韓非子 / 說林上二十二
周公旦已勝殷,將攻商蓋,辛公甲曰:「大難攻,小易服。不如服衆小以劫大。」乃攻九夷而商蓋服矣。紂爲長夜之飲,懽以失日,問其左右,盡不知也。乃使人問箕子。箕子謂其徒曰:「爲天下主而一國皆失日,天下其危矣。一國皆不知而我獨知之,吾其危矣。」辭以醉而不知。魯人身善織屨,妻善織縞,而欲徙於越。或謂之曰:「子必窮矣。」魯人曰:「何也?」曰:「屨爲履之也,而越人跣行;
新字:周公旦已勝殷,将攻商蓋,辛公甲曰:「大難攻,小易服。不如服衆小以劫大。」乃攻九夷而商蓋服矣。紂為長夜之飲,懽以失日,問其左右,尽不知也。乃使人問箕子。箕子謂其徒曰:「為天下主而一国皆失日,天下其危矣。一国皆不知而我独知之,吾其危矣。」辞以酔而不知。魯人身善織屨,妻善織縞,而欲徙於越。或謂之曰:「子必窮矣。」魯人曰:「何也?」曰:「屨為履之也,而越人跣行;
書き下し
周公旦、已に殷に勝ち、将に商蓋を攻めんとす。辛公甲曰く、「大は攻め難く、小は服し易し。衆小を服して以て大を劫かすに如かず」と。乃ち九夷を攻めて商蓋服す。紂、長夜の飲を為し、懽びて以て日を失ひ、其の左右に問ふも、尽く知らざるなり。乃ち人をして箕子に問はしむ。箕子、其の徒に謂ひて曰く、「天下の主と為りて一国皆日を失ふは、天下其れ危ふし。一国皆知らずして我独り之を知るは、吾其れ危ふし」と。辞するに酔ひを以てして知らずとす。魯人、身は善く屨を織り、妻は善く縞を織りて、越に徙らんと欲す。或ひと之に謂ひて曰く、「子必ず窮せん」と。魯人曰く、「何ぞや」と。曰く、「屨は之を履む為なり、而るに越人は跣行す。
現代語訳
周公旦は殷に勝ったのち、商蓋(奄)を攻めようとした。辛公甲が言った。「大きな国は攻めにくく、小さな国は従わせやすい。まず多くの小国を従わせて、大きな国を脅かすのがよろしい」。そこで九夷を攻めると、商蓋は服従した。殷の紂王は夜通しの酒宴を開き、楽しみにふけって日付を忘れてしまい、側近に尋ねたが誰も知らなかった。そこで人をやって箕子に尋ねさせた。箕子は弟子たちに言った。「天下の主でありながら、国じゅうが日付を忘れるとは、天下は危うい。国じゅうが知らないのに自分ひとりが知っているとなれば、自分の身が危うい」。そして酔っていてわからないと言って断った。魯の人で、自分は麻ぐつ作りがうまく、妻は白絹織りがうまい者が、越へ移り住もうとした。ある人が「あなたはきっと困窮しますよ」と言った。魯の人が「なぜですか」と尋ねると、その人は言った。「くつは足に履くためのものですが、越の人ははだしで歩きます。
解説
関連する章句
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『韓非子』說林上二十二温人、周に之く。周、客を納れず。之に問ひて曰く、「客か」と。対へて曰く、「主人なり」と。其の巷人に問ひて知らざるなり、吏因りて之を囚ふ。君、人をして之に問はしめて曰く、「子は周人に非ざるなり、而るに自ら客に非ずと謂ふは何ぞや」と。対へて曰く、「臣少くして詩を誦して曰く、『普天の下、王土に非ざるは莫く、率土の浜、王臣に非ざるは莫し』と。今君は天子なれば、則ち我は天子の臣なり。豈に人の臣と為りて又之が客と為る者有らんや。故に主人と曰ふなり」と。君、之を出ださしむ。韓の宣王、樛留に謂ひて曰く、「吾、公仲・公叔を両用せんと欲す、其れ可ならんか」と。対へて曰く、「不可なり。晋は六卿を用ひて国分かれ、簡公は田成・闞止を両用して簡公殺され、魏は犀首・張儀を両用して西河の外亡ぶ。今王之を両用せば、其の力多き者は其の党を樹て、力寡なき者は外権を借らん。群臣に内に党を樹てて以て主に驕る有り、外に交はりを為して以て地を削る有らば、則ち王の国危ふし」と。紹績昧、酔ひ寐ねて其の裘を亡ふ。宋君曰く、「酔ふこと以て裘を亡ふに足るか」と。対へて曰く、「桀は酔ひを以て天下を亡ふ。而して康誥に『彝酒する毋かれ』と曰ふ者、彝酒とは常酒なり。常酒する者は、天子は天下を失ひ、匹夫は其の身を失ふ」と。管仲・隰朋、桓公に従ひて孤竹を伐ち、春往きて冬反り、迷惑して道を失ふ。
