韓非子 / 內儲說上七術第三十
其患在申子之以趙紹、韓沓爲嘗試。故公子汜議割河東,而應侯謀㢮上黨。一聽四數見久待而不任,姦則鹿散。使人問他則不鬻私。是以龐敬還公大夫,而戴讙詔視輼車,周主亡玉簪,商太宰論牛矢。詭使五挾智而問,則不智者智;深智一物,衆隱皆變。其說在昭侯之握一爪也。故必南門而三鄉得。周主索曲杖而羣臣懼,卜皮使庶子,西門豹詳遺轄。挾智六倒言反事以嘗所疑則姦情得。故陽山謾樛竪,淖齒爲秦使,齊人欲爲亂,子之以白馬,子産離訟者,嗣公過關市。倒言七。右經一。衛靈公之時,彌子瑕有寵,專於衛國。
新字:其患在申子之以趙紹、韓沓為嘗試。故公子汜議割河東,而応侯謀㢮上党。一聴四数見久待而不任,姦則鹿散。使人問他則不鬻私。是以龐敬還公大夫,而戴讙詔視輼車,周主亡玉簪,商太宰論牛矢。詭使五挟智而問,則不智者智;深智一物,衆隠皆変。其説在昭侯之握一爪也。故必南門而三郷得。周主索曲杖而羣臣懼,卜皮使庶子,西門豹詳遺轄。挟智六倒言反事以嘗所疑則姦情得。故陽山謾樛竪,淖歯為秦使,斉人欲為乱,子之以白馬,子産離訟者,嗣公過関市。倒言七。右経一。衛霊公之時,弥子瑕有寵,専於衛国。
書き下し
其の患ひは申子の趙紹・韓沓を以て嘗試と為すに在り。故に公子汜は河東を割くを議し、而して応侯は上党を弛むるを謀る。一聴四。数々見えて久しく待ちて任ぜざれば、姦は則ち鹿のごとく散ず。人をして他を問はしむれば則ち私を鬻がず。是を以て龐敬は公大夫を還し、而して戴讙は轀車を視しむるを詔し、周主は玉簪を亡ひ、商の太宰は牛矢を論ず。詭使五。智を挟みて問へば、則ち不智なる者も智なり。深く一物を智れば、衆隠皆変ず。其の説は昭侯の一爪を握るに在り。故に必ず南門にして三郷得らる。周主は曲杖を索めて群臣懼れ、卜皮は庶子を使ひ、西門豹は詳りて轄を遺る。挟智六。倒言反事して以て疑ふ所を嘗みれば、則ち姦情得らる。故に陽山は樛豎を謾り、淖歯は秦の使ひと為り、斉人は乱を為さんと欲し、子之は白馬を以てし、子産は訟者を離し、嗣公は関市を過ぐ。倒言七。右経一。衛の霊公の時、弥子瑕寵有りて、衛国を専らにす。
現代語訳
(一人ずつ聞かないことの)害は、申不害が趙紹と韓沓を使って君主の意向を探らせた話にある。また公子汜が(秦王に)河東を割いて講和することを論じた話と、応侯(范雎)が上党を手放すことを謀った話である。以上が一聴の四である。(第五)しばしば謁見させ、長く待たせながら任務を与えなければ、悪事を企む者は鹿が散るように散り散りになる。人を使って別のことを尋ねさせれば、私利を売り込まなくなる。だから龐敬は公大夫を呼び戻し、戴讙は轀車(ほろ車)を見張るよう命じ、周の君主は玉のかんざしをなくしてみせ、商の太宰は牛の糞のことを論じた。以上が詭使の五である。(第六)知っていることを隠して尋ねれば、知らないことまで知ることができる。一つのことを深く知れば、多くの隠れたことがみな明らかになる。その説話は、韓の昭侯が爪を一つ握り隠した話にある。また(昭侯が)必ず南門(の黄色い子牛のこと)を挙げたので、三つの郷の実情がつかめた話である。周の君主が曲がった杖を探させて群臣が恐れた話、卜皮が若い家臣を使った話、西門豹が車のくさびをなくしたふりをした話である。以上が挟智の六である。(第七)言葉を逆さにし、事をあべこべにして疑わしいことを試せば、悪事の実情がつかめる。だから陽山君は樛豎をわざと謗り、淖歯は秦の使者になりすまし、斉の人は乱を起こそうとして(寵愛する者を追放してみせ)、子之は白馬を見たと偽り、子産は訴訟の当事者を引き離し、衛の嗣公は(人を使って)関所の市を通らせた。以上が倒言の七である。右が経の一である。衛の霊公の時、弥子瑕は寵愛を受けて、衛の国政をほしいままにしていた。
解説
関連する章句
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『韓非子』內儲說上七術第三十主の用ふる所は七術、察する所は六微なり。七術、一に曰く衆端参観、二に曰く必罰明威、三に曰く信賞尽能、四に曰く一聴責下、五に曰く疑詔詭使、六に曰く挟知而問、七に曰く倒言反事。此の七者は主の用ふる所なり。観聴参せざれば則ち誠聞こえず、聴くに門戸有れば則ち臣壅塞す。其の説は侏儒の竈を夢見ると、哀公の「衆と莫くして迷ふ」を称するとに在り。故に斉人の河伯を見すと、恵子の「其の半を亡ふ」を言ふとなり。其の患ひは豎牛の叔孫を餓ゑしむると、江乙の荊の俗を説くとに在り。