韓非子 / 解老第二十
先物行先理動之謂前識。前識者,無緣而妄意度也。何以論之?詹何坐,弟子侍,牛鳴於門外。弟子曰:「是黑牛也而白題。」詹何曰:「然,是黑牛也,而白在其角。」使人視之,果黑牛而以布裹其角。以詹子之術,嬰衆人之心,華焉殆矣!故曰:「道之華也。」嘗試釋詹子之察,而使五尺之愚童子視之,亦知其黑牛而以布裹其角也。故以詹子之察,苦心傷神,而後與五尺之愚童子同功,是以曰:「愚之首也。」故曰:「前識者,道之華也,而愚之首也。」
新字:先物行先理動之謂前識。前識者,無縁而妄意度也。何以論之?詹何坐,弟子侍,牛鳴於門外。弟子曰:「是黒牛也而白題。」詹何曰:「然,是黒牛也,而白在其角。」使人視之,果黒牛而以布裹其角。以詹子之術,嬰衆人之心,華焉殆矣!故曰:「道之華也。」嘗試釈詹子之察,而使五尺之愚童子視之,亦知其黒牛而以布裹其角也。故以詹子之察,苦心傷神,而後与五尺之愚童子同功,是以曰:「愚之首也。」故曰:「前識者,道之華也,而愚之首也。」
書き下し
物に先んじて行ひ理に先んじて動く、之を前識と謂ふ。前識は、縁無くして妄りに意度するなり。何を以て之を論ずる。詹何坐し、弟子侍す。牛門外に鳴く。弟子曰く、「是れ黒牛なり、而して白題なり」と。詹何曰く、「然り、是れ黒牛なり、而して白は其の角に在り」と。人をして之を視しむれば、果たして黒牛にして布を以て其の角を裹む。詹子の術を以て、衆人の心を嬰すれば、華にして殆し。故に曰く、「道の華なり」と。嘗試みに詹子の察を釈てて、五尺の愚童子をして之を視しむれば、亦其の黒牛にして布を以て其の角を裹むを知るなり。故に詹子の察を以て、心を苦しめ神を傷りて、而る後に五尺の愚童子と功を同じくす。是を以て曰く、「愚の首なり」と。故に曰く、「前識は、道の華にして、愚の首なり」と。
現代語訳
物事が現れる前に行い、道理が明らかになる前に動くこと、これを「前識(先回りの知恵)」という。前識とは、根拠もなくみだりに推し量ることである。どうしてそう言えるのか。詹何が座り、弟子がそばに控えていた。牛が門の外で鳴いた。弟子が「これは黒い牛で、額が白いのです」と言った。詹何は「そうだ、黒い牛だ。しかし白いのはその角だ」と言った。人をやって見させると、はたして黒い牛で、布でその角を包んでいた。詹何のような術で人々の心をとらえようとするのは、華やかではあるが危うい。だから「道の華(あだ花)である」と言うのである。試しに詹何の洞察を捨てて、背丈五尺の愚かな子どもに見させても、やはり黒い牛で布で角を包んでいると分かる。だから詹何の洞察は、心を苦しめ精神をすり減らした末に、五尺の愚かな子どもと同じ成果を上げたにすぎない。だから「愚かさの始まりである」と言うのである。だから「前識は、道のあだ花であり、愚かさの始まりである」と言うのである。
解説
関連する章句
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