呂氏春秋 / 直諫②
齊桓公、管仲、鮑叔、甯戚相與飲酒酣,桓公謂鮑叔曰:「何不起為壽?」鮑叔奉杯而進曰:「使公毋忘出奔在於莒也,使管仲毋忘束縛而在於魯也,使甯戚毋忘其飯牛而居於車下。」桓公避席再拜曰:「寡人與大夫能皆毋忘夫子之言,則齊國之社稷幸於不殆矣。」當此時也,桓公可與言極言矣。可與言極言,故可與為霸。
新字:斉桓公、管仲、鮑叔、甯戚相与飲酒酣,桓公謂鮑叔曰:「何不起為寿?」鮑叔奉杯而進曰:「使公毋忘出奔在於莒也,使管仲毋忘束縛而在於魯也,使甯戚毋忘其飯牛而居於車下。」桓公避席再拝曰:「寡人与大夫能皆毋忘夫子之言,則斉国之社稷幸於不殆矣。」当此時也,桓公可与言極言矣。可与言極言,故可与為覇。
書き下し
齊の桓公、管仲、鮑叔、甯戚、相與に酒を飲んで酣なり。桓公、鮑叔に謂いて曰く、「何ぞ起ちて壽を為さざる。」鮑叔、杯を奉じて進みて曰く、「公をして出奔して莒に在りしことを忘るること毋く、管仲をして束縛せられて魯に在りしことを忘るること毋く、甯戚をして其の牛を飯うて車下に居りしことを忘るること毋からしめん。」桓公、席を避けて再拜して曰く、「寡人と大夫と能く皆夫子の言を忘るること毋くんば、則ち齊國の社稷、殆うからざるに幸からん。」此の時に當りてや、桓公は與に言を極むと言う可し。與に言を極むと言う可く、故に與に霸為る可し。
現代語訳
斉の桓公・管仲・鮑叔・甯戚が一緒に酒を飲んで宴たけなわとなった。桓公が鮑叔に「なぜ立って長寿を祝わないのか」と言った。鮑叔は杯を捧げて進み出て言った。「公には亡命して莒にいたことを忘れさせず、管仲には縛られて魯にいたことを忘れさせず、甯戚には牛を飼って車の下にいたことを忘れさせないようにしましょう。」桓公は席を立って再拝し「私も大夫たちも皆、あなたの言葉を忘れずにいられれば、斉国の社稷は危うくならずにすむでしょう」と言った。この時にあたって、桓公とは徹底した直言を交わせると言える。徹底した直言を交わせるからこそ、覇者となれたのだ。
解説
祝宴の席で、鮑叔は桓公に亡命の苦難を、管仲や甯戚には不遇の過去を忘れぬよう祝辞として述べます。桓公は席を立って拝礼し、その戒めを受け入れました。順境の中でこそ苦しかった原点を忘れず、耳の痛い言葉を交わせたからこそ、桓公は覇者となれたと説かれます。成功や安定の時ほど、人は初心と危機感を忘れがちです。祝いの場で敢えて厳しい戒めを述べる臣と、それを謙虚に受ける君の関係は、好調な組織が慢心を避け、長く繁栄するための知恵を示しています。
この章句が説くこと
斉の桓公鮑叔管仲甯戚諫言初心を忘れず
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呂氏春秋・達鬱③管仲、桓公を觴し、日暮れたり。桓公之を樂しみて燭を徴む。管仲曰く、「臣、其の晝を卜するも、未だ其の夜を卜せず。君以て出づ可し。」公說ばず、曰く、「仲父年老いたり。寡人、仲父と樂しみを為すこと將た之を幾たびかせん。請う之を夜にせん。」管仲曰く、「君過てり。夫れ味に厚き者は、徳に薄く、樂しみに沈む者は、憂に反る。壯にして怠れば則ち時を失い、老いて解れば則ち名無し。臣乃ち今將に君が為に之を勉めんとす。若何ぞ其れ酒に沈むや。」管仲は能く行いを立つと謂う可し。凡そ行の墮るるや樂しみに於いてす。今樂しみて益々飭す。行の壞るるや貴に於いてす。今主留まらんと欲するも許さず。志を伸べ理を行い、貴樂に變を為さず、以て其の主に事う。此れ桓公の霸たりし所以なり。
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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呂氏春秋・知接②管仲疾有り。桓公往きて之に問いて曰く、「仲父の疾病なり。將に何を以てか寡人に教えんとす。」管仲曰く、「齊の鄙人に諺有り、曰く、『居る者は載すること無く、行く者は埋むること無し。』今臣將に遠く行くこと有らんとす。胡ぞ以て問う可けん。」桓公曰く、「願わくは仲父の讓る無きことを。」管仲對えて曰く、「願わくは君の易牙・豎刀・常之巫・衛の公子啓方を遠ざけんことを。」公曰く、「易牙は其の子を烹て以て寡人を慊らしむ。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の子を愛せざるに非ざるなり。其の子に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「豎刀は自ら宮して以て寡人に近づく。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の身を愛せざるに非ざるなり。其の身に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公又曰く、「常之巫は死生を審らかにし、能く苛病を去る。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「死生は命なり。苛病は失なり。君、其の命に任じて、其の本を守らず、而して常之巫に恃む。彼將た此を以て為さざる無からん。」公又曰く、「衛の公子啓方は寡人に事うること十五年、其の父死するも敢て歸りて哭せず。猶尚ほ疑う可きか。」管仲對えて曰く、「人の情、其の父を愛せざるに非ざるなり。其の父に之れ忍ぶ。又將た何か君に於て有らん。」公曰く、「諾。」管仲死し、盡く之を逐う。食甘からず、宮治まらず、苛病起こり、朝肅ならず。居ること三年、公曰く、「仲父亦た過たずや。孰か仲父之を盡くせりと謂うや。」是に於て皆復召して反す。明年、公病有り。常之巫中從り出でて曰く、「公將に某日を以て薨ぜんとす。」易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。矯るに公の令を以てす。一婦人有り、垣を踰えて入り、公の所に至る。公曰く、「我食を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公又曰く、「我飲を欲す。」婦人曰く、「吾得る所無し。」公曰く、「何の故ぞ。」對えて曰く、「常之巫中從り出でて曰く、『公將に某日を以て薨ぜんとす。』易牙・豎刀・常之巫相與に亂を作し、宮門を塞ぎ、高牆を築き、人を通さず。故に得る所無し。衛の公子啓方、書社四十を以て衛に下る。」公慨焉として歎じ、涕出でて曰く、「嗟乎。聖人の見る所、豈に遠からずや。若し死者知る有らば、我將た何の面目ありて以て仲父に見えん。」衣袂を蒙りて壽宮に絶えたり。蟲流れて戶より出づ。上蓋うに楊門の扇を以てす。三月葬らず。此れ卒に管仲の言を聽かざればなり。桓公、難を輕んじて管子を惡むに非ざるなり。由りて接すること無ければなり。由りて接する無く、固より其の忠言を卻けて、其の尊貴する所を愛するなり。
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