韓非子 / 喻老第二十一
今君後則欲逮臣,先則恐逮于臣。夫誘道争遠,非先則後也,而先後心皆在于臣,上何以調於馬?此君之所以後也。」白公勝慮亂,罷朝,倒杖而策鋭貫顊,血流至于地而不知。鄭人聞之曰:「顊之忘,將何不忘哉!」故曰:「其出彌遠者,其智彌少。」此言智周乎遠,則所遺在近也。是以聖人無常行也。能並智,故曰:「不行而知。」能並視,故曰:「不見而明。」隨時以舉事,因資而立功,用萬物之能而獲利其上,故曰:「不爲而成。」楚莊王莅政三年,無令發,無政爲也。
新字:今君後則欲逮臣,先則恐逮于臣。夫誘道争遠,非先則後也,而先後心皆在于臣,上何以調於馬?此君之所以後也。」白公勝慮乱,罷朝,倒杖而策鋭貫顊,血流至于地而不知。鄭人聞之曰:「顊之忘,将何不忘哉!」故曰:「其出弥遠者,其智弥少。」此言智周乎遠,則所遺在近也。是以聖人無常行也。能並智,故曰:「不行而知。」能並視,故曰:「不見而明。」随時以舉事,因資而立功,用万物之能而獲利其上,故曰:「不為而成。」楚荘王莅政三年,無令発,無政為也。
書き下し
今君、後るれば則ち臣に逮ばんと欲し、先んずれば則ち臣に逮ばるるを恐る。夫れ誘道して遠きを争ふは、先んずるに非ざれば則ち後るるなり。而して先後の心皆臣に在り、上何を以てか馬に調はん。此れ君の後るる所以なり」と。白公勝、乱を慮り、朝を罷め、杖を倒にして策の鋭、顊を貫き、血流れて地に至るも知らず。鄭人之を聞きて曰く、「顊をすら之れ忘る、将た何をか忘れざらんや」と。故に曰く、「其の出づること弥々遠ければ、其の知ること弥々少なし」と。此れ智、遠きに周ければ、則ち遺す所近きに在るを言ふなり。是を以て聖人は常行無きなり。能く智を並す、故に曰く、「行かずして知る」と。能く視を並す、故に曰く、「見ずして明らかなり」と。時に随ひて以て事を挙げ、資に因りて功を立て、万物の能を用ひて利を其の上に獲る、故に曰く、「為さずして成る」と。楚の荘王、政に莅むこと三年、令の発する無く、政の為す無きなり。
現代語訳
(王子於期は言った。)「いま殿は、後れると私に追いつこうとし、先に出ると私に追いつかれることを恐れておられます。道を行って遠くまで競うのは、先にいるか後ろにいるかのどちらかです。ところが先にいても後ろにいても、殿のお心はすべて私に向いています。それでどうして馬と息を合わせられましょう。これが殿が後れた理由です」。楚の白公勝は謀反を思いめぐらし、朝廷から退出するとき、杖を逆さに持ったため、その鋭い先があごを突き通し、血が地面に流れても気づかなかった。鄭の人がこれを聞いて、「自分のあごさえ忘れるのだから、ほかに何を忘れないことがあろうか」と言った。だから(老子は)「外に出ることが遠くなるほど、知ることは少なくなる」と言うのである。これは、知恵が遠くのことに行き渡ると、見落とすものが身近に生じることを言っているのである。それゆえ聖人には決まった行いがない。人々の知恵を合わせて用いることができるから「行かずして知る」といい、人々の目を合わせて用いることができるから「見ずして明らかである」という。時に従って事を起こし、手持ちの資源によって功を立て、万物の能力を用いてその上に利を得る。だから「作為せずして成る」と言うのである。楚の荘王は政務を執って三年、一つの命令も出さず、一つの政策も行わなかった。
解説
関連する章句
