韓非子 / 內儲說上七術第三十
四。魏王謂鄭王曰:「始鄭、梁一國也,已而别,今願復得鄭而合之梁。」鄭君患之,召羣臣而與之謀所以對魏。公子謂鄭君曰:「此甚易應也。君對魏曰:『以鄭爲故魏而可合也,則弊邑亦願得梁而合之鄭。』」
新字:四。魏王謂鄭王曰:「始鄭、梁一国也,已而別,今願復得鄭而合之梁。」鄭君患之,召羣臣而与之謀所以対魏。公子謂鄭君曰:「此甚易応也。君対魏曰:『以鄭為故魏而可合也,則弊邑亦願得梁而合之鄭。』」
書き下し
四。魏王、鄭王に謂ひて曰く、「始め鄭・梁は一国なり、已にして別る。今願はくは復た鄭を得て之を梁に合はせん」と。鄭君之を患ひ、群臣を召して之と魏に対ふる所以を謀る。公子、鄭君に謂ひて曰く、「此れ甚だ応じ易きなり。君、魏に対へて曰へ、『鄭を以て故の魏にして合はすべしと為さば、則ち弊邑も亦願はくは梁を得て之を鄭に合はせん』と」と。
現代語訳
(以下は説の)四である。魏王が鄭(韓)の王に言った。「はじめ鄭と梁(魏)は一つの国であったが、やがて分かれた。いま、ふたたび鄭を得て梁に合わせたいと思う」。鄭の君はこれを憂え、群臣を呼び集めて魏にどう答えるかを相談した。公子が鄭の君に言った。「これは実に答えやすいことです。殿は魏にこうお答えなさい。『鄭がもとは魏であったから合わせてよいというのなら、わが国もまた梁を得て鄭に合わせたいと思います』と」。
解説
説の四、一聴の術の最初の説話で、経にいう「鄭を索む」の話です。魏王が、もとは一つの国だったのだから鄭を魏に合わせたいと無理な要求をしてきました。鄭の君は困って群臣に相談しましたが、公子は、同じ理屈で逆に魏を鄭に合わせたいと答えればよいと進言しました。この後、魏王はそれを聞いて要求を取り下げたと伝わります。韓非がこれを一聴の術の例としたのは、群臣を一堂に集めてまとめて聞くのではなく、一人ずつの意見を聞けば、愚者と知者が紛れず、よい策を出した者が誰かも明らかになるからだと考えられます。会議で意見をまとめて聞くと、誰が良い案を出したかがぼやけます。一人ずつ聞けば、功績も責任もはっきりします。
関連する章句
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呂氏春秋・審應③魏の惠王、人をして韓の昭侯に謂わしめて曰く、「夫れ鄭は乃ち韓氏之を亡ぼせるなり。願わくは君の其の後を封ぜんことを。此れ所謂亡びたるを存し絶えたるを繼ぐの義なり。君若し之を封ぜば則ち大名たらん。」昭侯之を患う。公子食我曰く、「臣請う、往きて之に對えん。」公子食我、魏に至り、魏王に見えて曰く、「大國、弊邑に鄭の後を封ぜんことを命ずるも、弊邑敢て當らざるなり。弊邑、大國の患う所と為らん。昔出公の後、聲氏、晉公と為り、銅鞮に拘わるるに、大國憐れまざるなり。而るに弊邑をして亡びたるを存し絶えたるを繼がしむ。弊邑敢て當らざるなり。」魏王慚ぢて曰く、「固より寡人の志に非ざるなり。客請う、復た言う勿れ。」是れ不義を舉げて以て不義を行うなり。魏王以て應うる無しと雖も、韓の不義を為すこと、愈々益々厚きなり。公子食我の辯は、適々以て非を飾り過を遂ぐるに足る。
