韓非子 / 外儲說左上第三十二
故籍之虚辭,則能勝一國;考實按形,不能謾於一人。夫新砥礪殺矢,彀弩而射,雖冥而妄發,其端未嘗不中秋毫也,然而莫能復其處,不可謂善射,無常儀的也。設五寸之的,引十步之遠,非羿、逄蒙不能必全者,有常儀的也。有度難而無度易也。有常儀的,則羿、逄蒙以五寸爲巧;無常儀的,則以妄發而中秋毫爲拙。故無度而應之,則辯士繁說;設度而持之,雖知者猶畏失也,不敢妄言。今人主聽說,不應之以度而說其辯;不度以功,譽其行而不入關。此人主所以長欺,而說者所以長養也。客有教燕王爲不死之道者,王使人學之,所使學者未及學而客死。王大怒,誅之。王不知客之欺己,而誅學者之晩也。夫信不然之物而誅無罪之臣,不察之患也。且人所急無如其身,不能自使其無死,安能使王長生哉?鄭人有相與爭年者。一人曰:「吾與堯同年。」其一人曰:「我與黃帝之兄同年。」訟此而不決,以後息者爲勝耳。客有爲周君畫筴者,三年而成。君觀之,與髹筴者同狀。周君大怒。畫筴者曰:「築十版之墻,鑿八尺之牖,而以日始出時加之其上而觀。」周君爲之,望見其狀,盡成龍蛇禽獸車馬,萬物之狀備具。周君大悅。此筴之功非不微難也,然其用與素髹筴同。客有爲齊王畫者,齊王問曰:「畫孰最難者?」
新字:故籍之虚辞,則能勝一国;考実按形,不能謾於一人。夫新砥礪殺矢,彀弩而射,雖冥而妄発,其端未嘗不中秋毫也,然而莫能復其処,不可謂善射,無常儀的也。設五寸之的,引十歩之遠,非羿、逄蒙不能必全者,有常儀的也。有度難而無度易也。有常儀的,則羿、逄蒙以五寸為巧;無常儀的,則以妄発而中秋毫為拙。故無度而応之,則弁士繁説;設度而持之,雖知者猶畏失也,不敢妄言。今人主聴説,不応之以度而説其弁;不度以功,誉其行而不入関。此人主所以長欺,而説者所以長養也。客有教燕王為不死之道者,王使人学之,所使学者未及学而客死。王大怒,誅之。王不知客之欺己,而誅学者之晩也。夫信不然之物而誅無罪之臣,不察之患也。且人所急無如其身,不能自使其無死,安能使王長生哉?鄭人有相与争年者。一人曰:「吾与堯同年。」其一人曰:「我与黄帝之兄同年。」訟此而不決,以後息者為勝耳。客有為周君画筴者,三年而成。君観之,与髹筴者同状。周君大怒。画筴者曰:「築十版之墻,鑿八尺之牖,而以日始出時加之其上而観。」周君為之,望見其状,尽成竜蛇禽獣車馬,万物之状備具。周君大悦。此筴之功非不微難也,然其用与素髹筴同。客有為斉王画者,斉王問曰:「画孰最難者?」
書き下し
故に之を虚辞に籍れば、則ち能く一国に勝つ。実を考へ形を按ずれば、一人を謾くこと能はず。夫れ新たに砥礪せる殺矢、弩を彀きて射れば、冥くして妄りに発すと雖も、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらざるなり、然れども能く其の処を復する莫し、善射と謂ふべからず、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引けば、羿・逢蒙に非ざれば必ず全くすること能はざる者は、常の儀的有ればなり。度有れば難く度無ければ易きなり。常の儀的有れば、則ち羿・逢蒙も五寸を以て巧と為す。常の儀的無ければ、則ち妄りに発して秋毫に中るを以て拙と為す。故に度無くして之に応ずれば、則ち弁士繁く説く。度を設けて之を持すれば、知者と雖も猶ほ失を畏るるなり、敢て妄言せず。今人主説を聴くに、之に応ずるに度を以てせずして其の弁を説び、度るに功を以てせず、其の行を誉めて関に入れず。此れ人主の長く欺かるる所以にして、説く者の長く養はるる所以なり。客に燕王に不死の道を為すを教ふる者有り、王人をして之を学ばしむ、学ばしむる所の者未だ学ぶに及ばずして客死す。王大いに怒り、之を誅す。王客の己を欺くを知らずして、学ぶ者の晩きを誅するなり。夫れ然らざるの物を信じて無罪の臣を誅するは、察せざるの患なり。且つ人の急とする所は其の身に如くは無し、自ら其をして死無からしむること能はず、安んぞ能く王をして長生せしめんや。鄭人に相与に年を争ふ者有り。一人曰く、「吾堯と年を同じくす。」其の一人曰く、「我黄帝の兄と年を同じくす。」此を訟へて決せず、後に息む者を以て勝と為すのみ。客に周君の為に筴に画く者有り、三年にして成る。君之を観るに、髹筴の者と状を同じくす。周君大いに怒る。筴に画く者曰く、「十版の牆を築き、八尺の牖を鑿ち、而して日の始めて出づる時を以て之を其の上に加へて観よ。」周君之を為す、其の状を望見すれば、尽く龍蛇禽獣車馬を成し、万物の状備具す。周君大いに悦ぶ。此の筴の功微難ならざるに非ず、然れども其の用は素髹の筴と同じ。客に斉王の為に画く者有り、斉王問ひて曰く、「画くこと孰か最も難き者ぞ。」
