韓非子 / 外儲說左下第三十三
儒者以爲害義,故不弋。」又問:「儒者鼓瑟乎?」曰:「不也。夫瑟以小絃爲大聲,以大絃爲小聲,是大小易序,貴賤易位。儒者以爲害義,故不鼓也。」宣王曰:「善。」仲尼曰:「與其使民諂下也,寧使民諂上。」四。鉅者,齊之居士;孱者,魏之居士。齊、魏之君不明,不能親照境内而聽左右之言,故二子費金璧而求入仕也。西門豹爲鄴令,清尅潔慤,秋毫之端無私利也,而甚簡左右。左右因相與比周而惡之。居期年,上計,君收其璽。豹自請曰:「臣昔者不知所以治鄴,今臣得矣,願請璽,復以治鄴。不當,請伏斧鑕之罪。」文侯不忍而復與之。
新字:儒者以為害義,故不弋。」又問:「儒者鼓瑟乎?」曰:「不也。夫瑟以小絃為大声,以大絃為小声,是大小易序,貴賤易位。儒者以為害義,故不鼓也。」宣王曰:「善。」仲尼曰:「与其使民諂下也,寧使民諂上。」四。鉅者,斉之居士;孱者,魏之居士。斉、魏之君不明,不能親照境内而聴左右之言,故二子費金璧而求入仕也。西門豹為鄴令,清尅潔慤,秋毫之端無私利也,而甚簡左右。左右因相与比周而悪之。居期年,上計,君収其璽。豹自請曰:「臣昔者不知所以治鄴,今臣得矣,願請璽,復以治鄴。不当,請伏斧鑕之罪。」文侯不忍而復与之。
書き下し
儒者以て義を害すと為す、故に弋せず。」又問ふ、「儒者は瑟を鼓するか。」曰く、「不なり。夫れ瑟は小絃を以て大声と為し、大絃を以て小声と為す、是れ大小序を易へ、貴賤位を易ふるなり。儒者以て義を害すと為す、故に鼓せざるなり。」宣王曰く、「善し。」仲尼曰く、「其の民をして下に諂はしめんよりは、寧ろ民をして上に諂はしめん。」四。鉅は、斉の居士なり。孱は、魏の居士なり。斉・魏の君明らかならず、親ら境内を照らすこと能はずして左右の言を聴く、故に二子金璧を費して入仕を求むるなり。西門豹鄴の令と為る、清尅潔愨にして、秋毫の端も私利無きなり、而して甚だ左右を簡にす。左右因りて相与に比周して之を悪む。居ること期年、上計す、君其の璽を収む。豹自ら請ひて曰く、「臣昔者は鄴を治むる所以を知らず、今臣得たり、願はくは璽を請ひて、復た以て鄴を治めん。当らずんば、請ふ斧鑕の罪に伏せん。」文侯忍びずして復た之を与ふ。
現代語訳
儒者はそれが義を損なうと考えるので、鳥を射ないのです。」王はまた尋ねた。「儒者は瑟(大琴)を弾くか。」匡倩は言った。「弾きません。瑟は細い弦で大きな音を出し、太い弦で小さな音を出します。これは大小の順序を入れ替え、貴賤の位を入れ替えることです。儒者はそれが義を損なうと考えるので、弾かないのです。」宣王は「よろしい」と言った。孔子は言った。「民に下の者へへつらわせるよりは、むしろ上の者にへつらわせるほうがよい。」四。鉅は斉の仕官しない士であり、孱は魏の仕官しない士である。斉と魏の君主は明察でなく、自ら国内を照らし見ることができずに側近の言葉を聞いていた。だから二人は金や璧を費やして、仕官の口を求めたのである。西門豹が鄴の県令になった。清廉で厳正、潔白で誠実であり、ほんの毛先ほども私利を図らず、しかも君主の側近をひどく粗略に扱った。側近たちはそこで互いに結託して彼を悪く言った。一年たって会計報告に上がると、君主(魏の文侯)は彼の官印を取り上げた。西門豹は自ら願い出た。「私は以前は鄴の治め方を知りませんでしたが、今はわかりました。どうか官印をお返しいただき、もう一度鄴を治めさせてください。うまくいかなければ、斧で斬られる罪に服します。」文侯は忍びなく思い、再び官印を与えた。
解説
関連する章句
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『韓非子』外儲說左下第三十三遂に璽を納れて去る。文侯受けずして曰く、「寡人曩には子を知らず、今知れり。願はくは子勉めて寡人の為に之を治めよ。」遂に受けず。斉に狗盗の子と刖危の子と戯れて相誇る者有り。盗子曰く、「吾が父の裘は独り尾有り。」刖危の子曰く、「吾が父は独り冬も袴を失はず。」
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『韓非子』外儲說左下第三十三往年臣君の為に鄴を治むるに、而るに君臣の璽を奪う。今臣左右の為に鄴を治むるに、而るに君臣を拜す。臣治むること能わず。