嗣公は治めんと欲して知らず、故に敵有らしむ。是を以て明主は積鉄の類を推して、一市の患ひを察す。参観一。愛多き者は則ち法立たず、威寡なき者は則ち下上を侵す。是を以て刑罰必ならざれば則ち禁令行はれず。其の説は董子の石邑に行くと、子産の游吉に教ふるとに在り。故に仲尼は隕霜を説きて、殷の法は棄灰を刑す。将行は楽池を去りて、公孫鞅は軽罪を重くす。是を以て麗水の金は守られず、積沢の火は救はれず。成歓は太だ仁なるを以て斉国を弱め、卜皮は慈恵を以て魏王を亡ぼす。管仲之を知る、故に死人を断ず。嗣公之を知る、故に胥靡を買ふ。必罰二。賞誉薄くして謾なる者は下用ゐられず、賞誉厚くして信なる者は下死を軽んず。其の説は文子の「獣鹿の若し」と称するに在り。故に越王は宮室を焚き、呉起は車轅を倚せ、李悝は訟を断ずるに射を以てし、宋の崇門は毀を以て死す。勾践之を知る、故に怒鼃に式す。昭侯之を知る、故に弊袴を蔵す。厚賞の人をして賁・諸為らしむるや、婦人の蚕を拾ひ、漁者の鱣を握る、是を以て之を效す。賞誉三。一聴すれば則ち愚智紛れず、下に責むれば則ち人臣参せず。其の説は「鄭を索む」と「竽を吹く」とに在り。
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『韓非子』內儲說上七術第三十韓の昭侯、騎をして県に於てせしむ。使者報ず。昭侯問ひて曰く、「何をか見たる」と。対へて曰く、「見る所無きなり」と。昭侯曰く、「然りと雖も、何をか見たる」と。曰く、「南門の外に、黄犢の苗を道の左に食む者有り」と。昭侯、使者に謂ふ、「敢へて吾の女に問ふ所を洩らす毋かれ」と。乃ち令を下して曰く、「苗の時に当たりて、牛馬の人の田中に入るを禁ずること固より令有り。而るに吏以て事と為さず、牛馬甚だ多く人の田中に入る。亟かに其の数を挙げて之を上れ。得ずんば、将に其の罪を重くせんとす」と。是に於て三郷挙げて之を上る。昭侯曰く、「未だ尽くさざるなり」と。復た往きて之を審らかにし、乃ち南門の外の黄犢を得たり。吏、昭侯を以て明察と為し、皆其の所に悚懼して敢へて非を為さず。周主、令を下して曲杖を索めしむ。吏之を求むること数日にして得ること能はず。周主私かに人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり。乃ち吏に謂ひて曰く、「吾吏の事を事とせざるを知る。曲杖は甚だ易きなり、而るに吏得ること能はず。我人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり、豈に忠と謂ふべけんや」と。吏乃ち皆其の所に悚懼して、君を以て神明と為す。卜皮は県令為り。其の御史汚濊にして愛妾有り。卜皮乃ち少庶子をして佯りて之を愛せしめ、以て御史の陰情を知る。西門豹は鄴の令為り。佯りて其の車轄を亡ひ、吏をして之を求めしむるも得ること能はず。人をして之を求めしめて之を家人の屋間に得たり。七。陽山君、衛に相たり。王の己を疑ふを聞き、乃ち偽りて樛豎を謗りて以て之を知る。淖歯、斉王の己を悪むを聞き、乃ち矯りて秦の使ひと為りて以て之を知る。斉人に乱を為さんと欲する者有り。王の之を知らんことを恐れ、因りて詐りて愛する所の者を逐ひ、走りて王をして之を知らしむ。
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『韓非子』內儲說上七術第三十衛の嗣公、人をして客と為りて関市を過ぎしむ。関市之を苛難す。因りて関市に事ふるに金を以てす。関吏乃ち之を舎く。嗣公、関吏に為(い)ひて曰く、「某の時、客有りて而の所を過ぎ、汝に金を与へ、而して汝因りて之を遣れり」と。関市乃ち大いに恐れ、而して嗣公を以て明察と為す。
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『韓非子』內儲說上七術第三十戴驩は宋の太宰なり。夜人をして曰はしむ、「吾聞く、数夜轀車に乗りて李史の門に至る者有りと、謹んで我が為に之を伺へ」と。使人報じて曰く、「轀車を見ず、笥を奉じて李史と語る者有るを見る。間有りて、李史笥を受く」と。周主玉簪を亡ひ、吏をして之を求めしむ、三日にして得ること能はざるなり。周主、人をして求めしめて之を家人の屋間に得たり。周主曰く、「吾の吏の事を事とせざるや。簪を求めて、三日にして之を得ず。吾人をして之を求めしむれば、日を移さずして之を得たり」と。是に於て吏皆聳懼して、以て君を神明と為すなり。商の太宰、少庶子をして市に之かしめ、顧反りて之に問ひて曰く、「何をか市に見たる」と。対へて曰く、「見る無きなり」と。太宰曰く、「然りと雖も、何をか見たる」と。対へて曰く、「市の南門の外は甚だ牛車衆く、僅かに以て行くべきのみ」と。太宰因りて使者を誡めて、「敢へて人に吾の女に問ふ所を告ぐる無かれ」と。