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『韓非子』外儲說左下第三十三故に曰く、与に居る所に在らず、与に謀る所に在るなり。」孔子魯の哀公に御坐す、哀公之に桃と黍とを賜ふ。哀公曰く、「請ふ用ひよ。」仲尼先づ黍を飯して後に桃を啗ふ、左右皆口を揜ひて笑ふ。哀公曰く、「黍は、之を飯するに非ざるなり、以て桃を雪ふなり。」仲尼対へて曰く、「丘之を知れり。夫れ黍は、五穀の長なり、先王を祭るに上盛と為す。果蓏六有り、而して桃を下と為す、先王を祭るに廟に入るを得ず。丘の聞くや、君子は賤を以て貴を雪ふ、貴を以て賤を雪ふを聞かず。今五穀の長を以て果蓏の下を雪ふは、是れ上を以て下を雪ふなり。丘以て義を妨ぐと為す、故に敢て以て宗廟の盛に先んぜざるなり。」簡主左右に謂ふ、「車席泰だ美なり。夫れ冠は賤しと雖も、頭必ず之を戴く。屨は貴しと雖も、足必ず之を履む。今車席此の如く、太だ美なり、吾将に何の屩か以て之を履まんとする。夫れ下を美にして上を耗らすは、義を妨ぐるの本なり。」費仲紂に説きて曰く、「西伯昌は賢なり、百姓之を悦び、諸侯焉に附く、誅せざるべからず。誅せずんば、必ず殷の禍と為らん。」紂曰く、「子の言ふ、義主なり、何ぞ誅すべけんや。」費仲曰く、「冠は穿弊すと雖も、必ず頭に戴く。履は五采なりと雖も、必ず之を地に践む。今西伯昌は、人臣なり、義を修めて人之に向ふ。卒に天下の患と為るは、其れ必ず昌ならんか。人臣其の賢を以て其の主の為にせざれば、誅せざるべきに非ざるなり。且つ主にして臣を誅す、焉んぞ過有らん。」紂曰く、「夫れ仁義は、上の下を勧むる所以なり。今昌仁義を好む、之を誅するは不可なり。」三たび説きて用ひられず、故に亡ぶ。斉の宣王匡倩に問ひて曰く、「儒者は博するか。」曰く、「不なり。」王曰く、「何ぞや。」匡倩対へて曰く、「博は梟を貴ぶ、勝つ者は必ず梟を殺す。梟を殺すは、是れ貴ぶ所を殺すなり。儒者以て義を害すと為す、故に博せざるなり。」又問ひて曰く、「儒者は弋するか。」曰く、「不なり。弋は、下より上を害する者なり、是れ下より君を傷つくるなり。
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『韓非子』內儲說下六微第三十一「能く大事を挙げんか。」曰く、「能くす。」是に於て乃ち宿営の甲を起して成王を攻む。成王熊膰を食ひて死せんことを請ふ、許さず、遂に自殺す。韓廆韓の哀侯に相たり、厳遂君に重し、二人甚だ相害す。厳遂乃ち人をして韓廆を朝に刺さしむ、韓廆走りて君を抱く、遂に韓廆を刺して哀侯を兼ぬ。田恒斉に相たり、闞止簡公に重し、二人相憎みて相賊せんと欲す。田恒因りて私恵を行ひて以て其の国を取り、遂に簡公を殺して之が政を奪ふ。戴驩宋の太宰と為り、皇喜君に重し、二人事を争ひて相害す、皇喜遂に宋君を殺して其の政を奪ふ。狐突曰く、「国君内を好めば則ち太子危く、外を好めば則ち相室危し。」鄭君鄭昭に問ひて曰く、「太子亦何如。」対へて曰く、「太子未だ生れざるなり。」君曰く、「太子已に置きて未だ生れずと曰ふは、何ぞや。」