韓非子 / 解老第二十
慈母之於弱子也,務致其福;務致其福,則事除其禍;事除其禍,則思慮熟;思慮熟,則得事理;得事理,則必成功;必成功,則其行之也不疑,不疑之謂勇。聖人之於萬事也,盡如慈母之爲弱子慮也,故見必行之道。見必行之道則明,其從事亦不疑,不疑之謂勇。不疑生於慈,故曰:「慈,故能勇。」周公曰:「冬日之閉凍也不固,則春夏之長草木也不茂。」天地不能常侈常費,而況於人乎?故萬物必有盛衰,萬事必有㢮張,國家必有文武,官治必有賞罰。是以智士儉用其財則家富,聖人愛寶其神則精盛,人君重戰其卒則民衆,民衆則國廣。是以舉之曰:「儉,故能廣。」凡物之有形者易裁也,易割也。何以論之?有形則有短長,有短長則有小大,有小大則有方圓,有方圓則有堅脆,有堅脆則有輕重,有輕重則有白黑。短長、大小、方圓、堅脆、輕重、白黑之謂理。理定而物易割也。故議於大庭而後言則立,權議之士知之矣。故欲成方圓而随其規矩,則萬事之功形矣。而萬物莫不有規矩,議言之士,計會規矩也。聖人盡隨於萬物之規矩,故曰:「不敢爲天下先。」不敢爲天下先,則事無不事,功無不功,而議必蓋世,欲無處大官,其可得乎?
新字:慈母之於弱子也,務致其福;務致其福,則事除其禍;事除其禍,則思慮熟;思慮熟,則得事理;得事理,則必成功;必成功,則其行之也不疑,不疑之謂勇。聖人之於万事也,尽如慈母之為弱子慮也,故見必行之道。見必行之道則明,其従事亦不疑,不疑之謂勇。不疑生於慈,故曰:「慈,故能勇。」周公曰:「冬日之閉凍也不固,則春夏之長草木也不茂。」天地不能常侈常費,而況於人乎?故万物必有盛衰,万事必有㢮張,国家必有文武,官治必有賞罰。是以智士倹用其財則家富,聖人愛宝其神則精盛,人君重戦其卒則民衆,民衆則国広。是以舉之曰:「倹,故能広。」凡物之有形者易裁也,易割也。何以論之?有形則有短長,有短長則有小大,有小大則有方円,有方円則有堅脆,有堅脆則有軽重,有軽重則有白黒。短長、大小、方円、堅脆、軽重、白黒之謂理。理定而物易割也。故議於大庭而後言則立,権議之士知之矣。故欲成方円而随其規矩,則万事之功形矣。而万物莫不有規矩,議言之士,計会規矩也。聖人尽随於万物之規矩,故曰:「不敢為天下先。」不敢為天下先,則事無不事,功無不功,而議必蓋世,欲無処大官,其可得乎?
書き下し
慈母の弱子に於けるや、務めて其の福を致す。務めて其の福を致せば、則ち事其の禍を除く。事其の禍を除けば、則ち思慮熟す。思慮熟すれば、則ち事理を得。事理を得れば、則ち必ず功を成す。必ず功を成せば、則ち其の之を行ふや疑はず。疑はざる、之を勇と謂ふ。聖人の万事に於けるや、尽く慈母の弱子の為に慮るが如し。故に必行の道を見る。必行の道を見れば則ち明らかなり。其の事に従ふも亦疑はず。疑はざる、之を勇と謂ふ。疑はざるは慈に生ず。故に曰く、「慈なり、故に能く勇なり」と。周公曰く、「冬日の閉凍や固からざれば、則ち春夏の草木を長ずるや茂らず」と。天地も常に侈り常に費やすこと能はず、而るを況んや人に於てをや。故に万物は必ず盛衰有り、万事は必ず弛張有り、国家は必ず文武有り、官治は必ず賞罰有り。是を以て智士は倹しく其の財を用ゐれば則ち家富み、聖人は愛しみて其の神を宝とすれば則ち精盛んなり、人君は重んじて其の卒を戦はしむれば則ち民衆し。民衆ければ則ち国広し。是を以て之を挙げて曰く、「倹なり、故に能く広し」と。凡そ物の形有る者は裁ち易く、割き易し。何を以て之を論ずる。形有れば則ち短長有り、短長有れば則ち小大有り、小大有れば則ち方円有り、方円有れば則ち堅脆有り、堅脆有れば則ち軽重有り、軽重有れば則ち白黒有り。短長・大小・方円・堅脆・軽重・白黒、之を理と謂ふ。理定まりて物割き易し。故に大庭に議して而る後に言へば則ち立つ。権議の士は之を知る。故に方円を成さんと欲して其の規矩に随へば、則ち万事の功形はる。而して万物は規矩有らざるは莫し。議言の士は、規矩を計会するなり。聖人は尽く万物の規矩に随ふ。故に曰く、「敢へて天下の先と為らず」と。敢へて天下の先と為らざれば、則ち事として事とせざる無く、功として功とせざる無くして、議必ず世を蓋ふ。大官に処ること無からんと欲するも、其れ得べけんや。
