韓非子 / 外儲說左上第三十二
王曰:「吾欲觀見之。」客曰:「臣請之舍取之。」因逃。兒說,宋人,善辯者也,持「白馬非馬也」服齊稷下之辯者。乘白馬而過關,則顧白馬之賦。
新字:王曰:「吾欲観見之。」客曰:「臣請之舎取之。」因逃。児説,宋人,善弁者也,持「白馬非馬也」服斉稷下之弁者。乗白馬而過関,則顧白馬之賦。
書き下し
白馬は馬に非ざるを持するや、齊の稷下の辯者を服せり。白馬に乗りて關を過ぐれば、則ち白馬の賦を顧せらる。
現代語訳
(兒説は)「白馬は馬ではない」という論理で、斉の学者たちを論破した。しかし(彼が)白馬に乗って関所を通ると、(馬の)通行税をしっかり取られた。
解説
兒説という弁の立つ人物は、「白い馬は馬ではない」という理屈をこねまわして、斉の学者たちを議論で言い負かしてしまうほどの腕前でした。ところが、その兒説が実際に白馬に乗って関所を通ろうとすると、役人からしっかり馬の通行税を取られてしまいます。理屈の上でどれほど巧みに言い抜けても、現実の前では何の役にも立たなかったのです。話し合いの席で理屈や言葉を尽くして相手を言い負かすことができても、実際の暮らしや商いの場では、そんな理屈は誰も相手にしてくれません。家計のやりくりも、近所付き合いも、理屈より実際にうまく回るかどうかがすべてです。どれほど頭で組み立てた見事な考えであっても、現場や日々の暮らしという現実の中でちゃんと通用して初めて、本当に値打ちのあるものだと言えるのです。
この章句が説くこと
机上の空論理論と実践現場主義現実アカデミズムとビジネス
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