韓非子 / 喻老第二十一
子夏見曾子。曾子曰:「何肥也?」對曰:「戰勝,故肥也。」曾子曰:「何謂也?」子夏曰:「吾入見先王之義則榮之,出見富貴之樂又榮之,兩者戰於胷中,未知勝負,故臞。
新字:子夏見曽子。曽子曰:「何肥也?」対曰:「戦勝,故肥也。」曽子曰:「何謂也?」子夏曰:「吾入見先王之義則栄之,出見富貴之楽又栄之,両者戦於胸中,未知勝負,故臞。
書き下し
子夏、曾子に見ゆ。曾子曰く、「何ぞ肥えたるや」と。対へて曰く、「戦ひて勝つ、故に肥えたり」と。曾子曰く、「何の謂ぞや」と。子夏曰く、「吾入りて先王の義を見れば則ち之を栄とし、出でて富貴の楽を見れば又之を栄とす。両者胸中に戦ひ、未だ勝負を知らず、故に臞せたり。
現代語訳
子夏が曾子に会った。曾子が「どうして太ったのか」と尋ねると、子夏は「戦って勝ったので太ったのです」と答えた。曾子が「どういう意味か」と尋ねると、子夏は言った。「わたしは家に入って古の聖王の道義を学ぶとそれを素晴らしいと思い、外に出て富貴の楽しみを見るとまたそれを素晴らしいと思いました。その二つが胸の中で戦って、まだ勝ち負けがつかなかったので、痩せていたのです。
解説
孔子の弟子の子夏と曾子の対話で、老子の「自ら勝つ者は強し」を説く話の前半です。子夏は、聖王の道義と富貴の楽しみという二つの価値が胸中で争っていた間は痩せていたが、道義が勝ったので太ったと答えます。この後、韓非は「志の難きは人に勝つに在らず、自ら勝つに在り」と結びます。儒家の人物を使って老子を説くところに、韓非が諸家の説話を自在に借りる姿がうかがえます。迷いが体を削るという観察は現代にも通じます。転職するか残るか、理想を取るか収入を取るかで揺れている間は、どちらに決めても落ち着かず、心身が消耗するものです。
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『列子』説符篇孔子之を聞きて曰く、趙氏は其れ昌えんか。夫れ憂うる者は昌えを爲す所以なり。喜ぶ者は亡びを爲す所以なり。勝つは其の難き者に非ざるなり。之を持するは、其の難き者なり。賢主は此を以て勝ちを持す。故に其の福は後世に及ぶ。齊・楚・吳・越は皆な嘗て勝てり。然れども卒に亡びを取れり。勝ちを持するに達せざればなり。唯だ有道の主のみ能く勝ちを持すと爲す、と。孔子の勁きは、能く國門の關を拓く。而れども力を以て聞こゆるを肯んぜず。墨子の守攻を爲すや、公輸般服す。而れども兵を以て知らるるを肯んぜず。故に善く勝ちを持する者は彊を以て弱と爲す。
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