韓非子 / 外儲說左上第三十二
燕相白王,王大說,國以治。治則治矣,非書意也。今世舉學者多似此類。
新字:燕相白王,王大説,国以治。治則治矣,非書意也。今世舉学者多似此類。
書き下し
燕の相王に白す、王大いに説び、国以て治まる。治まることは則ち治まれり、書の意に非ざるなり。今世の学者を挙ぐるは多く此の類に似たり。
現代語訳
(楚の都の郢の人が燕の宰相に手紙を書いたとき、夜で暗かったので「燭を挙げよ」と言い、それをうっかり手紙に書き込んでしまった。燕の宰相はそれを受け取り、「燭を挙げよ」とは明るさを尊べということ、明るさを尊ぶとは賢者を挙げて用いることだと解釈した。)燕の宰相がこれを王に申し上げると、王は大いに喜び、国はそれによって治まった。治まったことは治まったが、それは手紙の本来の意味ではない。今の世の学者を登用するやり方は、多くがこの類に似ている。
解説
「郢書燕説」の故事の結びです。郢の人が手紙に書き誤った「挙燭」を、燕の宰相が「賢者を挙げよ」という深い意味に読み込み、それで国が治まったという話でした。韓非は、結果がよかったとしても、それは書いた人の意図ではないと念を押し、今の学者の登用もこれに似ていると皮肉ります。先王の言葉に後世の学者がもっともらしい意味を付け、それを根拠に政治を語る危うさを突いたものです。偶然うまくいった解釈を、正しい理解だと思い込むことはよくあります。成功の理由を説明するとき、それが本当に原因なのか、あとから付けた物語なのかを区別する姿勢は、振り返りの質を高めるうえで大切です。
関連する章句
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『韓非子』外儲說左上第三十二郢人に燕の相國に書を遺る者有り。...誤ちて燭を舉げよと書す。...燕の相國書を受けて之を説きて、曰く、「燭を舉ぐとは、明を尚ぶなり。明を尚ぶとは、賢を舉げて之に任ずるなり。」...治は則ち治なるも、書の意に非ざるなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二先王の言、其の為す所小にして世之を大と意ふ有り、其の為す所大にして世之を小と意ふ有り、未だ必ずしも知るべからざるなり。説は宋人の書を解すると梁人の記を読むとに在り。故に先王に郢書有りて、後世に燕説多し。夫れ国事に適はずして先王を謀るは、皆帰りて度を取る者なり。四。利の在る所、民之に帰し、名の彰るる所、士之に死す。是を以て功法に外れて賞加はれば、則ち上下に利する所を得ること能はず。名法に外れて誉加はれば、則ち士名を勧めて之を君に畜はれず。故に中章・胥己仕へて、中牟の民田圃を棄てて文学に随ふ者邑の半ばなり。平公腓痛み足痺れて敢て坐を壊らず、晋国の仕を辞して託する者国の錘なり。此の三士は、言法に襲へば、則ち官府の籍なり。行事に中れば、則ち令の如きの民なり、二君の礼太だ甚し。若し言法を離れて行功に遠ければ、則ち縄外の民なり、二君又何ぞ之を礼せん。之を礼すれば当に亡ぶべし。且つ居学の士は、国事無ければ力を用ひず、難有れば甲を被らず。之を礼すれば、則ち耕戦の功を脩むるに惰る。礼せざれば、則ち主上の法を害す。国安ければ則ち尊顕し、危ければ則ち屈公の威と為る、人主奚ぞ居学の士に得んや。故に明主李疵の中山を視るを論ず。五。詩に曰く、「躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。」傅之に説くに衣紫無きを以てし、之を援くに鄭簡・宋襄を以てし、之を責むるに耕戦を尊厚するを以てす。夫れ分を明らかにせず、誠を責めずして、躬親を以て下に位し、且つ下走・睡臥を為し、夫の揜弊・微服と与にす。孔丘知らず、故に猶ほ盂のごとしと称す。鄒君知らず、故に先づ自ら僇す。明主の道は、叔向の猟を賦すると昭侯の奚ぞ聴かんとの如し。六。小信成れば則ち大信立つ、故に明主は信を積む。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二故に之を虚辞に籍れば、則ち能く一国に勝つ。実を考へ形を按ずれば、一人を謾くこと能はず。