呂氏春秋 / 達鬱③
管仲觴桓公。日暮矣,桓公樂之而徵燭。管仲曰:「臣卜其晝,未卜其夜。君可以出矣。」公不說,曰:「仲父年老矣,寡人與仲父為樂將幾之?請夜之。」管仲曰:「君過矣。夫厚於味者薄於德,沈於樂者反於憂;壯而怠則失時,老而解則無名。臣乃今將為君勉之,若何其沈於酒也?」管仲可謂能立行矣。凡行之墮也於樂,今樂而益飭;行之壞也於貴,今主欲留而不許。伸志行理,貴樂弗為變,以事其主,此桓公之所以霸也。
新字:管仲觴桓公。日暮矣,桓公楽之而徴燭。管仲曰:「臣卜其昼,未卜其夜。君可以出矣。」公不説,曰:「仲父年老矣,寡人与仲父為楽将幾之?請夜之。」管仲曰:「君過矣。夫厚於味者薄於徳,沈於楽者反於憂;壮而怠則失時,老而解則無名。臣乃今将為君勉之,若何其沈於酒也?」管仲可謂能立行矣。凡行之堕也於楽,今楽而益飭;行之壊也於貴,今主欲留而不許。伸志行理,貴楽弗為変,以事其主,此桓公之所以覇也。
書き下し
管仲、桓公を觴し、日暮れたり。桓公之を樂しみて燭を徴む。管仲曰く、「臣、其の晝を卜するも、未だ其の夜を卜せず。君以て出づ可し。」公說ばず、曰く、「仲父年老いたり。寡人、仲父と樂しみを為すこと將た之を幾たびかせん。請う之を夜にせん。」管仲曰く、「君過てり。夫れ味に厚き者は、徳に薄く、樂しみに沈む者は、憂に反る。壯にして怠れば則ち時を失い、老いて解れば則ち名無し。臣乃ち今將に君が為に之を勉めんとす。若何ぞ其れ酒に沈むや。」管仲は能く行いを立つと謂う可し。凡そ行の墮るるや樂しみに於いてす。今樂しみて益々飭す。行の壞るるや貴に於いてす。今主留まらんと欲するも許さず。志を伸べ理を行い、貴樂に變を為さず、以て其の主に事う。此れ桓公の霸たりし所以なり。
現代語訳
管仲が桓公をもてなした。日が暮れ、桓公は楽しんで灯火を求めた。管仲は言った、「私は昼の宴は占いましたが、夜の宴はまだ占っていません。君はもうお引き取りください」。桓公は喜ばず、「仲父も年老いた。私が仲父と楽しむのはあと何度あろう。どうか夜まで続けさせてくれ」と言った。管仲は言った、「君は誤っておられます。味を厚くする者は徳に薄く、楽しみに溺れる者は憂いに返るものです。壮年で怠れば時を失い、老いてゆるめば名を失います。私は今こそ君のために励もうとしているのに、どうして酒に溺れられましょう」。管仲は行いを立てられる者と言えよう。そもそも行いが崩れるのは楽しみにおいてであるが、今、管仲は楽しみながらいよいよ身を正した。行いが壊れるのは尊貴においてであるが、今、君主が留まろうとしても許さなかった。志を伸べ道理を行い、富貴や快楽に節を変えず主君に仕えた。これこそ桓公が覇者となれた理由である。
解説
この章句が説くこと
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史記 封禅書是に於て管仲、桓公の辞を以て窮む可からざるを睹て、因りて之に設くるに事を以てして、曰く、「古の封禅には、鄗上の黍、北里の禾、盛と為す所以なり。江淮の間、一茅三脊、藉と為す所以なり。東海は比目の魚を致し、西海は比翼の鳥を致し、然る後に物の召さずして自ら至る者十有五有り。今、鳳皇・麒麟来らず、嘉穀生ぜずして、蓬蒿・藜莠茂り、鴟梟数々至る。而るに封禅せんと欲するは、毋乃ち不可ならんか」と。是に於て桓公乃ち止む。是の歳、秦の繆公、晋の君夷吾を内る。其の後三たび晋国の君を置き、其の乱を平ぐ。繆公立ちて三十九年にして卒す。其の後百有余年にして、孔子六芸を論述し、伝に略々言ふ、姓を易へて王たり、泰山に封じ梁父に禅する者七十余王、其の俎豆の礼章らかならず、蓋し之を言ひ難し、と。或ひと禘の説を問ふ。孔子曰く、「知らず。禘の説を知る者の天下に於けるや、其れ掌を視るがごとし」と。詩に云ふ、紂位に在り、文王命を受くるも、政泰山に及ばず。武王殷に克ちて二年、天下未だ寧からずして崩ず。爰に周の徳の洽きは維れ成王、成王の封禅は則ち之に近し。後に陪臣政を執るに及び、季氏泰山に旅す、仲尼之を譏る。是の時、萇弘、方を以て周の霊王に事ふ。諸侯周に朝する莫く、周の力少なし。萇弘乃ち鬼神の事を明らかにし、貍首を射ることを設く。貍首とは、諸侯の来らざる者なり。物怪に依りて以て諸侯を致さんと欲す。諸侯従はず、而して晋人、萇弘を執へて殺す。周人の方怪を言ふ者は萇弘よりす。其の後百余年、秦の霊公、呉陽の上畤を作りて黄帝を祭り、下畤を作りて炎帝を祭る。後四十八年、周の太史儋、秦の献公に見えて曰く、「秦は始め周と合ひ、合ひて離れ、五百歳にして当に復た合ふべし。合ひて十七年にして覇王出でん」と。
