韓非子 / 內儲說上七術第三十
衛嗣公使人爲客過關市,關市苛難之,因事關市以金,關吏乃舍之。嗣公爲關吏曰:「某時有客過而所,與汝金,而汝因遣之。」關市乃大恐,而以嗣公爲明察。
新字:衛嗣公使人為客過関市,関市苛難之,因事関市以金,関吏乃舎之。嗣公為関吏曰:「某時有客過而所,与汝金,而汝因遣之。」関市乃大恐,而以嗣公為明察。
書き下し
衛の嗣公、人をして客と為りて関市を過ぎしむ。関市之を苛難す。因りて関市に事ふるに金を以てす。関吏乃ち之を舎く。嗣公、関吏に為(い)ひて曰く、「某の時、客有りて而の所を過ぎ、汝に金を与へ、而して汝因りて之を遣れり」と。関市乃ち大いに恐れ、而して嗣公を以て明察と為す。
現代語訳
衛の嗣公が、人を旅人に仕立てて関所の市場を通らせた。関所の役人は旅人をひどく難詰したので、旅人は役人に金を贈った。すると役人は旅人を通してやった。嗣公は関所の役人に言った。「これこれの時、旅人がお前のところを通り、お前に金を渡したので、お前はそれで旅人を通してやったな」。関所の役人はたいそう恐れ、嗣公を明察な君主だと思った。
解説
内儲説上篇の最後の説話で、倒言の術の例です。衛の嗣公は、人を旅人に仕立てて関所を通らせ、役人が賄賂を受け取って通したことを確かめると、その日時まで挙げて役人を問い詰めました。役人は、君主がすべてを見通していると恐れ入りました。事をあべこべにする、つまり君主の側から罠を仕掛けて相手の実態を探る手法です。経ではこの話が倒言の術の締めくくりに挙げられています。韓非の術は、臣下の善意を当てにせず、不正の実態を君主自身が把握することを重視します。現代でも覆面調査や内部監査のように、実際の顧客の立場で現場を確かめる手法は、窓口での不正や対応の質を知るうえで有効な方法です。
関連する章句
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『韓非子』內儲說上七術第三十主の用ふる所は七術、察する所は六微なり。七術、一に曰く衆端参観、二に曰く必罰明威、三に曰く信賞尽能、四に曰く一聴責下、五に曰く疑詔詭使、六に曰く挟知而問、七に曰く倒言反事。此の七者は主の用ふる所なり。観聴参せざれば則ち誠聞こえず、聴くに門戸有れば則ち臣壅塞す。其の説は侏儒の竈を夢見ると、哀公の「衆と莫くして迷ふ」を称するとに在り。故に斉人の河伯を見すと、恵子の「其の半を亡ふ」を言ふとなり。其の患ひは豎牛の叔孫を餓ゑしむると、江乙の荊の俗を説くとに在り。嗣公は治めんと欲して知らず、故に敵有らしむ。是を以て明主は積鉄の類を推して、一市の患ひを察す。参観一。愛多き者は則ち法立たず、威寡なき者は則ち下上を侵す。是を以て刑罰必ならざれば則ち禁令行はれず。其の説は董子の石邑に行くと、子産の游吉に教ふるとに在り。故に仲尼は隕霜を説きて、殷の法は棄灰を刑す。将行は楽池を去りて、公孫鞅は軽罪を重くす。是を以て麗水の金は守られず、積沢の火は救はれず。成歓は太だ仁なるを以て斉国を弱め、卜皮は慈恵を以て魏王を亡ぼす。管仲之を知る、故に死人を断ず。嗣公之を知る、故に胥靡を買ふ。必罰二。賞誉薄くして謾なる者は下用ゐられず、賞誉厚くして信なる者は下死を軽んず。其の説は文子の「獣鹿の若し」と称するに在り。故に越王は宮室を焚き、呉起は車轅を倚せ、李悝は訟を断ずるに射を以てし、宋の崇門は毀を以て死す。勾践之を知る、故に怒鼃に式す。昭侯之を知る、故に弊袴を蔵す。厚賞の人をして賁・諸為らしむるや、婦人の蚕を拾ひ、漁者の鱣を握る、是を以て之を效す。賞誉三。一聴すれば則ち愚智紛れず、下に責むれば則ち人臣参せず。其の説は「鄭を索む」と「竽を吹く」とに在り。
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