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韓非子 / 十過第十

齊、衞之間不過十日之行,開方爲事君,欲適君之故,十五年不歸見其父母,此非人情也。其父母之不親也,又能親君乎?」公曰:「然則易牙何如?」管仲曰:「不可。夫易牙爲君主味,君之所未嘗食唯人肉耳,易牙蒸其子首而進之,君所知也。人之情莫不愛其子,今蒸其子以爲膳於君,其子弗愛,又安能愛君乎?」公曰:「然則孰可?」管仲曰:「隰朋可。其爲人也,堅中而廉外,少欲而多信。夫堅中,則足以爲表;廉外,則可以大任;少欲,則能臨其衆;多信,則能親鄰國。此霸者之佐也,君其用之。」君曰:「諾。」居一年餘,管仲死,君遂不用隰朋而與竪刁。刁蒞事三年,桓公南遊堂阜,竪刁率易牙、衞公子開方及大臣爲亂。桓公渴餒而死南門之寢公守之室,身死三月不收,蟲出于户。故桓公之兵横行天下,爲五伯長,卒見弑於其臣,而滅高名,爲天下笑者,何也?不用管仲之過也。故曰:過而不聽於忠臣,獨行其意,則滅其高名爲人笑之始也。奚謂内不量力?昔者秦之攻宜陽,韓氏急。公仲朋謂韓君曰:「與國不可恃也,豈如因張儀爲和於秦哉!因賂以名都而南與伐楚,是患解於秦而害交於楚也。」公曰:「善。」乃警公仲之行,將西和秦。

新字:斉、衛之間不過十日之行,開方為事君,欲適君之故,十五年不帰見其父母,此非人情也。其父母之不親也,又能親君乎?」公曰:「然則易牙何如?」管仲曰:「不可。夫易牙為君主味,君之所未嘗食唯人肉耳,易牙蒸其子首而進之,君所知也。人之情莫不愛其子,今蒸其子以為膳於君,其子弗愛,又安能愛君乎?」公曰:「然則孰可?」管仲曰:「隰朋可。其為人也,堅中而廉外,少欲而多信。夫堅中,則足以為表;廉外,則可以大任;少欲,則能臨其衆;多信,則能親鄰国。此覇者之佐也,君其用之。」君曰:「諾。」居一年余,管仲死,君遂不用隰朋而与竪刁。刁莅事三年,桓公南遊堂阜,竪刁率易牙、衛公子開方及大臣為乱。桓公渇餒而死南門之寝公守之室,身死三月不収,虫出于戸。故桓公之兵横行天下,為五伯長,卒見弑於其臣,而滅高名,為天下笑者,何也?不用管仲之過也。故曰:過而不聴於忠臣,独行其意,則滅其高名為人笑之始也。奚謂内不量力?昔者秦之攻宜陽,韓氏急。公仲朋謂韓君曰:「与国不可恃也,豈如因張儀為和於秦哉!因賂以名都而南与伐楚,是患解於秦而害交於楚也。」公曰:「善。」乃警公仲之行,将西和秦。

書き下し

斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。

現代語訳

斉と衛の間は十日の道のりにすぎないのに、開方は君に仕えるため、君の気に入ろうとして、十五年も故郷に帰って父母に会っていません。これは人の情ではありません。自分の父母にさえ親しまない者が、どうして君に親しめましょう」。桓公が「それでは易牙はどうか」と問うと、管仲は言った。「なりません。易牙は君のために料理をつかさどり、君がまだ食べたことのないのは人肉だけだと言って、自分の子の首を蒸して献上しました。君もご存じのとおりです。人の情として自分の子を愛さない者はいません。いま自分の子を蒸して君の料理にした。自分の子さえ愛さない者が、どうして君を愛せましょう」。桓公が「それでは誰がよいのか」と問うと、管仲は言った。「隰朋がよいでしょう。その人柄は、内に堅い芯があって外には潔く、欲が少なく信義に厚い。内が堅ければ人の手本となるに足り、外に潔ければ大任を任せられ、欲が少なければ人々の上に立つことができ、信義に厚ければ隣国と親しむことができます。これこそ覇者の補佐役です。どうかお用いください」。桓公は「よし」と言った。一年余りたって管仲が死ぬと、桓公は結局隰朋を用いず、豎刁に政治を任せた。豎刁が政務を執って三年、桓公が南の堂阜に遊びに出ると、豎刁は易牙、衛の公子開方、そして大臣たちを率いて反乱を起こした。桓公は渇きと飢えのうちに南門の寝所の公守の部屋で死に、死んで三か月も遺体が収められず、蛆が戸口から這い出した。桓公の兵は天下を横行し、五覇の筆頭となったのに、ついには臣下に殺され、高い名声を失って天下の笑い者となったのはなぜか。管仲の言葉を用いなかった過ちである。だから言う、過ちを犯して忠臣の言葉を聞かず、自分の考えだけで事を行えば、高い名声を失って人の笑い者になる始まりである、と。国内で自分の力を量らないとは何か。昔、秦が韓の宜陽を攻めたとき、韓は危機に陥った。韓の宰相公仲朋は韓の君に言った。「同盟国は頼りになりません。張儀を通じて秦と和睦するにこしたことはありません。そのために名高い都邑を贈り、秦と共に南の楚を討てば、秦からの災いは解け、その害は楚に移ります」。韓の君は「よい」と言い、公仲の出発の準備を整えさせ、西の秦と和睦しようとした。

解説

管仲の遺言の後半と、それを無視した桓公の末路、さらに第九「内不量力」の書き出しです。管仲は、父母に十五年会わない開方や、わが子を料理して献じた易牙を、人の情に反する者として退け、内に芯があって欲の少ない隰朋を推しました。しかし桓公は遺言を守らず豎刁らを用い、その反乱のうちに飢えて死に、遺体は三か月放置されたと語られます。桓公の死は紀元前643年とされます。自分への献身ぶりが度を越している人より、節度と信義のある人を選べ、という人物鑑定の教えは今も有効です。忠臣の最後の言葉を軽んじて、偉大な業績が笑い物で終わることの重さを考えさせます。

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