史記 / 孫子呉起列伝
魯人或惡吳起曰、起之為人、猜忍人也。其少時、家累千金、游仕不遂、遂破其家、鄉黨笑之、吳起殺其謗己者三十餘人、而東出衛郭門。與其母訣、齧臂而盟曰、起不為卿相、不復入衛。遂事曾子。居頃之、其母死、起終不歸。曾子薄之、而與起絕。起乃之魯、學兵法以事魯君。魯君疑之、起殺妻以求將。夫魯小國、而有戰勝之名、則諸侯圖魯矣。且魯衛兄弟之國也、而君用起、則是棄衛。魯君疑之、謝吳起。
新字:魯人或悪吳起曰、起之為人、猜忍人也。其少時、家累千金、游仕不遂、遂破其家、鄉党笑之、吳起殺其謗己者三十余人、而東出衛郭門。与其母訣、齧臂而盟曰、起不為卿相、不復入衛。遂事曽子。居頃之、其母死、起終不帰。曽子薄之、而与起絶。起乃之魯、学兵法以事魯君。魯君疑之、起殺妻以求将。夫魯小国、而有戦勝之名、則諸侯図魯矣。且魯衛兄弟之国也、而君用起、則是棄衛。魯君疑之、謝吳起。
書き下し
魯人或いは呉起を悪みて曰く、「起の人と為りは、猜忍の人なり。其の少き時、家、千金を累ぬるも、游仕して遂げず、遂に其の家を破り、郷党之を笑ふ。呉起、其の己を謗る者三十余人を殺して、東のかた衛の郭門を出づ。其の母と訣るるや、臂を齧みて盟ひて曰く、『起、卿相と為らずんば、復た衛に入らじ』と。遂に曾子に事ふ。居ること頃之にして、其の母死するも、起終に帰らず。曾子之を薄しとして、起と絶つ。起乃ち魯に之き、兵法を学びて以て魯の君に事ふ。魯君之を疑ひ、起、妻を殺して以て将たるを求む。夫れ魯は小国なるに、戦勝の名有れば、則ち諸侯魯を図らん。且つ魯・衛は兄弟の国なり、而るに君、起を用ゐば、則ち是れ衛を棄つるなり」と。魯君之を疑ひ、呉起を謝す。
現代語訳
魯のある人が呉起を非難して言った。「呉起の人柄は、猜疑心が強く残忍だ。若いころ、家は千金の富があったのに、仕官を求めて各地を回っても叶わず、ついに家産を使い果たし、村人に笑われた。すると呉起は自分をそしった者三十余人を殺し、東の衛の城門を出て亡命した。その際、母と別れるとき、自分の腕を噛んで血を流し『大臣や宰相にならなければ、二度と衛には戻らない』と誓った。そして曾子に師事したが、まもなく母が死んでも、ついに帰らなかった。曾子はこれを薄情だと嫌い、呉起と絶交した。呉起は魯へ行き、兵法を学んで魯君に仕えた。魯君が疑うと、呉起は妻を殺してまで将軍の座を求めた。そもそも魯は小国だ。それが戦勝の名を得れば、他の諸侯に狙われる。しかも魯と衛は兄弟の国であり、衛出身の呉起を用いれば、衛を見捨てることになる」。魯君はこれを聞いて疑い、呉起を退けた。
解説
この章句が説くこと
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