韓非子 / 十過第十
奚謂離内遠遊?昔者齊景公遊於海而樂之,號令諸大夫曰:「言歸者死。」顔涿聚曰:「君遊海而樂之,柰臣有圖國者何?君雖樂之,將安得?」齊景公曰:「寡人布令曰『言歸者死』,今子犯寡人之令。」援戈將擊之。顔涿聚曰:「昔桀殺關龍逢而紂殺王子比干,今君雖殺臣之身,以三之可也。臣言爲國,非爲身也。」延頸而前曰:「君擊之矣。」君乃釋戈趣駕而歸。至三日,而聞國人有謀不内齊景公者矣。齊景公所以遂有齊國者,顔涿聚之力也。故曰:離内遠遊,則危身之道也。奚謂過而不聽於忠臣?昔者齊桓公九合諸侯,一匡天下,爲五伯長,管仲佐之。管仲老,不能用事,休居於家。桓公從而問之曰:「仲父家居有病,即不幸而不起此病,政安遷之?」管仲曰:「臣老矣,不可問也。雖然,臣聞之,知臣莫若君,知子莫若父。君其試以心決之。」君曰:「鮑叔牙何如?」管仲曰:「不可。鮑叔牙爲人,剛愎而上悍。剛則犯民以暴,愎則不得民心,悍則下不爲用。其心不懼,非霸者之佐也。」公曰:「然則竪刁何如?」管仲曰:「不可。夫人之情莫不愛其身。公妬而好内,竪刁自獖以爲治内。其身不愛,又安能愛君?」公曰:「然則衛公子開方何如?」管仲曰:「不可。
新字:奚謂離内遠遊?昔者斉景公遊於海而楽之,号令諸大夫曰:「言帰者死。」顔涿聚曰:「君遊海而楽之,柰臣有図国者何?君雖楽之,将安得?」斉景公曰:「寡人布令曰『言帰者死』,今子犯寡人之令。」援戈将撃之。顔涿聚曰:「昔桀殺関竜逢而紂殺王子比干,今君雖殺臣之身,以三之可也。臣言為国,非為身也。」延頸而前曰:「君撃之矣。」君乃釈戈趣駕而帰。至三日,而聞国人有謀不内斉景公者矣。斉景公所以遂有斉国者,顔涿聚之力也。故曰:離内遠遊,則危身之道也。奚謂過而不聴於忠臣?昔者斉桓公九合諸侯,一匡天下,為五伯長,管仲佐之。管仲老,不能用事,休居於家。桓公従而問之曰:「仲父家居有病,即不幸而不起此病,政安遷之?」管仲曰:「臣老矣,不可問也。雖然,臣聞之,知臣莫若君,知子莫若父。君其試以心決之。」君曰:「鮑叔牙何如?」管仲曰:「不可。鮑叔牙為人,剛愎而上悍。剛則犯民以暴,愎則不得民心,悍則下不為用。其心不懼,非覇者之佐也。」公曰:「然則竪刁何如?」管仲曰:「不可。夫人之情莫不愛其身。公妬而好内,竪刁自獖以為治内。其身不愛,又安能愛君?」公曰:「然則衛公子開方何如?」管仲曰:「不可。
書き下し
奚をか内を離れて遠遊すと謂ふ。昔者斉の景公海に遊びて之を楽しみ、諸大夫に号令して曰く、「帰るを言ふ者は死せん」と。顔涿聚曰く、「君海に遊びて之を楽しむも、臣に国を図る者有るを奈何せん。君之を楽しむと雖も、将た安んぞ得ん」と。斉の景公曰く、「寡人令を布きて曰く『帰るを言ふ者は死せん』と、今子寡人の令を犯す」と。戈を援きて将に之を撃たんとす。顔涿聚曰く、「昔桀は関竜逢を殺して紂は王子比干を殺す、今君臣の身を殺すと雖も、以て之を三にして可なり。臣の言は国の為にして、身の為に非ざるなり」と。頸を延べて前みて曰く、「君之を撃て」と。君乃ち戈を釈きて駕を趣して帰る。三日に至りて、国人に斉の景公を内れざらんと謀る者有るを聞く。斉の景公の遂に斉国を有つ所以の者は、顔涿聚の力なり。故に曰く、内を離れて遠遊すれば、則ち身を危ふくするの道なり。奚をか過ちて忠臣に聴かずと謂ふ。昔者斉の桓公諸侯を九合し、天下を一匡し、五伯の長と為る、管仲之を佐く。管仲老いて、事を用ふること能はず、家に休居す。桓公従ひて之に問ひて曰く、「仲父家居して病有り、即し不幸にして此の病より起たずんば、政安くにか之を遷さん」と。管仲曰く、「臣老いたり、問ふべからざるなり。然りと雖も、臣之を聞く、臣を知るは君に若くは莫く、子を知るは父に若くは莫しと。君其れ試みに心を以て之を決せよ」と。君曰く、「鮑叔牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。鮑叔牙の人と為りは、剛愎にして悍を上ぶ。剛なれば則ち民を犯すに暴を以てし、愎なれば則ち民心を得ず、悍なれば則ち下用を為さず。其の心懼れず、覇者の佐に非ざるなり」と。公曰く、「然らば則ち豎刁は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ人の情は其の身を愛せざるは莫し。公妬みて内を好む、豎刁自ら獖して以て内を治むるを為す。其の身を愛せず、又安んぞ能く君を愛せん」と。公曰く、「然らば則ち衛の公子開方は何如」と。管仲曰く、「不可なり。
現代語訳
