韓非子 / 外儲說左上第三十二
故人行事施予,以利之爲心,則越人易和;以害之爲心,則父子離且怨。文公伐宋,乃先宣言曰:「吾聞宋君無道,蔑侮長老,分財不中,教令不信,余來爲民誅之。」越伐吳,乃先宣言曰:「我聞吳王築如皇之臺,掘深池,罷苦百姓,煎靡財貨,以盡民力,余來爲民誅之。」蔡女爲桓公妻,桓公與之乘舟,夫人蕩舟,桓公大懼,禁之不止,怒而出之。乃且復召之,因復更嫁之。桓公大怒,將伐蔡。仲父諫曰:「夫以寢席之戲,不足以伐人之國,功業不可冀也,請無以此爲稽也。」桓公不聽。仲父曰:「必不得已,楚之菁茅不貢於天子三年矣,君不如舉兵爲天子伐楚。楚伏,因還襲蔡,曰『余爲天子伐楚,而蔡不以兵聽從』,遂滅之。此義於名而利於實,故必有爲天子誅之名,而有報讎之實。」吳起爲魏將而攻中山。軍人有病疽者,吳起跪而自吮其膿。傷者之母立泣,人問曰:「將軍於若子如是,尚何爲而泣?」
新字:故人行事施予,以利之為心,則越人易和;以害之為心,則父子離且怨。文公伐宋,乃先宣言曰:「吾聞宋君無道,蔑侮長老,分財不中,教令不信,余来為民誅之。」越伐呉,乃先宣言曰:「我聞呉王築如皇之台,掘深池,罷苦百姓,煎靡財貨,以尽民力,余来為民誅之。」蔡女為桓公妻,桓公与之乗舟,夫人蕩舟,桓公大懼,禁之不止,怒而出之。乃且復召之,因復更嫁之。桓公大怒,将伐蔡。仲父諫曰:「夫以寝席之戯,不足以伐人之国,功業不可冀也,請無以此為稽也。」桓公不聴。仲父曰:「必不得已,楚之菁茅不貢於天子三年矣,君不如舉兵為天子伐楚。楚伏,因還襲蔡,曰『余為天子伐楚,而蔡不以兵聴従』,遂滅之。此義於名而利於実,故必有為天子誅之名,而有報讎之実。」呉起為魏将而攻中山。軍人有病疽者,呉起跪而自吮其膿。傷者之母立泣,人問曰:「将軍於若子如是,尚何為而泣?」
書き下し
故に人の事を行ひ施予するに、之を利するを以て心と為せば、則ち越人も和し易し。之を害するを以て心と為せば、則ち父子も離れて且つ怨む。文公宋を伐つ、乃ち先づ宣言して曰く、「吾聞く宋君無道にして、長老を蔑侮し、財を分つこと中らず、教令信ならずと、余来りて民の為に之を誅す。」越呉を伐つ、乃ち先づ宣言して曰く、「我聞く呉王如皇の台を築き、深池を掘り、百姓を罷苦せしめ、財貨を煎靡し、以て民力を尽くすと、余来りて民の為に之を誅す。」蔡女桓公の妻と為る、桓公之と舟に乗る、夫人舟を蕩かす、桓公大いに懼れ、之を禁ずるも止まず、怒りて之を出す。乃ち且に復た之を召さんとするに、因りて復た更に之を嫁がしむ。桓公大いに怒り、将に蔡を伐たんとす。仲父諫めて曰く、「夫れ寝席の戯れを以て、以て人の国を伐つに足らず、功業冀ふべからざるなり、請ふ此を以て稽と為すこと無かれ。」桓公聴かず。仲父曰く、「必ず已むを得ずんば、楚の菁茅天子に貢がざること三年なり、君兵を挙げて天子の為に楚を伐つに如かず。楚伏せば、因りて還りて蔡を襲ひ、曰へ、余天子の為に楚を伐つ、而るに蔡兵を以て聴従せず、と、遂に之を滅ぼせ。此れ名に義にして実に利あり、故に必ず天子の為に誅するの名有りて、讎に報ゆるの実有り。」呉起魏の将と為りて中山を攻む。軍人に疽を病む者有り、呉起跪きて自ら其の膿を吮ふ。傷者の母立ちどころに泣く、人問ひて曰く、「将軍若の子に於て是の如し、尚ほ何為れぞ泣く。」
現代語訳
