず、鮑焦は木を抱きて立ちながら枯れ、介子推は山に登りて焚かれて死す。故に夫れ君子の博学深謀にして時に遇わざる者衆し、豈に独り丘のみならんや。賢と不肖とは才なり、為すと為さざるとは人なり、遇うと遇わざるとは時なり、死生は命なり。其の才有りて其の時に遇わざれば、才有りと雖も用いられず。苟くも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に舜は歴山を耕して河畔に逃れしも、立ちて天子と為れるは、則ち其の堯に遇えばなり。傅說は壌土を負い板築を釈きしも、立ちて天子を佐けしは、則ち其の武丁に遇えばなり。伊尹は有莘氏の媵臣なりしも、鼎俎を負い五味を調して天子を佐けしは、則ち其の成湯に遇えばなり。呂望は行年五十にして棘津に食を売り、行年七十にして牛を朝歌に屠り、行年九十にして天子の師と為りしは、則ち其の文王に遇えばなり。管夷吾は束縛せられ目を膠がれ、檻車の中に居りしも、車中より起ちて仲父と為りしは、則ち其の齊桓公に遇えばなり。百里奚は自ら売りて五羊の皮を取り、伯氏羊を牧わしめしも、以て卿大夫と為りしは、則ち其の秦穆公に遇えばなり。沈尹は名天下に聞こえ、以て令尹と為すべきも、孫叔敖に讓りしは、則ち其の楚莊王に遇えばなり。伍子胥は前に功多く、後に戮死せしは、其の智の益々衰えたるに非ず、前には闔廬に遇い、後には夫差に遇えばなり。夫れ驥の鹽車に厄しむは、驥の状無きに非ず、夫れ世能く知る莫ければなり。驥をして王良・造父を得しめば、驥に千里の足無からんや。芝蘭は深林に生ずるも、人無きが為に香らざるに非ず。故に学ぶ者は通ぜんが為に非ず、窮しても困しまざらんが為なり、憂えても衰えざらんが為なり。此れ禍福の始めを知りて心惑わざるなり、聖人の深く念いて独り知り独り見る所なり。舜も亦賢聖なるも、南面して天下を治めしは、唯だ其の堯に遇えばなり。舜をして桀紂の世に居らしめば、能く自ら刑戮を免るるは固に可なるも、又何の官か治むるを得ん。夫れ桀は関龍逄を殺し、紂は王子比干を殺す。是の時に当たりて、豈に関龍逄知無く、比干惠無からんや。此れ桀紂無道の世の然らしむるなり。故に君子は学を疾しみ身を修め行いを端して、以て其の時を須つなり」と。