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『韓非子』外儲說左上第三十二一。明主の道は、有若の密子に応ずるが如し。人主の言を聴くや、其の弁を美とし、其の行を観るや、其の遠きを賢とす。故に群臣士民の言を道ふ者は迂弘にして、其の身を行ふや世を離る。其の説は田鳩の荊王に対ふるに在り。故に墨子木鳶を為り、謳癸武宮を築く。夫れ薬酒忠言は、明君聖主の以て独り知る所なり。二。人主の言を聴くや、功用を以て的と為さざれば、則ち説く者に棘刺・白馬の説多し。儀的を以て関と為さざれば、則ち射る者皆羿の如し。人主の説に於けるや、皆燕王の道を学ぶが如きなり。而して長説する者は、皆鄭人の年を争ふが如きなり。是を以て言に繊察微難にして務に非ざる有り、故に季・恵・宋・墨は皆画策なり。論に迂深閎大にして、用に非ざる有り、故に魏・長・瞻・陳・荘は皆鬼魅なり。行に払難堅確にして、功に非ざる有り、故に務・卞・鮑・介・田仲は皆堅瓠なり。且つ虞慶匠を詘して屋壊れ、范且工を窮して弓折る。是の故に其の誠を求むる者は、帰餉に非ざれば可ならず。三。夫の相為にするを挟めば則ち責望し、自ら為にすれば則ち事行はる。故に父子或いは怨譙し、庸を取りて作る者は美羹を進む。説は文公の先づ宣言すると勾践の如皇を称するとに在り。故に桓公蔡の怒りを蔵して楚を攻め、呉起瘳ゆるを懐ひて実に傷を吮ふ。且つ先王の賦頌、鍾鼎の銘は、皆播吾の跡、華山の博なり。然れども先王の期する所の者は利なり、用ふる所の者は力なり。築社の諺は、自ら辞説するなり。請ふ学者を許して宛曼を先王に行ふは、或いは今に宜しからざるか。是の如くんば、更むること能はざるなり。鄭県の人車厄を得るなり、衛人の弋を佐くるなり、卜子の妻の弊袴を写すなり、而して其の少者の長者に侍して飲むなり。
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『韓非子』內儲說上七術第三十一に曰く、韓の昭侯曰く、「竽を吹く者衆し、吾以て其の善き者を知る無し」と。田厳対へて曰く、「一一にして之を聴け」と。趙、人をして申子に因りて韓に兵を請はしめ、将に以て魏を攻めんとす。申子之を君に言はんと欲するも、君の己の外市するを疑はんことを恐れ、然らずんば趙に悪まれんことを恐る。乃ち趙紹・韓沓をして嘗試に君の動貌を試みしめて而る後に之を言ふ。内は則ち昭侯の意を知り、外は則ち趙を得るの功有り。三国の兵韓に至る。秦王、楼緩に謂ひて曰く、「三国の兵深し。寡人、河東を割きて講ぜんと欲す、何如」と。対へて曰く、「夫れ河東を割くは大費なり。国を患ひより免るるは大功なり。此れ父兄の任なり、王何ぞ公子汜を召して焉に問はざる」と。王、公子汜を召して之に告ぐ。対へて曰く、「講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ。王今河東を割きて講ずれば、三国帰りて、王必ず曰はん、『三国固より且に去らんとす、吾特に三城を以て之を送る』と。講ぜずんば、三国也韓に入り、則ち国必ず大いに挙げられん、王必ず大いに悔いん。王曰はん、『三城を献ぜざればなり』と。臣故に曰く、王講ずるも亦悔い、講ぜざるも亦悔ゆ、と」と。王曰く、「為に我悔ゆるや、寧ろ三城を亡ひて悔ゆるも、危ふくして乃ち悔ゆること無からん。寡人講ずるを断ぜり」と。応侯、秦王に謂ひて曰く、「王、宛・葉・藍田・陽夏を得、河内を断ち、梁・鄭を困しむるも、未だ王たらざる所以の者は、趙未だ服せざればなり。上党を弛むること一に在るのみ、以て東陽に臨めば、則ち邯鄲は口中の虱なり。王拱して天下を朝せしめ、後るる者は兵を以て之に中てん。然れども上党の安楽は、其の処甚だ劇し。臣恐らくは之を弛めて聴かざらん、奈何」と。王曰く、「必ず弛めて之に易へん」と。五。龐敬は県令なり。市者を遣はして行かしめ、而して公大夫を召して之を還す。立つこと間有りて、以て之に詔する無く、卒に遣はして行かしむ。市者以為へらく令と公大夫と言有りと、相信ぜず、以て姦無きに至る。