現代語訳
慈しみ深い母が幼い子に対するときは、努めてその子に福をもたらそうとする。努めて福をもたらそうとすれば、その禍を取り除こうとする。禍を取り除こうとすれば、よく考え抜く。よく考え抜けば、物事の道理をつかむ。物事の道理をつかめば、必ず功を成し遂げる。必ず功を成し遂げられるので、それを行うのにためらわない。ためらわないこと、これを勇という。聖人があらゆる事に対するときは、すべて慈しみ深い母が幼い子のために考えるようにする。だから必ず行うべき道が見える。必ず行うべき道が見えれば、明らかである。その事を行うのにもためらわない。ためらわないこと、これを勇という。ためらわないことは慈しみから生まれる。だから「慈しみがあるから、勇敢でありうる」と言うのである。周公は「冬の日の凍結が固くなければ、春夏に草木が伸びるのも茂らない」と言った。天地でさえ、常におごり常に費やすことはできない。まして人ならなおさらである。だから万物には必ず盛衰があり、万事には必ずゆるめたり張ったりがあり、国家には必ず文と武があり、役所の政治には必ず賞と罰がある。だから知恵ある士が財を倹約して用いれば家は富み、聖人がその精神を大切に宝とすれば精気は盛んになり、君主がその兵を重んじて軽々しく戦わせなければ民は多くなる。民が多ければ国は広がる。だからこれを取り上げて「倹約するから、広がることができる」と言うのである。およそ形のある物は裁ちやすく、割きやすい。どうしてそう言えるのか。形があれば短い長いがあり、短い長いがあれば小さい大きいがあり、小さい大きいがあれば四角と丸があり、四角と丸があれば堅いともろいがあり、堅いともろいがあれば軽い重いがあり、軽い重いがあれば白い黒いがある。短長・大小・方円・堅脆・軽重・白黒、これを理という。理が定まれば物は割きやすい。だから朝廷で議論した後に発言すれば、その意見は成り立つ。策をはかる士はこのことを知っている。だから四角や丸を作ろうとして定規やコンパスに従えば、あらゆる事の功が形となって現れる。そして万物には定規やコンパスがないものはない。議論する士とは、その定規やコンパスを計算する者である。聖人はことごとく万物の定規やコンパスに従う。だから「あえて天下の先頭に立たない」と言うのである。あえて天下の先頭に立たなければ、事として成し遂げられない事はなく、功として成らない功はなく、議論は必ず世を覆う。高い官職につかずにいようと思っても、どうしてそれができようか。
解説
関連する章句
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『韓非子』解老第二十子に慈なる者は敢へて衣食を絶たず。身に慈なる者は敢へて法度を離れず。方円に慈なる者は敢へて規矩を舎てず。故に兵に臨みて士吏に慈なれば則ち戦ひて敵に勝ち、器械に慈なれば則ち城堅固なり。故に曰く、「慈なれば、戦ふに於ては則ち勝ち、以て守れば則ち固し」と。夫れ能く自ら全くして尽く万物の理に随ふ者は、必ず且に天生有らんとす。天生なる者は、生心なり。故に天下の道は尽く之れ生なり。若し慈を以て之を衛れば、事必ず万全にして、挙げて当たらざる無し、則ち之を宝と謂ふ。故に曰く、「吾に三宝有り、持して之を宝とす」と。書の所謂「大道」なる者は、端道なり。所謂貌「施」なる者は、邪道なり。