韓非子 / 說林上二十二
子雖工自樹於王,而欲去子者衆,子必危矣。」魯季孫新弑其君,吳起仕焉。或謂起曰:「夫死者,始死而血,已血而衂,已衂而灰,已灰而土。及其土也,無可爲者矣。今季孫乃始血,其毋乃未可知也。」吳起因去之晉。隰斯彌見田成子,田成子與登臺四望。三面皆暢,南望,隰子家之樹蔽之。田成子亦不言。隰子歸,使人伐之。斧離數創,隰子止之。其相室曰:「何變之數也?」
新字:子雖工自樹於王,而欲去子者衆,子必危矣。」魯季孫新弑其君,呉起仕焉。或謂起曰:「夫死者,始死而血,已血而衂,已衂而灰,已灰而土。及其土也,無可為者矣。今季孫乃始血,其毋乃未可知也。」呉起因去之晋。隰斯弥見田成子,田成子与登台四望。三面皆暢,南望,隰子家之樹蔽之。田成子亦不言。隰子帰,使人伐之。斧離数創,隰子止之。其相室曰:「何変之数也?」
書き下し
子、工みに自ら王に樹つと雖も、子を去らんと欲する者衆ければ、子必ず危ふし」と。魯の季孫、新たに其の君を弑し、呉起焉に仕ふ。或ひと起に謂ひて曰く、「夫れ死者は、始め死して血あり、已に血ありて衄あり、已に衄ありて灰あり、已に灰ありて土あり。其の土に及ぶや、為すべき者無し。今季孫は乃ち始めて血あり、其れ毋乃ち未だ知るべからざらんか」と。呉起因りて之を去りて晋に之く。隰斯弥、田成子に見ゆ。田成子与に台に登りて四望す。三面皆暢びたり、南に望めば、隰子の家の樹之を蔽ふ。田成子も亦言はず。隰子帰り、人をして之を伐らしむ。斧離れて数創ありて、隰子之を止む。其の相室曰く、「何ぞ変ずることの数なるや」と。
現代語訳
(恵子は続けた。)「あなたがいくら巧みに王のもとに根を張っても、あなたを除こうとする者が多ければ、あなたは必ず危うくなります」。魯の季孫氏が新たに主君を殺したばかりのとき、呉起はそこに仕えていた。ある人が呉起に言った。「人の死体というものは、死んだばかりのときは血が流れ、血が流れた後は鼻血のように滲み出し、滲み出した後は灰のように乾き、乾いた後は土に返ります。土に返ってしまえば、もう何も起こりません。いま季孫はようやく血が流れはじめたところです。どうなるかまだわからないのではないですか」。呉起はそこで季孫のもとを去って晋へ行った。隰斯弥が田成子に会ったとき、田成子は彼と一緒に楼台に登って四方を眺めた。三方はみな見晴らしがよかったが、南を眺めると、隰斯弥の家の木が視界をさえぎっていた。田成子も何も言わなかった。隰斯弥は家に帰ると、人にその木を伐らせた。斧で数か所に傷をつけたところで、隰斯弥はやめさせた。家宰が言った。「なんと心変わりの激しいことですか」。
解説
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