淮南子 / 主術訓
耕之為事也勞,織之為事也擾,擾勞之事而民不舍者,知其可以衣食也。人之情不能無衣食,衣食之道,必始於耕織,萬民之所公見也。物之若耕織者,始初甚勞,終必利也。眾愚人之所見者寡,事可權者多,愚之所權者少,此愚者之所多患也。物之可備者,智者盡備之;可權者,盡權之;此智者所以寡患也。故智者先忤而後合,愚者始于樂而終於哀。今日何為而榮乎?旦日何為而義乎?此易言也。今日何為而義,旦日何為而榮,此難知也。問瞽師曰:「白素何如?」曰:「縞然。」曰:「黑何若?」曰:「黮然。」授白黑而示之,則不處焉。人之視白黑以目,言白黑以口,瞽師有以言白黑,無以知白黑,故言白黑與人同,其別白黑與人異。
新字:耕之為事也労,織之為事也擾,擾労之事而民不舎者,知其可以衣食也。人之情不能無衣食,衣食之道,必始於耕織,万民之所公見也。物之若耕織者,始初甚労,終必利也。眾愚人之所見者寡,事可権者多,愚之所権者少,此愚者之所多患也。物之可備者,智者尽備之;可権者,尽権之;此智者所以寡患也。故智者先忤而後合,愚者始于楽而終於哀。今日何為而栄乎?旦日何為而義乎?此易言也。今日何為而義,旦日何為而栄,此難知也。問瞽師曰:「白素何如?」曰:「縞然。」曰:「黒何若?」曰:「黮然。」授白黒而示之,則不処焉。人之視白黒以目,言白黒以口,瞽師有以言白黒,無以知白黒,故言白黒与人同,其別白黒与人異。
書き下し
耕の事たるや勞し、織の事たるや擾し。擾勞の事にして民の舍てざる者は、其の以て衣食す可きを知ればなり。人の情、衣食無くんば能わず。衣食の道は、必ず耕織に始まる。萬民の公見する所なり。物の耕織の若き者は、始初 甚だ勞して、終わりには必ず利あり。眾愚人の見る所の者は寡なく、事の權る可き者は多し。愚の權る所の者 少なし。此れ愚者の患い多き所以なり。物の備う可き者は、智者 盡く之に備う。權る可き者は、盡く之を權る。此れ智者の患い寡なき所以なり。故に智者は先に忤いて後に合し、愚者は樂しみに始まりて哀しみに終わる。今日 何を為してか榮えん、旦日 何を為してか義ならん。此れ言い易し。今日 何を為してか義ならん、旦日 何を為してか榮えん。此れ知り難し。瞽師に問いて曰く、「白素は何如」と。曰く、「縞然たり」と。曰く、「黑は何若」と。曰く、「黮然たり」と。白黑を授けて之に示せば、則ち處らず。人の白黑を視るは目を以てし、白黑を言うは口を以てす。瞽師は以て白黑を言う有るも、以て白黑を知る無し。故に白黑を言うは人と同じくして、其の白黑を別つは人と異なる。
現代語訳
耕すことは骨が折れ、織ることは煩わしい。煩わしく骨の折れる仕事を民が捨てないのは、それで衣食できると知っているからである。人の性として、衣食なしではいられない。衣食の道は必ず耕織から始まる。万民がともに見て知っていることである。耕織のようなものは、はじめは大変骨が折れるが、終わりには必ず利がある。多くの愚かな人が見ているものは少なく、はかるべき事は多い。愚かな者がはかるものは少ない。これが愚者に患いが多い理由である。備えられるものは、知者はことごとく備える。はかれるものは、ことごとくはかる。これが知者に患いが少ない理由である。だから知者は先に逆らって後に合い、愚者は楽しみに始まって哀しみに終わる。今日どうすれば栄えるか、明日どうすれば義にかなうか。これは言いやすい。今日どうすれば義にかなうか、明日どうすれば栄えるか。これは知りがたい。盲目の楽師に問うた、「白い絹はどのようか」。答えて、「縞のようだ」。「黒はどのようか」。「黮のようだ」。白と黒を手渡して示すと、判別できない。人が白黒を見るのは目によってであり、白黒を言うのは口によってである。盲目の楽師は白黒を言うことはできても、白黒を知ることはできない。だから白黒を言う点では人と同じで、白黒を分ける点では人と異なる。
解説
この章句が説くこと
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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