国内を離れて遠くに遊ぶとは何か。昔、斉の景公は海辺に遊んでそれを楽しみ、大夫たちに「帰ろうと言う者は死刑にする」と命令した。顔涿聚が言った。「君は海に遊んで楽しんでおられますが、臣下の中に国を乗っ取ろうと図る者がいたらどうなさいますか。いくら楽しまれても、それではどうして楽しみを保てましょう」。景公は「私は『帰ろうと言う者は死刑にする』と命令を出した。いまお前は私の命令を犯した」と言い、戈を取って打とうとした。顔涿聚は言った。「昔、夏の桀王は関竜逢を殺し、殷の紂王は王子比干を殺しました。いま君が私の身を殺されても、それで三人目になるだけのことです。私の言葉は国のためであって、自分の身のためではありません」。そして首を差し伸べて進み出て「どうぞお打ちください」と言った。景公はそこで戈を捨て、車を急がせて都に帰った。三日たつと、国の人々の中に景公を都に入れまいと謀る者がいたことが分かった。景公が最後まで斉の国を保つことができたのは、顔涿聚の力である。だから言う、国内を離れて遠くに遊ぶのは、身を危うくする道である、と。過ちを犯して忠臣の言葉を聞かないとは何か。昔、斉の桓公は諸侯を九たび集め、天下を一つに正し、五覇の筆頭となった。管仲がこれを補佐した。管仲は年老いて政務を執れなくなり、家で休んでいた。桓公は訪ねて行って尋ねた。「仲父(管仲)は家で病に伏しておられる。もし不幸にしてこの病から起き上がれなかったら、政治は誰に移せばよいか」。管仲は言った。「私は年老いました。お尋ねになっても仕方ありません。とはいえ、臣下を知るのは君主に及ぶ者はなく、子を知るのは父に及ぶ者はないと聞いています。君ご自身のお心で試しにお決めください」。桓公が「鮑叔牙はどうか」と問うと、管仲は言った。「なりません。鮑叔牙は剛直で頑なで、荒々しさを尊ぶ人です。剛直であれば民を乱暴に扱い、頑なであれば民の心を得られず、荒々しければ下の者が働きません。その心は恐れを知らず、覇者の補佐役ではありません」。桓公が「それでは豎刁はどうか」と問うと、管仲は言った。「なりません。人の情として自分の身を愛さない者はいません。君は嫉妬深く後宮の女性を好まれるので、豎刁は自ら去勢して後宮の取り締まりをしています。自分の身さえ愛さない者が、どうして君を愛せましょう」。桓公が「それでは衛の公子開方はどうか」と問うと、管仲は言った。「なりません。
解説
関連する章句
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『韓非子』十過第十斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。
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説苑・正諫斉の景公、海上に遊びて之を楽しみ、六月帰らず、左右に令して曰わく、「敢えて先に帰らんと言う者有らば死に致して赦さず」と。顔斶趨り進みて諫めて曰わく、「君、海上に遊ぶを楽しみて六月帰らず、彼れ儻し国を治むる者有らば、君且に安くにか此の海を楽しむを得んや」と。景公戟を援きて将に之を斫らんとす。顔斶趨り進み、衣を撫でて之を待ちて曰わく、「君奚為れぞ斫らざるや。昔者桀は関龍逢を殺し、紂は王子比干を殺す。君の賢は此の二主に非ず、臣の材も亦た此の二子に非ず。君奚為れぞ斫らざるや。臣を以て此の二人に参ぶるは、亦た可ならずや」と。景公説び、遂に帰る。中道にして国人の内れざらんことを謀ると聞く。
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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呂氏春秋・貴公③管仲、病有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の病めり、漬むこと甚だし、國人諱まず。寡人将た誰にか國を屬せん。」管仲對えて曰く、「昔者、臣力を盡くし智を竭くせしも、猶ほ未だ以て之を知るに足らざるなり。今病朝夕の中に在り。臣奚ぞ能く言わん。」桓公曰く、「此れ大事なり。願わくは仲父の寡人に教えんことを。」管仲敬みて諾す。曰く、「公誰をか相にせんと欲する。」公曰く、「鮑叔牙可ならんか。」管仲對えて曰く、「不可なり。夷吾、鮑叔牙と善し。