後世への最大遺物 / 第二回・マウント・ホリヨーク女学校
私は時が長くなりましたからもうしまいにいたしますが、常に私の生涯に深い感覚を与える一つの言葉を皆様の前に繰り返したい。ことにわれわれのなかに一人アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校へ行って卒業してきた方がおりますが、この女学校は古い女学校であります。たいへんよい女学校であります。しかしながらもし私をしてその女学校を評せしむれば、今の教育上ことに知育上においては私はけっしてアメリカ第一等の女学校とは思わない。米国にはたくさんよい女学校がございます。スミス女学校というような大きな学校もあります。またボストンのウェレスレー学校、フィラデルフィアのブリンモアー学校というようなものがございます。
書き下し
私は時が長くなりましたからもうしまいにいたしますが、常に私の生涯に深い感覚を与える一つの言葉を、皆様の前に繰り返したい。ことに、われわれのなかに一人、アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校へ行って卒業してきた方がおりますが、この女学校は古い女学校であります。たいへんよい女学校であります。しかしながら、もし私をしてその女学校を評せしむれば、今の教育上、ことに知育上においては、私はけっしてアメリカ第一等の女学校とは思わない。米国にはたくさんよい女学校がございます。スミス女学校というような大きな学校もあります。またボストンのウェレスレー学校、フィラデルフィアのブリンモアー学校というようなものがございます。
現代語訳
時間が長くなりましたのでもう終わりにしますが、いつも私の生涯に深い感銘を与える一つの言葉を、皆様の前で繰り返したい。とくに、私たちの中に一人、アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校へ行って卒業してきた方がいますが、この女学校は古い女学校です。大変よい女学校です。しかし、もし私にその女学校を評させるなら、今の教育上、とくに知育の面では、決してアメリカ第一の女学校だとは思いません。アメリカにはよい女学校がたくさんあります。スミス女学校のような大きな学校もあります。またボストンのウェルズリー学校、フィラデルフィアのブリンマー学校のようなものもあります。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『長短経』息弁此に由りて之を言えば、夫れ身を立て政に従うには、皆本有り。理乱能否には、皆迹有り。若し其の本行を操りて、事迹を以て之を縄さば、譬えば水の寒き、火の熱きが如く、則ち善悪逃るる所無し。
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『韓非子』問辯第四十一夫れ言行は、功用を以て之が的彀と為す者なり。夫れ殺矢を砥礪して以て妄りに発すれば、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらず、然れども善く射る者と謂ふべからざるは、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引くも、羿・逢蒙に非ざれば必ずしも中つる能はざるは、常の儀的有ればなり。
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・いまだ命の棄てどころを知らざる者かくのごとく世を患いて身を苦しめあるいは命を落とすものを、西洋の語にてマルチルドムという。失うところのものはただ一人の身なれども、その功能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱の師よりもはるかに優れり。古来日本にて討死せし者も多く切腹せし者も多し、いずれも忠臣義士とて評判は高しといえども、その身を棄てたる所以を尋ぬるに、多くは両主政権を争うの師に関係する者か、または主人の敵討ちなどによりて花々しく一命を抛ちたる者のみ。その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。己が主人のためと言い己が主人に申し訳なしとて、ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは不文不明の世の常なれども、いま文明の大義をもってこれを論ずれば、これらの人はいまだ命の棄てどころを知らざる者と言うべし。