韓非子 / 內儲說上七術第三十
魏王乃止。齊宣王使人吹竽,必三百人。南郭處士請爲王吹竽,宣王說之,廪食以數百人。宣王死,湣王立,好一一聽之,處士逃。
新字:魏王乃止。斉宣王使人吹竽,必三百人。南郭処士請為王吹竽,宣王説之,廪食以数百人。宣王死,湣王立,好一一聴之,処士逃。
書き下し
齊の宣王人をして竿を吹かしむるや、必ず三百人なり。...宣王死し、湣王立つ。一一にして之を聴かんことを好む。處士逃る。
現代語訳
斉の宣王は笛の演奏を聴く際、必ず三百人の楽団(三百人)に合奏させていた。南郭先生(処士)は笛が吹けないのに楽団に紛れ込み、給料を得ていた。宣王が死に、湣王が即位すると、「一人ずつ(一一にして)演奏を聴きたい」と言い出したため、南郭先生は逃げ出した。
解説
斉の宣王は笛の合奏を聴くとき、決まって三百人もの大人数の楽団に演奏させていました。笛など吹けもしない南郭という男は、その中に紛れ込み、上手な人たちに合わせて吹くふりをするだけで、長年ちゃっかり給料を受け取っていました。ところが宣王が亡くなり跡を継いだ湣王が「一人ずつ順番に聴きたい」と言い出した途端、南郭は慌てて逃げ出してしまいます。大勢まとめての成果しか見ていないと、実は何もしていない人がその中に紛れ込んでいても気づけません。会議で誰も発言せず全員でうなずくだけの時も、班活動で一部の人だけが作業して他は名前を連ねているだけの時も、同じことが起きています。上に立つ人は、集団としての出来栄えだけでなく、一人ひとりが実際に何をしたのかまで確かめる目を持たなければ、頑張っている人が損をする組織になってしまいます。

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