所謂「径」大なる者は、佳麗なり。佳麗なる者は、邪道の分なり。「朝甚だ除す」とは、獄訟繁きなり。獄訟繁ければ則ち田荒る。田荒るれば則ち府倉虚し。府倉虚しければ則ち国貧し。国貧しくして民俗淫侈なり。民俗淫侈なれば則ち衣食の業絶ゆ。衣食の業絶ゆれば則ち民巧詐を飾ること無きを得ず。巧詐を飾れば則ち采文を知る。采文を知る、之を「文采を服す」と謂ふ。獄訟繁く、倉廩虚しくして、淫侈を以て俗と為す有れば、則ち国の傷つくや利剣を以て之を刺すが若し。故に曰く、「利剣を帯ぶ」と。諸夫の智故を飾りて以て国を傷つくるに至る者は、其の私家必ず富む。私家必ず富む、故に曰く、「資貨余り有り」と。国に是くの若き者有れば、則ち愚民術無くして之に效はざるを得ず。之に效へば則ち小盗生ず。
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老子・第67章天下は皆な我が道を大にして不肖に似たりと謂う。夫れ唯だ大なり、故に不肖に似たり。若し肖ならば、久しいかな其の細なるや。我れに三宝有り、持して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず。慈なる故に能く勇なり、倹なる故に能く広し、敢えて天下の先と為らざる故に能く器の長を成す。今、慈を舎てて且つ勇に、倹を舎てて且つ広に、後るるを舎てて且つ先んぜば、死せん。夫れ慈は、以て戦えば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天将に之を救わんとし、慈を以て之を衛る。
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『韓非子』解老第二十人を治むることを知る者は、其の思慮静かなり。天に事ふることを知る者は、其の孔竅虚なり。思慮静かなり、故に徳去らず。孔竅虚なれば、則ち和気日に入る。故に曰く、「重ねて徳を積む」と。夫れ能く故徳をして去らざらしめ、新和気日に至らしむる者は、蚤服する者なり。故に曰く、「蚤服す、是れを重ねて徳を積むと謂ふ」と。徳を積みて後に神静かなり。神静かにして後に和多し。和多くして後に計得。計得て後に能く万物を御す。能く万物を御すれば則ち戦ひて易く敵に勝つ。戦ひて易く敵に勝ちて論必ず世を蓋ふ。論必ず世を蓋ふ、故に曰く、「克たざる無し」と。克たざる無きは重ねて徳を積むに本づく。故に曰く、「重ねて徳を積めば、則ち克たざる無し」と。戦ひて易く敵に勝てば、則ち兼ねて天下を有つ。論必ず世を蓋へば、則ち民人従ふ。進みては天下を兼ね、退きては民人を従ふ。其の術遠し、則ち衆人其の端末を見ること莫し。其の端末を見ること莫し、是を以て其の極を知ること莫し。故に曰く、「克たざる無ければ、則ち其の極を知ること莫し」と。凡そ国を有ちて後に之を亡ぼし、身を有ちて後に之を殃するは、能く其の国を有ち、能く其の身を保つと謂ふべからず。夫れ能く其の国を有つは、必ず能く其の社稷を安んず。能く其の身を保つは、必ず能く其の天年を終ふ。而る後に能く其の国を有ち、能く其の身を保つと謂ふべし。夫れ能く其の国を有ち、其の身を保つ者は、必ず且に道を体せんとす。道を体すれば、則ち其の智深し。其の智深ければ、則ち其の会遠し。其の会遠ければ、衆人能く其の極まる所を見ること莫し。唯夫れ能く人をして其の事の極を見ざらしむ。其の事の極を見ざる者は、其の身を保ち、其の国を有つと為す。故に曰く、「其の極を知ること莫し」と。「其の極を知ること莫ければ、則ち以て国を有つべし」と。所謂「国を有つの母」とは、母は、道なり。道なる者は、国を有つ所以の術に生ず。国を有つ所以の術なり、故に之を「国を有つの母」と謂ふ。夫れ道以て世と周旋する者は、其の生を建つること長く、禄を持すること久し。故に曰く、「国を有つの母は、以て長久なるべし」と。樹木に曼根有り、直根有り。
