淮南子 / 詮言訓
在智則人與之訟,在力則人與之爭。未有使人無智者,有使人不能用其智於己者也;未有使人無力者,有使人不能施其力於己者也。此兩者,常在久見。故君賢不見,諸侯不備;不肖不見,則百姓不怨;百姓不怨,則民用可得;諸侯弗備,則天下之時可承。事所與眾同也,功所與時成也,聖人無焉。故老子曰:「虎無所措其爪,兕無所措其角。」蓋謂此也。鼓不滅於聲,故能有聲;鏡不沒於形,故能有形;金石有聲,弗叩弗鳴;管簫有音,弗吹無聲。聖人內藏,不為物先倡,事來而制,物至而應。飾其外者傷其內,扶其情者害其神,見其文者蔽其質,無須臾忘為質者,必困於性。百步之中,不忘其容者,必累其形。
新字:在智則人与之訟,在力則人与之争。未有使人無智者,有使人不能用其智於己者也;未有使人無力者,有使人不能施其力於己者也。此両者,常在久見。故君賢不見,諸侯不備;不肖不見,則百姓不怨;百姓不怨,則民用可得;諸侯弗備,則天下之時可承。事所与眾同也,功所与時成也,聖人無焉。故老子曰:「虎無所措其爪,兕無所措其角。」蓋謂此也。鼓不滅於声,故能有声;鏡不没於形,故能有形;金石有声,弗叩弗鳴;管簫有音,弗吹無声。聖人内蔵,不為物先倡,事来而制,物至而応。飾其外者傷其内,扶其情者害其神,見其文者蔽其質,無須臾忘為質者,必困於性。百歩之中,不忘其容者,必累其形。
書き下し
智に在れば則ち人 之と訟え、力に在れば則ち人 之と爭う。未だ人をして智無からしむる有らずして、人をして其の智を己に用うる能わざらしむる有り。未だ人をして力無からしむる有らずして、人をして其の力を己に施す能わざらしむる有り。此の兩つの者は、常に在りて久しく見わる。故に君 賢を見わさざれば、諸侯 備えず。不肖を見わさざれば、則ち百姓 怨まず。百姓 怨まざれば、則ち民用 得可し。諸侯 備えざれば、則ち天下の時 承く可し。事は眾と同じくする所なり。功は時と成す所なり。聖人 焉に無し。故に老子曰く、「虎 其の爪を措く所無く、兕 其の角を措く所無し」と。蓋し此を謂うなり。鼓は聲に滅せず、故に能く聲有り。鏡は形に沒せず、故に能く形有り。金石に聲有るも、叩かざれば鳴らず。管簫に音有るも、吹かざれば聲無し。聖人は內に藏して、物の先に倡えず。事 來たりて制し、物 至りて應ず。其の外を飾る者は其の內を傷り、其の情を扶くる者は其の神を害す。其の文を見わす者は其の質を蔽う。須臾も質を爲すを忘るる無き者は、必ず性に困しむ。百步の中、其の容を忘れざる者は、必ず其の形を累わす。
現代語訳
知恵に頼れば人が訴え出て、力に頼れば人が争ってくる。人から知恵を無くさせることはできないが、その知恵を自分に向けて使えないようにすることはできる。人から力を無くさせることはできないが、その力を自分に向けて振るえないようにすることはできる。この二つは、常にあって長く現れる。だから君が賢さを見せなければ、諸侯は備えない。劣ったところを見せなければ、民は怨まない。民が怨まなければ、民の力を得られる。諸侯が備えなければ、天下の時を受け取れる。事は多くの人とともになすものであり、功は時とともに成るものである。聖人はそこにいない。だから老子は言った、「虎はその爪を掛けるところがなく、兕はその角を突き立てるところがない」。このことだろう。鼓は音に消えてしまわないから音を出せる。鏡は形に埋もれないから形を映せる。鐘や磬に音があっても、叩かなければ鳴らない。笛に音があっても、吹かなければ音が出ない。聖人は内に蔵して、物事に先んじて唱えない。事が来てから処し、物が来てから応じる。外を飾る者は内を損ない、情を助長する者は神を害する。飾りを見せる者は地を覆う。わずかの間も地を作ることを忘れない者は、必ず性に苦しむ。百歩のあいだも姿かたちを気にしている者は、必ず身を煩わせる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
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葉隠・聞書第二前神右衛門(さきがみうえもん)は沓(くつ)草鞋作り候事上手にて候。組被官(くみひかん)抱え候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、浅黄木綿(あさぎもめん)の袋数多(あまた)作り置き候。まず、一升ずつさえあれば、その内に才覚(さいかく)成り申し候。太閤様(たいこうさま)名護屋(なごや)御下向(ごげこう)の時、朱鞘(しゅざや)の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半(あしなか)を御懸け候て、成瀬小吉(なるせこきち)紅(くれない)の沓を鞘にかけ候時、上下の数万人の用に立ち候に付て、咎草鞋(とがわらじ)一束もあるまじく候。されば、兼ねて心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤(もっと)も作り習い候わで叶わざる儀なり。芝原(しばはら)、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。