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戦国策・或謂公仲曰聽者聽國或るひと公仲に謂いて曰く、「聴く者は国を聴く、必ずしも実を聴くに非ざるなり。故に先王諺言を市に聴く、願わくは公臣が言を聴け。公秦に中立を求むれども、得ること能わず、公孫郝を善くして以て甘茂を難じ、斉兵を勧めて以て魏を止むるを勧む、楚・趙皆公の讎なり。臣恐らくは国の此を以て患いと為さんことを、願わくは公復た秦に中立を求めよ。」公仲曰く、「奈何せん。」対えて曰く、「秦王公孫郝を以て公に党すと為して之を聴かず、甘茂公に善からずして公の為に言わず、公何ぞ行願に因りて以て秦王と語らざる。行願の秦王の臣為るや公なり、臣請う公の為に秦王に謂いて曰わん、『斉・魏合すると離るると、秦に於いて孰れか利あらん。斉・魏別つと合うと、秦に於いて孰れか強からん。』秦王必ず曰わん、『斉・魏離るれば、則ち秦重く、合すれば、則ち秦軽し。斉・魏別つれば、則ち秦強く、合すれば、則ち秦弱し。』臣即ち曰わん、『今、王公孫郝に聴きて韓・秦の兵を以て斉に応じて魏を攻めしめ、魏敢えて戦わず、地を帰して斉に合せば、是れ秦軽きなり、臣公孫郝を以て不忠と為す。今、王甘茂に聴き、韓・秦の兵を以て魏に拠りて斉を攻めしめ、斉敢えて戦わず、地を割くを求めずして魏に合せば、是れ秦軽きなり、臣甘茂を以て不忠と為す。故に王は韓をして中立して以て斉を攻めしむるに如かず、斉王魏を救うを言いて以て之を勁くし、斉・魏相い聴くこと能わず、久しく兵史を離れん。王欲すれば、則ち公孫郝を斉に信じて、韓の為に南陽を取り、穀川を易えて以て帰らしめよ、此れ恵王の願いなり。王欲すれば、則ち甘茂を魏に信じて、韓・秦の兵を以て魏に拠りて以て斉を郄けよ、此れ武王の願いなり。臣以為えらく、韓をして中立せしめて以て斉を勁くするは、最も秦の大急なりと。公孫郝は斉に党して肯えて言わず、甘茂は薄くして敢えて謁せず、此の二人は、王の大患なり。願わくは王之を熟計せよ。』」
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『新序』善謀第九夜出でて秦君に見えて曰く、秦晉鄭を圍む。鄭亡ぶるを知れり。若し亡びて君に益有らば、敢えて以て執事を煩わさん。鄭は晉の東に在り、秦は晉の西に在り。晉を越えて鄭を取るは、君其の難きを知るなり。焉くんぞ鄭を亡ぼして以て晉に陪するを用いん。晉は、秦の隣なり。隣の强きは、君の憂いなり。若し鄭を舍きて以て東道の主と爲さば、行李の往來、其の資糧を共にす。亦た害する所無し。且つ君晉君を立つるに、晉君君に焦・瑕を許す。朝に入るを得て、夕べに版を設けて界を畫す。君の知る所なり。夫れ晉何の厭くこと之れ有らん。既に東のかた鄭を取らば、又た其の西境を廣めんと欲す。秦を闕かずんば將に焉くにか之を取らん。秦を闕きて晉を利す。願わくは君之を圖れ、と。秦兵悅び、兵を引きて還る。晉の咎犯之を擊たんことを請う。文公曰く、不可なり。夫の人の力微かりせば鄭を弊す能わず。人の力に因りて以て之を弊すは、不仁なり。其の與する所を失うは、不知なり。亂を以て整に易うるは、不武なり。吾其れ還らん、と。亦た鄭を去り、圍遂に解く。燭之武は善謀と謂う可し。一言もて鄭を存して秦を安んず。鄭君善謀を蚤く用いざるは、國を削る所以なり。困りて焉に覺むるは、存するを得る所以なり。
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