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『韓非子』解老第二十衆人は多くして聖人は寡し。寡の衆に勝たざるは、数なり。今挙動して天下と之れ讎を為すは、全身長生の道に非ざるなり。是を以て軌節を行ひて之を挙ぐるなり。故に曰く、「方にして割かず、廉にして穢さず、直にして肆ならず、光りて耀かず」と。聡明睿智は、天なり。動静思慮は、人なり。人なる者は、天明に乗じて以て視、天聡に寄りて以て聴き、天智に託して以て思慮す。故に視ること強ければ、則ち目明らかならず。聴くこと甚だしければ、則ち耳聡からず。思慮度を過ぐれば、則ち智識乱る。目明らかならざれば、則ち黒白の分を決すること能はず。耳聡からざれば、則ち清濁の声を別つこと能はず。智識乱るれば、則ち得失の地を審らかにすること能はず。目黒白の色を決すること能はざる、則ち之を盲と謂ふ。耳清濁の声を別つこと能はざる、則ち之を聾と謂ふ。心得失の地を審らかにすること能はざる、則ち之を狂と謂ふ。盲なれば則ち昼日の険を避くること能はず。聾なれば則ち雷霆の害を知ること能はず。狂なれば則ち人間の法令の禍を免るること能はず。書の所謂「人を治む」とは、動静の節に適ひ、思慮の費を省くなり。所謂「天に事ふ」とは、聡明の力を極めず、智識の任を尽くさざるなり。苟も極め尽くせば、則ち神を費やすこと多し。神を費やすこと多ければ、則ち盲聾悖狂の禍至る。是を以て之を嗇しむ。之を嗇しむとは、其の精神を愛しみ、其の智識を嗇しむなり。故に曰く、「人を治め天に事ふるは嗇に如くは莫し」と。衆人の神を用ゐるや躁なり。躁なれば則ち費やすこと多し。費やすこと多き、之を侈と謂ふ。聖人の神を用ゐるや静なり。静なれば則ち費やすこと少なし。費やすこと少なき、之を嗇と謂ふ。嗇の謂ひは術なり、道理に生ず。夫れ能く嗇しむは、是れ道に従ひて理に服する者なり。衆人は患ひに離り、禍に陥りて、猶未だ退くことを知らずして、道理に服従せず。聖人は未だ禍患の形を見ずと雖も、虚無にして道理に服従す。以て蚤服と称す。故に曰く、「夫れ謂ふ嗇、是を以て蚤服す」と。
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『淮南子』詮言訓智に在れば則ち人 之と訟え、力に在れば則ち人 之と爭う。未だ人をして智無からしむる有らずして、人をして其の智を己に用うる能わざらしむる有り。未だ人をして力無からしむる有らずして、人をして其の力を己に施す能わざらしむる有り。此の兩つの者は、常に在りて久しく見わる。故に君 賢を見わさざれば、諸侯 備えず。不肖を見わさざれば、則ち百姓 怨まず。百姓 怨まざれば、則ち民用 得可し。諸侯 備えざれば、則ち天下の時 承く可し。事は眾と同じくする所なり。功は時と成す所なり。聖人 焉に無し。故に老子曰く、「虎 其の爪を措く所無く、兕 其の角を措く所無し」と。蓋し此を謂うなり。鼓は聲に滅せず、故に能く聲有り。鏡は形に沒せず、故に能く形有り。金石に聲有るも、叩かざれば鳴らず。管簫に音有るも、吹かざれば聲無し。聖人は內に藏して、物の先に倡えず。事 來たりて制し、物 至りて應ず。其の外を飾る者は其の內を傷り、其の情を扶くる者は其の神を害す。其の文を見わす者は其の質を蔽う。須臾も質を爲すを忘るる無き者は、必ず性に困しむ。百步の中、其の容を忘れざる者は、必ず其の形を累わす。
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