格言聯璧 / 從政類・法を執ること山の如し
執法如山,守身如玉,愛民如子,去蠹如仇。 陷一無辜,與操刀殺人者何別? 釋一大憝,與縱虎傷人者無殊! 針芒刺手,茨棘傷足,舉體痛楚,刑慘百倍於此,可以喜怒施之乎!
新字:執法如山,守身如玉,愛民如子,去蠹如仇。 陥一無辜,与操刀殺人者何別? 釈一大憝,与縦虎傷人者無殊! 針芒刺手,茨棘傷足,舉体痛楚,刑惨百倍於此,可以喜怒施之乎!
書き下し
法を執ること山の如く、身を守ること玉の如く、民を愛すること子の如く、蠹を去ること仇の如くす。 一の無辜を陷るるは、刀を操りて人を殺す者と何ぞ別たん。 一の大憝を釋すは、虎を縱ちて人を傷つくる者と殊なる無し。 針芒手を刺し、茨棘足を傷つくれば、體を舉げて痛楚す、刑の慘なること此に百倍す、喜怒を以て之を施すべけんや。
現代語訳
法を守ることは山のように揺るがず、身を守ることは玉のように清らかに、民を愛することはわが子のように、害をなす者を除くことは仇に対するようにします。 罪のない人を一人でも陥れるのは、刀を手に取って人を殺す者とどこが違うでしょうか。 大悪人を一人でも放免するのは、虎を放って人を傷つけさせる者と変わりません。 針の先が手に刺さり、いばらが足を傷つければ、全身が痛みます。刑罰のむごさはこれに百倍します。その時の喜びや怒りで刑を加えてよいものでしょうか。
解説
裁判と刑罰に当たる役人への戒めです。一行目は四つの「如し」を連ね、法・身・民・害悪への構えを簡潔に示します。蠹は木を食う虫で、民を損なう悪人や悪吏のたとえです。続く二行は、冤罪と悪人の見逃しを、刀による殺人と虎の放し飼いにたとえた対句です。どちらの誤りも人を傷つけるという点で同じだと言います。最後の行は、とげ一本の痛みから刑罰の痛みを想像させ、感情で罰を与えることを強く戒めています。この戒めは次の単位の牢獄の描写に続きます。人を評価したり処分したりする立場の人が、機嫌で判断していないかを省みる手がかりになります。
この章句が説くこと
法治政刑罰公正愛民
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