対へて曰く、「太子置かると雖も、然れども君の色を好むこと已まず、愛する所子有らば、君必ず之を愛せん、之を愛すれば則ち必ず以て後と為さんと欲せん、臣故に太子未だ生れずと曰ふなり。」六。文王費仲に資して紂の旁に遊ばしめ、之をして紂を諫めて其の心を乱さしむ。荊王人をして秦に之かしむ、秦王甚だ之を礼す。王曰く、「敵国に賢者有るは、国の憂ひなり。今荊王の使者甚だ賢なり、寡人之を患ふ。」群臣諫めて曰く、「王の賢聖と国の資厚きとを以てすれば、荊王の賢人を願ふ、王何ぞ深く之に知られて陰かに之を有せざる。荊以て外用と為さば、則ち必ず之を誅せん。」仲尼魯に政を為し、道に遺ちたるを拾はず、斉の景公之を患ふ。黎且景公に謂ひて曰く、「仲尼を去ること猶ほ毛を吹くがごときのみ。君何ぞ之を迎ふるに重禄高位を以てし、哀公に女楽を遺りて以て其の意を驕栄せしめざる。哀公新たに之を楽しまば、必ず政を怠らん、仲尼必ず諫めん、諫むれば必ず軽く魯に絶たん。」景公曰く、「善し。」
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『韓非子』喻老第二十一今日晋、虢を滅ぼさば、明日虞必ず之に随ひて亡びん」と。虞君聴かず、其の璧を受けて之に道を仮す。晋已に虢を取り、還りて反りて虞を滅ぼす。此の二臣は皆腠理に争ふ者なり、而るに二君用ゐざるなり。然らば則ち叔瞻・宮之奇も亦虞・鄭の扁鵲なり、而るに二君聴かず、故に鄭は以て破れ、虞は以て亡ぶ。故に曰く、「其の安きは持し易く、其の未だ兆さざるは謀り易し」と。昔者、紂、象箸を為りて箕子怖る。以為へらく、象箸は必ず土鉶に加へず、必ず将に犀玉の杯ならんとす。象箸玉杯は必ず菽藿を羹にせず、必ず旄・象・豹胎ならん。旄・象・豹胎は必ず短褐を衣て茅屋の下に食はず、則ち錦衣九重、広室高台ならん。吾其の卒を畏る、故に其の始めを怖る、と。居ること五年、紂、肉圃を為り、炮烙を設け、糟丘に登り、酒池に臨み、紂遂に以て亡ぶ。故に箕子は象箸を見て以て天下の禍を知る。故に曰く、
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呂氏春秋・貴因②武王、人をして殷を候わしむ。反りて岐周に報じて曰く、「殷は其れ亂れたり。」武王曰く、「其の亂るるや焉にか至る。」對えて曰く、「讒慝、良に勝つ。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又復た往きて、反りて報じて曰く、「其の亂るること加われり。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「賢者出でて走れり。」武王曰く、「尚ほ未だしきなり。」又往き、反りて報じて曰く、「其の亂るること甚だし。」武王曰く、「焉にか至る。」對えて曰く、「百姓敢て誹怨せず。」武王曰く、「嘻。」遽く太公に告ぐ。太公對えて曰く、「讒慝、良に勝つを、命づけて戮と曰い、賢者の出で走るを、命づけて崩と曰い、百姓敢て誹怨せざるを、命づけて刑勝と曰う。其の亂るること至れり。以て駕うる可からず。」故に選車三百・虎賁三千、朝に甲子の期を要して、紂禽と為る。則ち武王は固より其の與に敵為る無きを知るなり。其の用うる所に因らば、何の敵か之れ有らん。
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史記 衛康叔世家周公康叔に告ぐるに、紂の亡ぶ所以の者は酒に淫するを以てし、酒の失は、婦人是れ用ゐらる、故に紂の乱此より始まると。梓材を為り、君子の法則とす可きを示す。故に之を康誥・酒誥・梓材と謂ひて以て之に命ず。