だから人のために事を行い、物を施し与えるとき、相手の利益になることを心がければ、遠い越の人とでも仲良くなりやすい。相手を害することを心がければ、父と子でさえ離れて恨み合う。晋の文公は宋を討つとき、まず言いふらした。「聞けば宋君は無道で、長老を侮り、財の分配は公正でなく、法令は守られないという。私は民のために彼を誅しに来たのだ。」越が呉を討つときも、まず言いふらした。「聞けば呉王は如皇の台を築き、深い池を掘り、民を疲れ苦しめ、財貨を浪費して民の力を使い果たしているという。私は民のために彼を誅しに来たのだ。」蔡の君の娘が斉の桓公の妻になった。桓公が彼女と舟に乗ると、夫人は舟を揺らした。桓公はひどく怖がり、やめさせようとしたがやめないので、怒って実家に帰した。やがてまた呼び戻そうとしたところ、蔡はすでに彼女を別の人に嫁がせてしまった。桓公は大いに怒り、蔡を討とうとした。仲父(管仲)が諫めて言った。「寝室での戯れごとを理由に、人の国を討つには足りません。それでは功業は望めません。どうかこれを戦の口実になさいませんように。」桓公は聞き入れなかった。管仲は言った。「どうしてもやむをえないのなら、楚は天子に菁茅(祭祀用の茅)を三年も献上していません。君は兵を起こして天子のために楚を討つのがよいでしょう。楚が降伏したら、その帰りに蔡を襲い、『私は天子のために楚を討ったのに、蔡は兵を出して従わなかった』と言って滅ぼすのです。これは名目では義にかない、実際には利があります。天子のために誅するという名目があり、恨みに報いるという実がそなわるのです。」呉起は魏の将として中山を攻めた。兵士に悪性のできものを患う者がいたので、呉起はひざまずいて自らその膿を吸い出した。負傷した兵の母はたちまち泣き出した。人が尋ねた。「将軍はあなたの子にこれほどまでしてくださったのに、なぜ泣くのか。」
解説
関連する章句
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『韓非子』內儲說上七術第三十過ち有るも罪せず、功無くして賞を受くれば、亡ぶと雖も、亦可ならずや」と。斉国厚葬を好み、布帛は衣衾に尽き、材木は棺椁に尽く。桓公之を患ひ、以て管仲に告げて曰く、「布帛尽くれば則ち以て蔽ひと為す無く、材木尽くれば則ち以て守備と為す無し。而るに人の厚葬すること休まず、之を禁ずること奈何」と。管仲対へて曰く、「凡そ人の為す有るや、之を名とするに非ざれば、則ち之を利とするなり」と。是に於て乃ち令を下して曰く、「棺椁度に過ぐる者は其の尸を戮し、夫の喪に当たる者を罪す」と。夫れ死を戮すれば名無く、喪に当たる者を罪すれば利無し。人何の故にか之を為さんや。衛の嗣君の時、胥靡有りて魏に逃れ、因りて襄王の后の為に病を治す。衛の嗣君之を聞き、人をして五十金を以て之を買はんことを請はしむ。五たび反るも魏王予へず、乃ち左氏を以て之に易へんとす。群臣左右諫めて曰く、「夫れ一都を以て胥靡を買ふは、可ならんや」と。王曰く、「子の知る所に非ざるなり。夫れ治に小無く、乱に大無し。法立たずして誅必ならずんば、十の左氏有りと雖も益無きなり。法立ちて誅必ならば、十の左氏を失ふと雖も害無きなり」と。魏王之を聞きて曰く、「主治めんと欲して之に聴かざるは、不祥なり」と。因りて載せて往き、徒だ之を献ず。三。斉王、文子に問ひて曰く、「国を治むること何如」と。対へて曰く、「夫れ賞罰の道為る、利器なり。君固く之を握り、以て人に示すべからず。臣の如き者の若きは、猶ほ獣鹿のごときなり、唯だ薦草にのみ就く」と。越王、大夫文種に問ひて曰く、「吾呉を伐たんと欲す、可ならんか」と。対へて曰く、「可なり。吾が賞は厚くして信、罰は厳にして必なり。