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『晏子春秋』問上・景公問欲如桓公用管仲以成霸業晏子對以不能景公晏子に問いて曰く、「昔吾が先君桓公に、管仲夷吾の斉国を保乂する有り、能く武功を遂げて文徳を立て、兄弟を糾合し、冀州を撫存し、呉越令を受け、荊楚惛憂し、賓服せざる莫し。周室に勤め、天子徳を加う。先君の功を昭らかにするは、管子の力なり。今寡人も亦斉国の政を夫子に存せんと欲す、夫子以て寡人を佐佑し、先君の功烈を彰らかにして、管子の業を継げ」と。晏子対えて曰く、「昔吾が先君桓公は能く賢を任用し、国に什伍有り、治は細民に遍く、貴は賤を淩がず、富は貧に傲らず、功は罷を遺れず、佞は愚に吐かず、事を挙ぐること私せず、獄を聴くこと阿らず、内妾に羨食無く、外臣に羨禄無く、鰥寡に饑色無し、飲食の辟を以て民の財を害せず。宮室の侈を以て人の力を労せず。節して民より取り、而して普く之を施す。府に蔵無く、倉に粟無し。上に驕行無く、下に諂徳無し。是を以て管子能く斉国を以て難を免れ、而して吾が先君を以て天子に参す。今君先君の功烈を彰らかにし、而して管子の業を継がんと欲せば、則ち多辟を以て百姓を傷つくる無く、嗜欲を以て諸侯を怨ましむる無かれ、孰か敢えて善を承け力を尽くして、以て君の意に順わざらん。
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『韓非子』十過第十奚をか内を離れて遠遊すと謂ふ。昔者斉の景公海に遊びて之を楽しみ、諸大夫に号令して曰く、「帰るを言ふ者は死せん」と。顔涿聚曰く、「君海に遊びて之を楽しむも、臣に国を図る者有るを奈何せん。君之を楽しむと雖も、将た安んぞ得ん」と。斉の景公曰く、「寡人令を布きて曰く『帰るを言ふ者は死せん』と、今子寡人の令を犯す」と。戈を援きて将に之を撃たんとす。顔涿聚曰く、「昔桀は関竜逢を殺して紂は王子比干を殺す、今君臣の身を殺すと雖も、以て之を三にして可なり。臣の言は国の為にして、身の為に非ざるなり」と。頸を延べて前みて曰く、「君之を撃て」と。君乃ち戈を釈きて駕を趣して帰る。三日に至りて、国人に斉の景公を内れざらんと謀る者有るを聞く。斉の景公の遂に斉国を有つ所以の者は、顔涿聚の力なり。故に曰く、内を離れて遠遊すれば、則ち身を危ふくするの道なり。奚をか過ちて忠臣に聴かずと謂ふ。昔者斉の桓公諸侯を九合し、天下を一匡し、五伯の長と為る、管仲之を佐く。管仲老いて、事を用ふること能はず、家に休居す。桓公従ひて之に問ひて曰く、「仲父家居して病有り、即し不幸にして此の病より起たずんば、政安くにか之を遷さん」と。管仲曰く、「臣老いたり、問ふべからざるなり。然りと雖も、臣之を聞く、臣を知るは君に若くは莫く、子を知るは父に若くは莫しと。君其れ試みに心を以て之を決せよ」と。君曰く、「鮑叔牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。鮑叔牙の人と為りは、剛愎にして悍を上ぶ。剛なれば則ち民を犯すに暴を以てし、愎なれば則ち民心を得ず、悍なれば則ち下用を為さず。其の心懼れず、覇者の佐に非ざるなり」と。公曰く、「然らば則ち豎刁は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ人の情は其の身を愛せざるは莫し。公妬みて内を好む、豎刁自ら獖して以て内を治むるを為す。其の身を愛せず、又安んぞ能く君を愛せん」と。公曰く、「然らば則ち衛の公子開方は何如」と。管仲曰く、「不可なり。