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『淮南子』道應訓白公勝 亂を慮る。朝を罷めて立ち、杖策を倒にす。錣 上りて頤を貫き、血 流れて地に至るも知らざるなり。鄭人 之を聞きて曰く、「頤すら之れ忘る、將に何をか忘れざらんや」と。此れ精神の外に越え、智慮の内に蕩えば、則ち能く其の形を漏理せざるを言うなり。是の故に神の用うる所の者 遠ければ、則ち遺るる所の者は近きなり。故に老子曰く、「戸を出でずして以て天下を知り、牖を窺わずして以て天道を見る。其の出づること彌々遠ければ、其の知ること彌々少なし」と。此れ之を謂うなり。
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『韓非子』喻老第二十一子之を釈け、不穀之を知れり」と。処ること半年、乃ち自ら政を聴く。廃する所の者十、起こす所の者九。大臣五を誅し、処士六を挙げて、邦大いに治まる。兵を挙げて斉を誅し、之を徐州に敗り、晋に河雍に勝ち、諸侯を宋に合し、遂に天下に霸たり。荘王、小を為して善を害せず、故に大名有り。蚤く見示せず、故に大功有り。故に曰く、「大器は晩成し、大音は声希なり」と。楚の荘王、越を伐たんと欲す。杜子諫めて曰く、「王の越を伐つは何ぞや」と。曰く、「政乱れ兵弱し」と。杜子曰く、「臣愚、之を患ふ。智は目の如きなり。能く百歩の外を見て自ら其の睫を見ること能はず。王の兵、自ら秦・晋に敗れ、地を喪ふこと数百里、此れ兵の弱きなり。荘蹻、境内に盗を為して吏禁ずること能はず、此れ政の乱るるなり。
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『韓非子』喻老第二十一故に冬耕の稼は、后稷も羨すこと能はず、豊年の大禾は、臧獲も悪しくすること能はず。一人の力を以てすれば、則ち后稷も足らず、自然に随へば、則ち臧獲も余り有り。故に曰く、「万物の自然を恃みて敢へて為さず」と。空竅は神明の戸牖なり。耳目声色に竭き、精神外貌に竭く、故に中に主無し。中に主無ければ、則ち禍福丘山の如しと雖も、従りて之を識る無し。故に曰く、「戸を出でずして、以て天下を知るべく、牖を闚はずして、以て天道を知るべし」と。此れ神明の其の実を離れざるを言ふなり。趙の襄王、御を王子於期に学び、俄にして於期と逐ひ、三たび馬を易へて三たび後る。
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『韓非子』喻老第二十一勾践、呉に入宦し、身づから干戈を執りて呉王の為に洗馬す、故に能く夫差を姑蘇に殺す。文王、王門に詈られて、顔色変ぜず、而して武王、紂を牧野に擒にす。故に曰く、「柔を守るを強と曰ふ」と。越王の霸たるや宦を病まず、武王の王たるや詈を病まず。故に曰く、「聖人の病まざるや、其の病まざるを以て、是を以て病無きなり」と。宋の鄙人、璞玉を得て之を子罕に献ず。子罕受けず。鄙人曰く、「此れ宝なり、宜しく君子の器と為すべし、宜しく細人の用と為すべからず」と。子罕曰く、「爾は玉を以て宝と為し、我は子の玉を受けざるを以て宝と為す」と。是れ鄙人は玉を欲して、子罕は玉を欲せず。故に曰く、「不欲を欲して、得難きの貨を貴ばず」と。王寿、書を負ひて行き、徐馮に周の塗に見ゆ。馮曰く、「事は為なり。為は時に生じ、知者は常事無し。書は言なり。言は知に生じ、知者は書を蔵せず。今子何ぞ独り之を負ひて行く」と。是に於て王寿因りて其の書を焚きて之に舞ふ。故に知者は言談を以て教へず、慧者は書を以て篋に蔵せず。此れ世の過る所なり、而るに王寿之に復る、是れ学ばざるを学ぶなり。故に曰く、「学ばざるを学び、衆人の過る所に復帰す」と。夫れ物には常容有り、因りて乗じて以て之を導く。物の容に因随す、故に静なれば則ち徳に建ち、動けば則ち道に順ふ。宋人に其の君の為に象を以て楮葉を為る者有り、三年にして成る。豊殺茎柯、毫芒繁沢、之を楮葉の中に乱して別つべからざるなり。此の人遂に功を以て宋邦に食禄す。列子之を聞きて曰く、「天地をして三年にして一葉を成さしめば、則ち物の葉有る者寡なからん」と。故に天地の資に乗ぜずして一人の身に載せ、道理の数に随はずして一人の智を学ぶ、此れ皆一葉の行なり。