現代語訳
だから、空疎な言葉を頼みにすれば一国を言い負かすこともできるが、実際を調べ形を確かめれば、一人をも欺くことはできない。そもそも新たに研いだ鋭い矢を、弩を引きしぼって射れば、目をつぶってでたらめに放っても、その矢先は何かの細い毛先に当たらないことはない。しかし同じ所にもう一度当てることは誰にもできないのだから、弓がうまいとは言えない。決まった的がないからである。五寸の的を立て、十歩の距離から射れば、羿や逢蒙(伝説の弓の名手)でなければ必ず当てることはできない。決まった的があるからである。基準があれば難しく、基準がなければやさしい。決まった的があれば、羿や逢蒙でも五寸の的に当てれば巧みとされる。決まった的がなければ、でたらめに射て毛先に当てても拙いとされる。だから基準なしに意見に応じれば、弁舌の士はさかんにしゃべる。基準を設けて守らせれば、知恵者でさえ失敗を恐れ、でたらめを言わなくなる。今、君主は意見を聞くとき、基準によって応じず弁舌を喜び、功績によって量らず行いを褒めて、関門を通さない。これこそ君主がいつまでも欺かれ、説く者がいつまでも養われる理由である。ある客が燕王に不死の術を教えると言った。王は人に学ばせたが、学ばせた者がまだ学び終えないうちに客が死んでしまった。王は大いに怒り、学ばせた者を誅殺した。王は客が自分を欺いたことに気づかず、学ぶのが遅れたことを罰したのである。ありえないことを信じて無実の臣を誅するのは、よく調べないことの害である。そもそも人が何より大切にするのは自分の身である。自分さえ死なないようにできなかった者が、どうして王を長生きさせられようか。鄭の人で、年の多さを言い争う者たちがいた。一人が「私は堯と同い年だ」と言うと、もう一人は「私は黄帝の兄と同い年だ」と言った。これを訴え合って決着がつかず、最後まで言い続けた方が勝ちとなっただけであった。ある客が周の君のために鞭(筴)に絵を描き、三年かかって完成させた。君がそれを見ると、漆を塗っただけの鞭と同じに見えた。周の君は大いに怒った。絵を描いた者は言った。「十枚の板の高さの壁を築き、八尺の窓をうがち、日が昇り始めるときに鞭をその窓にかざしてご覧ください。」周の君がそのとおりにして眺めると、龍や蛇、鳥や獣、車や馬がすべて描かれ、万物の姿がそろっていた。周の君は大いに喜んだ。この鞭の細工は精巧で難しくないわけではないが、その使い道は漆を塗っただけの鞭と変わらない。ある客が斉王のために絵を描いた。斉王が「絵で何が最も難しいか」と尋ねた。
解説
関連する章句
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『韓非子』問辯第四十一夫れ言行は、功用を以て之が的彀と為す者なり。夫れ殺矢を砥礪して以て妄りに発すれば、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらず、然れども善く射る者と謂ふべからざるは、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引くも、羿・逢蒙に非ざれば必ずしも中つる能はざるは、常の儀的有ればなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』外儲說左上第三十二右御の冶工王に言ひて曰く、「臣聞く人主に十日燕せざるの斎無しと。今王の久しく斎して以て無用の器を観ること能はざるを知る、故に三月を以て期と為す。凡そ刻削する者は、其の以て削る所必ず小なり。