君之を知らんと欲せば、何ぞ試みに宮室を焚かざる」と。是に於て遂に宮室を焚く。人之を救ふ莫し。乃ち令を下して曰く、「人の火を救ひて死する者は、死敵の賞に比し、火を救ひて死せざる者は、勝敵の賞に比し、火を救はざる者は、降北の罪に比す」と。人の其の体に塗り濡衣を被て火に走る者、左に三千人、右に三千人。此れ必勝の勢ひを知るなり。呉起、魏の武侯の為に西河の守と為る。秦に小亭有りて境に臨む。呉起之を攻めんと欲す。去らずんば、則ち甚だ田者を害す。之を去らんとすれば、則ち以て甲兵を徴するに足らず。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一荊王諸公子を四隣に宦せしめんと欲す、戴歇曰く、「不可なり。」「公子を四隣に宦せしむれば、四隣必ず之を重んぜん。」曰く、「子の出づる者は重し、重ければ則ち必ず重んずる所の国の党と為る、則ち是れ子に外市を教ふるなり、便ならず。」魯の孟孫・叔孫・季孫相戮力して昭公を劫かし、遂に其の国を奪ひて其の制を擅にす。魯の三桓公に偪る、昭公季孫氏を攻む、而して孟孫氏・叔孫氏相与に謀りて曰く、「之を救はんか。」叔孫氏の御者曰く、「我は、家臣なり、安んぞ公家を知らん。凡そ季孫有ると季孫無きと我に於て孰れか利ある。」皆曰く、「季孫無ければ必ず叔孫無し。」「然らば則ち之を救へ。」是に於て西北の隅を撞きて入る。孟孫叔孫の旗の入るを見て、亦之を救ふ。三桓一と為り、昭公勝たず。之を逐ふ、乾侯に死す。公叔韓に相として斉を攻むる有り、公仲甚だ王に重んぜらる、公叔王の公仲を相とせんことを恐れ、斉・韓をして約して魏を攻めしむ。公叔因りて斉軍を鄭に内れ、以て其の君を劫かし、以て其の位を固め、而して両国の約を信にす。翟璜は、魏王の臣なり、而して韓に善し。乃ち韓兵を召きて之をして魏を攻めしめ、因りて魏王の為に之を搆はんことを請ひて以て自ら重くす。越王呉王を攻む、呉王謝して服を告ぐ、越王之を許さんと欲す。范蠡・大夫種曰く、「不可なり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一大夫何ぞ呉を釈きて越を患へしめざる。」大夫種書を受けて之を読み、太息して歎じて曰く、「之を殺せ、越と呉と命を同じくす。」大成牛趙より申不害に韓に謂ひて曰く、「韓を以て我を趙に重くせよ、請ふ趙を以て子を韓に重くせん、是れ子に両韓有り、我に両趙有るなり。」司馬喜は、中山君の臣なり、而して趙に善し、嘗て中山の謀を以て微かに趙王に告ぐ。呂倉は、魏王の臣なり、而して秦・荊に善し。微かに秦・荊に諷して之をして魏を攻めしめ、因りて行きて和せんことを請ひて以て自ら重くす。宋石は、魏の将なり。衛君は、荊の将なり。両国難を搆へ、二子皆将たり。宋石衛君に書を遺りて曰く、「二軍相当り、両旗相望む、唯だ一戦すること毋かれ、戦へば必ず両存せず。此れ乃ち両主の事なり、子と私怨有ること無し、善き者は相避くるなり。」白圭魏に相たり、暴譴韓に相たり。白圭暴譴に謂ひて曰く、「子韓を以て我を魏に輔けよ、我魏を以て子を韓に待たん、臣長く魏に用ひられ、子長く韓に用ひられん。」三。斉の中大夫に夷射なる者有り、王に御飲し、酔ふこと甚しくして出で、郎門に倚る。門者の刖跪請ひて曰く、「足下之に余瀝を賜ふに意無きか。」夷射叱して曰く、「去れ。刑余の人、何事ぞ乃ち敢て長者に飲を乞ふ。」刖跪走り退く。