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『韓非子』外儲說左下第三十三一。罪を以て誅を受くれば、人上を怨まず、跀危子皐を生かす。功を以て賞を受くれば、臣君を徳とせず、翟璜右契を操りて軒に乗る。襄王知らず、故に昭卯五乗にして屩を履む。上任を過さず、臣能を誣ひざれば、即ち臣将に夫の少室周と為らんとす。二。勢を恃みて信を恃まず、故に東郭牙管仲を議す。術を恃みて信を恃まず、故に渾軒文公を非る。故に有術の主は、賞を信にして以て能を尽くさしめ、罰を必にして以て邪を禁ず、駮行有りと雖も、必ず利する所を得。簡主の陽虎に相たらしむる、哀公の一足を問ふ。三。臣主の理を失へば、則ち文王自ら履きて矜る。朝燕の処を易へざれば、則ち季孫終身荘にして賊に遇ふ。四。禁ずる所を利し、利する所を禁ずれば、神と雖も行はれず。罪する所を誉め、賞する所を毀れば、堯と雖も治まらず。夫れ門を為りて入らしめず、利を委ねて進ましめざるは、乱の産ずる所以なり。斉侯左右を聴かず、魏主誉むる者を聴かずして、明察羣臣を照らせば、則ち鉅も金銭を費さず、孱も璧を用ひず。西門豹復た鄴を治めんことを請ふ、以て之を知るに足る。猶ほ盗嬰児の裘を矜ると跀危子の衣を栄とするがごとし。子綽左右に画く、蟻を去り蠅を駆る。安んぞ桓公の官を索むるを憂ふると宣主の馬を臞するを患ふること無きを得んや。五。臣卑倹を以て行ひと為せば、則ち爵以て賞を観すに足らず。寵光節無ければ、則ち臣下侵偪す。説は苗賁皇の献伯を非り、孔子の晏嬰を議するに在り。故に仲尼管仲と孫叔敖とを論ず。而して出入の容変ずるは、陽虎の言其の臣を見るなり。而して簡主の人臣に応ずるや主術を失ふ。朋党相和し、臣下欲を得れば、則ち人主孤なり。羣臣公に挙げ、下相和せざれば、則ち人主明なり。陽虎将に趙武の賢、解狐の公と為らんとす、而して簡主以て枳棘と為す、国に教ふる所以に非ざるなり。六。公室卑ければ則ち直言を忌み、私行勝てば則ち公功少なし。
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『淮南子』人間訓西門豹 鄴を治むるに、廩に積粟無く、府に儲錢無く、庫に甲兵無く、官に計會無し。人 數々其の過を文侯に言う。文侯 身ら其の縣を行くに、果たして人の言の若し。文侯曰く「翟璜 子に任じて鄴を治めしむるに、大いに亂る。子 能く道わば則ち可なり。能わずんば、將に誅を子に加えんとす」と。西門豹曰く「臣 聞く、王主は民を富まし、霸主は武を富まし、亡國は庫を富ますと。今 王 霸王爲らんと欲する者なり。臣 故に民に蓄積す。君 以て然らずと爲さば、臣 請う、城に升りて之を鼓せん。甲兵 粟米 立ちどころに具わる可きなり」と。是に於いて乃ち城に升りて之を鼓す。一たび鼓すれば、民 甲を被り矢を括り、兵弩を操りて出づ。再び鼓すれば、輦を負い粟あって至る。文侯曰く「之を罷めよ」と。西門豹曰く「民と信を約するは、一日の積に非ざるなり。一舉にして之を欺かば、後 復た用う可からざるなり。燕 常に魏の八城を侵す。臣 請う、北のかた之を擊ちて、以て侵地を復せん」と。遂に兵を舉げて燕を擊ち、地を復して而る後に反る。此れ罪有りて賞す可き者なり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、
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『韓非子』外儲說左下第三十三故に曰く、与に居る所に在らず、与に謀る所に在るなり。」孔子魯の哀公に御坐す、哀公之に桃と黍とを賜ふ。哀公曰く、「請ふ用ひよ。」仲尼先づ黍を飯して後に桃を啗ふ、左右皆口を揜ひて笑ふ。哀公曰く、「黍は、之を飯するに非ざるなり、以て桃を雪ふなり。」仲尼対へて曰く、「丘之を知れり。夫れ黍は、五穀の長なり、先王を祭るに上盛と為す。果蓏六有り、而して桃を下と為す、先王を祭るに廟に入るを得ず。丘の聞くや、君子は賤を以て貴を雪ふ、貴を以て賤を雪ふを聞かず。今五穀の長を以て果蓏の下を雪ふは、是れ上を以て下を雪ふなり。丘以て義を妨ぐと為す、故に敢て以て宗廟の盛に先んぜざるなり。」簡主左右に謂ふ、「車席泰だ美なり。夫れ冠は賤しと雖も、頭必ず之を戴く。屨は貴しと雖も、足必ず之を履む。今車席此の如く、太だ美なり、吾将に何の屩か以て之を履まんとする。夫れ下を美にして上を耗らすは、義を妨ぐるの本なり。」費仲紂に説きて曰く、「西伯昌は賢なり、百姓之を悦び、諸侯焉に附く、誅せざるべからず。誅せずんば、必ず殷の禍と為らん。」紂曰く、「子の言ふ、義主なり、何ぞ誅すべけんや。」費仲曰く、「冠は穿弊すと雖も、必ず頭に戴く。履は五采なりと雖も、必ず之を地に践む。今西伯昌は、人臣なり、義を修めて人之に向ふ。卒に天下の患と為るは、其れ必ず昌ならんか。人臣其の賢を以て其の主の為にせざれば、誅せざるべきに非ざるなり。且つ主にして臣を誅す、焉んぞ過有らん。」紂曰く、「夫れ仁義は、上の下を勧むる所以なり。今昌仁義を好む、之を誅するは不可なり。」三たび説きて用ひられず、故に亡ぶ。斉の宣王匡倩に問ひて曰く、「儒者は博するか。」曰く、「不なり。」王曰く、「何ぞや。」匡倩対へて曰く、「博は梟を貴ぶ、勝つ者は必ず梟を殺す。梟を殺すは、是れ貴ぶ所を殺すなり。儒者以て義を害すと為す、故に博せざるなり。」又問ひて曰く、「儒者は弋するか。」曰く、「不なり。弋は、下より上を害する者なり、是れ下より君を傷つくるなり。