今臣は冶人なり、以て之が削を為すこと無し、此れ然らざるの物なり、王必ず之を察せよ。」王因りて囚へて之を問ふ、果して妄なり、乃ち之を殺す。冶人王に謂ひて曰く、「計に度量無ければ、言談の士に棘刺の説多きなり。」一に曰く、燕王微巧を好む。衛人曰く、「能く棘刺の端を以て母猴を為る。」燕王之を説び、之を養ふに五乗の奉を以てす。王曰く、「吾試みに客の棘刺の母猴を為るを観ん。」客曰く、「人主之を観んと欲せば、必ず半歳宮に入らず、酒を飲み肉を食はず。雨霽れ日出でて、之を晏陰の間に視れば、棘刺の母猴乃ち見るべきなり。」燕王因りて衛人を養ふも、其の母猴を観ること能はず。鄭に台下の冶者有り燕王に謂ひて曰く、「臣は削る者なり、諸々の微物は必ず削を以て之を削る、而して削る所は必ず削より大なり。今棘刺の端は削鋒を容れず、以て棘刺の端を治め難し。王試みに客の削を観よ、能と不能と知るべきなり。」王曰く、「善し。」衛人に謂ひて曰く、「客棘刺の母猴を為るや、何を以て之を理むる。」曰く、「削を以てす。」
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『韓非子』問辯第四十一今言を聴き行を観るに、功用を以て之が的と為さずば、言至察と雖も、行至堅と雖も、則ち妄に發するの説ならん。
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『長短経』是非韓子曰く「法術を釈てて心を以て理むれば、堯舜も一国を正す能わず。規矩を去りて善度を忘るれば、奚仲も一輪を成す能わず。中主をして法術を守らしめ、拙匠をして規矩を執らしむれば、万に一も失わず」と。〔非に曰く〕淮南子に曰く「夫れ矢の遠きを射て堅きを貫く所以の者は、弓弩の力なり。其の的に中りて微を剖く所以の者は、人の心なり。善に賞し暴を罰する者は、政令なり。其の行わるる所以の者は、精誠なり。故に弩は強しと雖も、独り中つる能わず。令は明らかなりと雖も、独り行わる能わず」と。杜恕曰く「世に乱人有りて、乱法無し。若し法をして専ら任ず可からしめば、則ち唐・虞は稷・契の佐を須いず、殷・周は伊・呂の輔を貴ぶこと無からん」と。
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『韓非子』外儲說左上第三十二先王の言、其の為す所小にして世之を大と意ふ有り、其の為す所大にして世之を小と意ふ有り、未だ必ずしも知るべからざるなり。説は宋人の書を解すると梁人の記を読むとに在り。故に先王に郢書有りて、後世に燕説多し。夫れ国事に適はずして先王を謀るは、皆帰りて度を取る者なり。四。利の在る所、民之に帰し、名の彰るる所、士之に死す。是を以て功法に外れて賞加はれば、則ち上下に利する所を得ること能はず。名法に外れて誉加はれば、則ち士名を勧めて之を君に畜はれず。故に中章・胥己仕へて、中牟の民田圃を棄てて文学に随ふ者邑の半ばなり。平公腓痛み足痺れて敢て坐を壊らず、晋国の仕を辞して託する者国の錘なり。此の三士は、言法に襲へば、則ち官府の籍なり。行事に中れば、則ち令の如きの民なり、二君の礼太だ甚し。若し言法を離れて行功に遠ければ、則ち縄外の民なり、二君又何ぞ之を礼せん。之を礼すれば当に亡ぶべし。且つ居学の士は、国事無ければ力を用ひず、難有れば甲を被らず。之を礼すれば、則ち耕戦の功を脩むるに惰る。礼せざれば、則ち主上の法を害す。国安ければ則ち尊顕し、危ければ則ち屈公の威と為る、人主奚ぞ居学の士に得んや。故に明主李疵の中山を視るを論ず。五。詩に曰く、「躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。」傅之に説くに衣紫無きを以てし、之を援くに鄭簡・宋襄を以てし、之を責むるに耕戦を尊厚するを以てす。夫れ分を明らかにせず、誠を責めずして、躬親を以て下に位し、且つ下走・睡臥を為し、夫の揜弊・微服と与にす。孔丘知らず、故に猶ほ盂のごとしと称す。鄒君知らず、故に先づ自ら僇す。明主の道は、叔向の猟を賦すると昭侯の奚ぞ聴かんとの如し。六。小信成れば則ち大信立つ、故に明主は信を積む。