鮑叔牙の人と為りや、清廉潔直、己に若かざる者を視れば人に比せず、一たび人の過ちを聞けば終身忘れず。」「已むこと勿くんば、則ち隰朋其れ可ならんか。」「隰朋の人と為りや、上志して下求し、黄帝に若かざるを醜じて己に若かざる者を哀れむ。其の國に於けるや聞かざること有り、其の物に於けるや知らざること有り、其の人に於けるや見ざること有り。已むこと勿からんか、則ち隰朋可なり。」夫れ相は大官なり。大官に處る者は、小察を欲せず、小智を欲せず。故に曰く、「大匠は斲らず、大庖は豆せず、大勇は鬭わず、大兵は寇せず。」桓公、公を行い私惡を去り、管子を用いて五伯の長と為る。私を行い愛する所に阿り、豎刁を用いて、蟲、戸より出づ。
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『韓非子』難一第三十六将に天下を治めんとするに、庸主の易しとする所を釈てて、堯・舜の難しとする所を道ふは、未だ与に政を為す可からざるなり」と。管仲病有り、桓公往きて之を問ひて、曰く、「仲父病む、不幸にして大命に卒せば、将に奚を以て寡人に告げんとする」と。管仲曰く、「君の言微かりせば、臣故より将に之を謁せんとす。願はくは君竪刁を去り、易牙を除き、衛の公子開方を遠ざけよ。易牙は君の為に味を主る、君惟だ人肉のみ未だ嘗めず、易牙其の子の首を烝して之を進む。夫れ人情其の子を愛せざる莫し、今其の子を愛せず、安んぞ能く君を愛せん。君妬みて内を好む、竪刁自ら宮して以て内を治む。人情其の身を愛せざる莫し、身すら且つ愛せず、安んぞ能く君を愛せん。開方君に事ふること十五年、斉・衛の間は数日の行を容れず、其の母を弃て、久しく宦して帰らず、其の母すら愛せず、安んぞ能く君を愛せん。臣之を聞く、『矜偽は長からず、蓋虚は久しからず』と。願はくは君此の三子なる者を去れ」と。管仲卒に死す、桓公行はず。桓公死するに及び、蟲戸を出づるも葬られず。或ひと曰く、管仲の桓公に告ぐる所以の者は、度有る者の言に非ざるなり。竪刁・易牙を去る所以の者は、其の身を愛せずして、君の欲に適ふを以てなり。曰く、「其の身を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。然らば則ち臣に死力を尽くして以て其の主の為にする者有らば、管仲将に用ひざらんとするなり。曰く、「其の死力を愛せず、安んぞ能く君を愛せん」と。是れ君をして忠臣を去らしめんと欲するなり。且つ其の身を愛せざるを以て其の君を愛せざるを度るは、是れ将に管仲の公子糾に死する能はざるを以て其の桓公に死せざるを度らんとするなり、是れ管仲も亦去る所の域に在り。明主の道は然らず、民の欲する所を設けて以て其の功を求む、故に爵禄を為りて以て之を勧む。民の悪む所を設けて以て其の姦を禁ず、故に刑罰を為りて以て之を威す。慶賞信にして刑罰必なり、故に君功を臣に挙げて姦上に用ひられず、竪刁有りと雖も、其れ君を奈何せん。
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『管子』大匡公怒り、歸りて管仲に告げて曰く、「請う兵革を修めん。吾が士練らず、吾が兵實たず、諸侯故に敢えて吾が讎を救う。内に兵革を修めん」と。管仲曰く、「不可なり。齊國危うし。内には民用を奪い、士は勇に勸みて外にす、亂の本なり。外には諸侯を犯す、民怨み多し。義を為すの士、齊國に入らず、安んぞ危うき無きを得んや」と。鮑叔曰く、「公必ず夷吾の言を用いよ」と。公聽かず、乃ち四封の内に令して兵を修め、關市の征之を侈にす。公乃ち遂に用いて勇を以て禄を授く。鮑叔管仲に謂いて曰く、「異日者、公子に霸を許す、今國彌々亂る、子將に何如せんとす」と。管仲曰く、「吾が君は惕なり、其の智誨多し。姑く少しく胥て、其れ自ら及ばん」と。鮑叔曰く、「其の自ら及ぶに比べば、國闕亡無からんや」と。管仲曰く、「未だし。國中の政、夷吾尚お微かに為す、焉んぞ亂れんや。尚お以て待つ可し。外諸侯の佐、既に吾二人の者有る無し、未だ敢えて我を犯す者有らず」と。明年、朝に禄を爭いて相刺し、領を裚ちて頸を刎ぬる者絕えず。鮑叔管仲に謂いて曰く、「國に死者衆し、乃ち害無からんや」と。管仲曰く、「安んぞ已むを得んや。此れ皆な其の貪民なり。夷吾の患うる所の者は、諸侯の義を為す者肯えて齊に入る莫く、齊の義を為す者肯えて仕えざるなり。此れ夷吾の患うる所なり。若し夫れ死者は、吾安んぞ用いて之を愛しまんや」と。公又た内に兵を修む。