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韓非子 / 姦劫弒臣第十四

託於犀車良馬之上,則可以陸犯阪阻之患;乘舟之安,持檝之利,則可以永絶江河之難;操法術之數,行重罰嚴誅,則可以致霸王之功。治國之有法術賞罰,猶若陸行之有犀車良馬也,水行之有輕舟便檝也。乘之者遂得其成。伊尹得之,湯以王;管仲得之,齊以霸;商君得之,秦以強。此三人者,皆明於霸王之術,察於治強之數,而不以牽於世俗之言;適當世明主之意,則有直任布衣之士,立爲卿相之處;處位治國,則有尊主廣地之實:此之謂足貴之臣。湯得伊尹,以百里之地立爲天子;桓公得管仲,立爲五霸主,九合諸侯,一匡天下;孝公得商君,地以廣,兵以強。故有忠臣者,外無敵國之患,内無亂臣之憂,長安於天下,而名垂後世,所謂忠臣也。若夫豫讓爲智伯臣也,上不能說人主使之明法術度數之理以避禍難之患,下不能領御其衆以安其國。及襄子之殺智伯也,豫讓乃自黔劓,敗其形容,以爲智伯報襄子之仇。是雖有殘形殺身以爲人主之名,而實無益於智伯若秋毫之末。此吾之所下也,而世主以爲忠而高之。

新字:託於犀車良馬之上,則可以陸犯阪阻之患;乗舟之安,持檝之利,則可以永絶江河之難;操法術之数,行重罰厳誅,則可以致覇王之功。治国之有法術賞罰,猶若陸行之有犀車良馬也,水行之有軽舟便檝也。乗之者遂得其成。伊尹得之,湯以王;管仲得之,斉以覇;商君得之,秦以強。此三人者,皆明於覇王之術,察於治強之数,而不以牽於世俗之言;適当世明主之意,則有直任布衣之士,立為卿相之処;処位治国,則有尊主広地之実:此之謂足貴之臣。湯得伊尹,以百里之地立為天子;桓公得管仲,立為五覇主,九合諸侯,一匡天下;孝公得商君,地以広,兵以強。故有忠臣者,外無敵国之患,内無乱臣之憂,長安於天下,而名垂後世,所謂忠臣也。若夫予譲為智伯臣也,上不能説人主使之明法術度数之理以避禍難之患,下不能領御其衆以安其国。及襄子之殺智伯也,予譲乃自黔劓,敗其形容,以為智伯報襄子之仇。是雖有残形殺身以為人主之名,而実無益於智伯若秋毫之末。此吾之所下也,而世主以為忠而高之。

書き下し

犀車良馬の上に託すれば、則ち以て陸に阪阻の患ひを犯すべし。舟の安きに乗り、檝の利を持てば、則ち以て永く江河の難を絶つべし。法術の数を操り、重罰厳誅を行へば、則ち以て霸王の功を致すべし。国を治むるに法術賞罰有るは、猶陸行に犀車良馬有り、水行に軽舟便檝有るがごとし。之に乗る者は遂に其の成を得。伊尹之を得て、湯以て王たり。管仲之を得て、斉以て霸たり。商君之を得て、秦以て強し。此の三人の者は、皆霸王の術に明らかに、治強の数に察らかにして、世俗の言に牽かれず。当世の明主の意に適へば、則ち直ちに布衣の士を任じて、立てて卿相の処と為すこと有り。位に処りて国を治むれば、則ち主を尊び地を広むるの実有り。此れを之れ足貴の臣と謂ふ。湯伊尹を得て、百里の地を以て立ちて天子と為る。桓公管仲を得て、立ちて五霸の主と為り、諸侯を九合し、天下を一匡す。孝公商君を得て、地以て広く、兵以て強し。故に忠臣有る者は、外に敵国の患ひ無く、内に乱臣の憂ひ無く、長く天下に安んじて、名後世に垂る。所謂忠臣なり。若し夫れ豫譲の智伯の臣と為るや、上は人主に説きて之をして法術度数の理に明らかにして以て禍難の患ひを避けしむること能はず、下は其の衆を領御して以て其の国を安んずること能はず。襄子の智伯を殺すに及び、豫譲乃ち自ら黔劓し、其の形容を敗りて、以て智伯の為に襄子の仇に報いんとす。是れ形を残し身を殺して以て人主の為にするの名有りと雖も、而も実は智伯に益無きこと秋毫の末の若し。此れ吾の下とする所なり。而して世主は以て忠と為して之を高しとす。

現代語訳

犀の革で張った頑丈な車と良い馬に乗れば、陸では坂や険しい道の困難を乗り越えられる。安定した舟に乗り、便利な櫂を持てば、長く大河を渡る困難を断ち切ることができる。法術の手立てを操り、重い罰と厳しい処刑を行えば、覇王の功を成し遂げることができる。国を治めるのに法術と賞罰があるのは、陸を行くのに頑丈な車と良い馬があり、水を行くのに軽い舟と便利な櫂があるようなものである。それに乗る者は、ついには成功を得る。伊尹がこれを得て、殷の湯王は天下の王となった。管仲がこれを得て、斉は覇者となった。商君がこれを得て、秦は強くなった。この三人は、みな覇王の術に通じ、国を治め強くする手立てを見極めて、世俗の言葉に引きずられなかった。その時代の明君の意にかなえば、ただちに無位無官の士を任用して、大臣や宰相の地位に立てることもある。その地位にあって国を治めれば、君主を尊くし領土を広げる実績がある。これを「尊ぶに足る臣」という。湯王は伊尹を得て、百里四方の土地から立って天子となった。斉の桓公は管仲を得て、五覇の筆頭となり、諸侯を何度も集めて盟約させ、天下を一つに正した。秦の孝公は商君を得て、領土は広がり兵は強くなった。だから忠臣がいる者は、外に敵国の心配がなく、内に反逆の臣の憂いがなく、長く天下に安んじて、名を後世に残す。これがいわゆる忠臣である。ところが豫譲が智伯の臣であったときは、上は君主に説いて法術や法度の道理を明らかにさせて災難を避けさせることができず、下は配下の人々を率いて国を安定させることもできなかった。趙の襄子が智伯を殺すと、豫譲は自ら顔に入れ墨をし鼻をそいで容貌を壊し、智伯のために襄子への仇討ちをしようとした。これは体を損ない身を殺して主君のために尽くしたという名声はあっても、実際には智伯に対して、秋に生え変わった獣の細い毛の先ほどの益もなかった。これこそ私が低く評価するものである。それなのに世の君主は、これを忠義だとして高く評価する。

解説

本当の忠臣とは何かを論じた一節です。法術と賞罰は、陸の車、水の舟のような道具であり、伊尹・管仲・商鞅はそれを使いこなして、湯王・斉の桓公・秦の孝公に天下や覇業をもたらしました。韓非は、国を強くし君主を守る実績こそが忠臣の証だと言います。対照的に取り上げられるのが、『史記』刺客列伝でも名高い豫譲です。主君の智伯の死後、容貌を壊してまで仇討ちを図った姿は美談とされますが、韓非は、主君を滅亡から救えなかった者の自己犠牲には何の益もないと切り捨てます。組織への忠誠も、献身の姿ではなく、組織を守った成果で測るべきだという厳しい視点です。

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