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『韓非子』說林上二十二魏の恵王、臼里の盟を為し、将に復た天子を立てんとす。彭喜、鄭君に謂ひて曰く、「君聴く勿かれ。大国は天子有るを悪み、小国は之を利とす。若し君と大と聴かずんば、魏焉んぞ能く小と之を立てんや」と。晋人、邢を伐ち、斉の桓公将に之を救はんとす。鮑叔曰く、「太だ蚤し。邢亡びずんば晋敝れず、晋敝れずんば斉重からず。且つ夫れ危を持するの功は、亡を存するの徳の大なるに如かず。君晩く之を救ひて以て晋を敝らしむるに如かず、斉実に利あり。邢の亡ぶるを待ちて復た之を存せば、其の名実美なり」と。桓公乃ち救はず。子胥出走し、辺候之を得たり。子胥曰く、「上の我を索むるは、我に美珠有るを以てなり。今我已に之を亡へり。我且に子取りて之を呑めりと曰はんとす」と。候因りて之を釈す。慶封、斉に乱を為して越に走らんと欲す。其の族人曰く、「晋は近し、奚ぞ晋に之かざる」と。慶封曰く、「越は遠し、以て難を避くるに利あり」と。族人曰く、「是の心を変ずれば、晋に居るも可なり。是の心を変ぜずんば、遠き越と雖も、其れ以て安かるべけんや」と。智伯、地を魏の宣子に索む、魏の宣子予へず。任章曰く、「何の故に予へざる」と。宣子曰く、「故無くして地を請ふ、故に予へず」と。任章曰く、「故無くして地を索めば、隣国必ず恐れん。彼重欲にして厭くこと無くんば、天下必ず懼れん。君之に地を予へば、智伯必ず驕りて敵を軽んじ、隣邦必ず懼れて相親しまん。
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『韓非子』內儲說上七術第三十人争ひて之を徙す。乃ち令を下して曰く、「明日且に亭を攻めんとす。能く先に登る者有らば、之を国大夫に仕へしめ、之に上田宅を賜はん」と。人争ひて之に趨く。是に於て亭を攻め、一朝にして之を抜く。李悝、魏の文侯の為に上地の守と為りて、人の善く射んことを欲す。乃ち令を下して曰く、「人の狐疑の訟有る者は、之をして的を射しめ、之に中つる者は勝ち、中てざる者は負けん」と。令下りて人皆疾く射を習ひ、日夜休まず。秦人と戦ふに及び、大いに之を敗る、人の善く戦射するを以てなり。宋の崇門の巷人、喪に服して毀して甚だ瘠す。上以て親に慈愛なりと為し、挙げて以て官師と為す。明年、人の毀を以て死する所の者、歳に十余人。子の親の喪に服する者は、之を愛するが為なり、而るに尚ほ賞を以て勧むべきなり、況んや君上の民に於けるをや。越王、呉を伐たんことを慮り、人の死を軽んぜんことを欲す。出でて怒鼃を見て、乃ち之が為に式す。従者曰く、「奚ぞ此を敬する」と。王曰く、「其の気有るが為の故なり」と。明年の頭を以て王に献ぜんことを請ふ者、歳に十余人。此に由りて之を観れば、誉は以て人を殺すに足る。一に曰く、越王勾践、怒鼃を見て之に式す。御者曰く、「何為れぞ式する」と。王曰く、「鼃に気有ること此の如し、式すること無かるべけんや」と。士人之を聞きて曰く、「鼃に気有れば、王猶ほ式を為す、況んや士人の勇有る者をや」と。是の歳、人に自剄して死し、其の頭を以て献ずる者有り。故に越王将に呉に復せんとして其の教へを試む。台を燔きて之を鼓し、民をして火に赴かしむる者は、賞火に在ればなり。江に臨みて之を鼓し、人をして水に赴かしむる者は、賞水に在ればなり。戦に臨みて人をして頭を絶ち腹を刳きて顧みる心無からしむる者は、賞兵に在ればなり。又況んや法に拠りて賢を進むれば、其の勧むること此より甚だし。