夫れ新たに砥礪せる殺矢、弩を彀きて射れば、冥くして妄りに発すと雖も、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらざるなり、然れども能く其の処を復する莫し、善射と謂ふべからず、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引けば、羿・逢蒙に非ざれば必ず全くすること能はざる者は、常の儀的有ればなり。度有れば難く度無ければ易きなり。常の儀的有れば、則ち羿・逢蒙も五寸を以て巧と為す。常の儀的無ければ、則ち妄りに発して秋毫に中るを以て拙と為す。故に度無くして之に応ずれば、則ち弁士繁く説く。度を設けて之を持すれば、知者と雖も猶ほ失を畏るるなり、敢て妄言せず。今人主説を聴くに、之に応ずるに度を以てせずして其の弁を説び、度るに功を以てせず、其の行を誉めて関に入れず。此れ人主の長く欺かるる所以にして、説く者の長く養はるる所以なり。客に燕王に不死の道を為すを教ふる者有り、王人をして之を学ばしむ、学ばしむる所の者未だ学ぶに及ばずして客死す。王大いに怒り、之を誅す。王客の己を欺くを知らずして、学ぶ者の晩きを誅するなり。夫れ然らざるの物を信じて無罪の臣を誅するは、察せざるの患なり。且つ人の急とする所は其の身に如くは無し、自ら其をして死無からしむること能はず、安んぞ能く王をして長生せしめんや。鄭人に相与に年を争ふ者有り。一人曰く、「吾堯と年を同じくす。」其の一人曰く、「我黄帝の兄と年を同じくす。」此を訟へて決せず、後に息む者を以て勝と為すのみ。客に周君の為に筴に画く者有り、三年にして成る。君之を観るに、髹筴の者と状を同じくす。周君大いに怒る。筴に画く者曰く、「十版の牆を築き、八尺の牖を鑿ち、而して日の始めて出づる時を以て之を其の上に加へて観よ。」周君之を為す、其の状を望見すれば、尽く龍蛇禽獣車馬を成し、万物の状備具す。周君大いに悦ぶ。此の筴の功微難ならざるに非ず、然れども其の用は素髹の筴と同じ。客に斉王の為に画く者有り、斉王問ひて曰く、「画くこと孰か最も難き者ぞ。」
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史記 老子韓非列伝非、韓の削弱を見、数々書を以て韓王を諫むるも、韓王用ふる能はず。是に於いて韓非、国を治むるに其の法制を修明し勢いを執りて以て其の臣下を御し、国を富まし兵を彊くして以て人を求め賢に任ずるを務めず、反って浮淫の蠹を挙げて之を功実の上に加ふるを疾む。以為らく、儒者は文を用ゐて法を乱し、侠者は武を以て禁を犯す。寛なれば則ち名誉の人を寵し、急なれば則ち介冑の士を用ふ。今は養ふ所は用ふる所に非ず、用ふる所は養ふ所に非ず、と。廉直の邪枉の臣に容れられざるを悲しみ、往者の得失の変を観る。故に孤憤・五蠹・内外儲・説林・説難、十余万言を作る。
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『韓非子』外儲説右下第三十五子罕出彘と為り、田恒圃池と為る、故に宋君・簡公弑せらる。患は王良・造父の車を共にし、田連・成竅の琴を共にするに在るなり。二。治強は法に生じ、弱乱は阿に生ず、君此に明らかなれば、則ち賞罰を正して下に仁するに非ざるなり。爵禄は功に生じ、誅罰は罰に生ず、臣此に明らかなれば、則ち死力を尽くして君に忠なるに非ざるなり。君不仁に通じ、臣不忠に通ずれば、則ち以て王たる可し。昭襄は主の情を知りて五苑を発せず、田鮪は臣の情を知る故に田章に教へ、而して公儀は魚を辞す。三。明主なる者は、外に鑒みるなり、而して外事成らざるを得ず、故に蘇代斉王を非る。人主は上に鑒みるなり、而して居る者適はざれば顕れず、故に潘寿禹の情を言ふ。人主覚悟する所無し、方吾之を知る、故に衣を同じくし族を同じくするを恐る、而るを況んや権を借すをや。呉章之を知る、故に説くに佯を以てす、而るを況んや誠を借すをや。趙王虎目を悪みて壅がる。明主の道は、周の行人の衛侯を却くるが如きなり。四。人主なる者は、法を守り成を責めて以て功を立つる者なり。吏乱ると雖も独善の民有るを聞くも、乱民有りて独治の吏有るを聞かず、