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『淮南子』詮言訓智に在れば則ち人 之と訟え、力に在れば則ち人 之と爭う。未だ人をして智無からしむる有らずして、人をして其の智を己に用うる能わざらしむる有り。未だ人をして力無からしむる有らずして、人をして其の力を己に施す能わざらしむる有り。此の兩つの者は、常に在りて久しく見わる。故に君 賢を見わさざれば、諸侯 備えず。不肖を見わさざれば、則ち百姓 怨まず。百姓 怨まざれば、則ち民用 得可し。諸侯 備えざれば、則ち天下の時 承く可し。事は眾と同じくする所なり。功は時と成す所なり。聖人 焉に無し。故に老子曰く、「虎 其の爪を措く所無く、兕 其の角を措く所無し」と。蓋し此を謂うなり。鼓は聲に滅せず、故に能く聲有り。鏡は形に沒せず、故に能く形有り。金石に聲有るも、叩かざれば鳴らず。管簫に音有るも、吹かざれば聲無し。聖人は內に藏して、物の先に倡えず。事 來たりて制し、物 至りて應ず。其の外を飾る者は其の內を傷り、其の情を扶くる者は其の神を害す。其の文を見わす者は其の質を蔽う。須臾も質を爲すを忘るる無き者は、必ず性に困しむ。百步の中、其の容を忘れざる者は、必ず其の形を累わす。
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『韓非子』說林上二十二管仲の聖と隰朋の智とを以てするも、其の知らざる所に至りては、老馬と蟻とに師とすることを難しとせず。今人、其の愚心を以てして聖人の智を師とすることを知らず、亦過たずや。不死の薬を荊王に献ずる者有り。謁者之を操りて以て入る。中射の士問ひて曰く、「食ふべきか」と。曰く、「可なり」と。因りて奪ひて之を食ふ。王大いに怒り、人をして中射の士を殺さしむ。中射の士、人をして王に説かしめて曰く、「臣、謁者に問ふに、『食ふべし』と曰ふ、臣故に之を食ふ。是れ臣は罪無くして罪は謁者に在るなり。且つ客、不死の薬を献じ、臣之を食ひて王臣を殺さば、是れ死薬なり、是れ客、王を欺くなり。夫れ無罪の臣を殺して人の王を欺くを明らかにするは、臣を釈くに如かず」と。王乃ち殺さず。田駟、鄒君を欺く、鄒君将に人をして之を殺さしめんとす。田駟恐れて恵子に告ぐ。恵子、鄒君に見えて曰く、「今人有りて君に見え、則ち其の一目を䀹すれば、奚如」と。君曰く、「我必ず之を殺さん」と。恵子曰く、「瞽は両目を䀹す、君奚為れぞ殺さざる」と。君曰く、「䀹せざること能はざればなり」と。恵子曰く、「田駟は東のかた斉侯を慢り、南のかた荊王を欺く。駟の人を欺くに於けるや、瞽なり、君奚ぞ怨まん」と。鄒君乃ち殺さず。魯の穆公、衆公子をして或いは晋に宦し、或いは荊に宦せしむ。犁鉏曰く、「人を越に仮りて溺子を救はば、越人善く遊ぐと雖も、子必ず生きず。火を失して水を海に取らば、海水多しと雖も、火必ず滅えず。遠水は近火を救はざるなり。今晋と荊と強しと雖も、斉は近し、魯の患ひは其れ救はざらんか」と。厳遂、周君に善からず、之を患ふ。馮沮曰く、「厳遂相たり、而して韓傀、君に貴ばる。賊を韓傀に行ふに如かず、則ち君必ず以て厳氏と為さん」と。張譴、韓に相たり、病みて将に死せんとす。公乗無正、三十金を懐にして其の疾を問ふ。居ること一日、君、張譴に問ひて曰く、「若し子死なば、将に誰をして子に代はらしめん」と。