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『韓非子』十過第十斉・衛の間は十日の行に過ぎず、開方君に事ふるが為に、君に適はんと欲するの故に、十五年帰りて其の父母に見えず、此れ人情に非ざるなり。其の父母を之れ親しまざるに、又能く君を親しまんや」と。公曰く、「然らば則ち易牙は何如」と。管仲曰く、「不可なり。夫れ易牙は君の為に味を主る、君の未だ嘗て食はざる所は唯だ人肉のみ、易牙其の子の首を蒸して之を進む、君の知る所なり。人の情は其の子を愛せざるは莫し、今其の子を蒸して以て君に膳を為す、其の子を愛せず、又安んぞ能く君を愛せんや」と。公曰く、「然らば則ち孰か可なる」と。管仲曰く、「隰朋可なり。其の人と為りや、中を堅くして外に廉、欲少なくして信多し。夫れ中を堅くすれば、則ち以て表と為すに足り、外に廉なれば、則ち以て大任すべく、欲少なければ、則ち能く其の衆に臨み、信多ければ、則ち能く隣国に親しむ。此れ覇者の佐なり、君其れ之を用ゐよ」と。君曰く、「諾」と。居ること一年余にして、管仲死し、君遂に隰朋を用ゐずして豎刁に与す。刁事に莅むこと三年、桓公南のかた堂阜に遊び、豎刁易牙・衛の公子開方及び大臣を率ゐて乱を為す。桓公渇餒して南門の寝・公守の室に死し、身死して三月収められず、虫戸より出づ。故に桓公の兵天下に横行し、五伯の長と為るも、卒に其の臣に弑せられて、高名を滅ぼし、天下の笑ひと為る者は、何ぞや。管仲を用ゐざるの過ちなり。故に曰く、過ちて忠臣に聴かず、独り其の意を行へば、則ち其の高名を滅ぼして人の笑ひと為るの始めなり。奚をか内に力を量らずと謂ふ。昔者秦の宜陽を攻むるや、韓氏急なり。公仲朋韓君に謂ひて曰く、「与国は恃むべからざるなり、豈に張儀に因りて和を秦に為すに如かんや。因りて賂ふに名都を以てして南のかた与に楚を伐たば、是れ患ひ秦に解けて害楚に交はるなり」と。公曰く、「善し」と。乃ち公仲の行を警し、将に西のかた秦と和せんとす。
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史記 封禅書其の神或いは歳に至らず、或いは歳に数々来る。来るや常に夜を以てし、光輝流星の若く、東南より来りて祠城に集まり、則ち雄鶏の若く、其の声殷雲として、野鶏夜に雊く。一牢を以て祠り、命じて陳宝と曰ふ。鄜畤を作りて後七十八年、秦の徳公既に立ち、雍に居らんことを卜するに、「後の子孫、馬に河に飲はしめん」と、遂に雍に都す。雍の諸祠、此より興る。三百牢を鄜畤に用ふ。伏祠を作る。狗を邑の四門に磔にし、以て蠱菑を御ぐ。徳公立ちて二年にして卒す。其の後六年、秦の宣公、密畤を渭南に作り、青帝を祭る。其の後十四年、秦の繆公立ち、病みて臥すこと五日にして寤めず。寤むるや、乃ち上帝を夢見るに、上帝、繆公に晋の乱を平げよと命ずと言ふ。史書して之を記し府に蔵す。而して後世皆秦の繆公天に上ると曰ふ。秦の繆公即位して九年、斉の桓公既に覇たり、諸侯に葵丘に会し、封禅せんと欲す。管仲曰く、「古は泰山に封じ梁父に禅する者七十二家、而して夷吾の記す所の者は十有二なり。昔、無懐氏は泰山に封じ、云云に禅す。虙羲は泰山に封じ、云云に禅す。神農は泰山に封じ、云云に禅す。炎帝は泰山に封じ、云云に禅す。黄帝は泰山に封じ、亭亭に禅す。顓頊は泰山に封じ、云云に禅す。帝嚳は泰山に封じ、云云に禅す。堯は泰山に封じ、云云に禅す。舜は泰山に封じ、云云に禅す。禹は泰山に封じ、会稽に禅す。湯は泰山に封じ、云云に禅す。周の成王は泰山に封じ、社首に禅す。皆命を受けて然る後に封禅するを得たり」と。桓公曰く、「寡人、北のかた山戎を伐ち、孤竹を過ぐ。西のかた大夏を伐ち、流沙を渉り、馬を束ね車を懸けて、卑耳の山に上る。南のかた伐ちて召陵に至り、熊耳山に登りて以て江・漢を望む。兵車の会三たび、乗車の会六たび、九たび諸侯を合せ、天下を一匡し、諸侯我に違ふ莫し。昔、三代の命を受くるも、亦何を以てか異ならんや」と。
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『晏子春秋』雑下・梁丘據自患不及晏子晏子勉據以常為常行/晏子老辭邑景公不許致車一乘而後止梁丘据晏子に謂いて曰く、「吾死に至るまで夫子に及ばず」と。晏子曰く、「嬰之を聞く、為す者は常に成り、行う者は常に至ると。嬰は人に異なる有るに非ず。常に為して置かず、常に行いて休まざる者なり、故に及び難きか」と。晏子景公に相たりて、老いて邑を辞す。公曰く、「吾が先君定公より今に至るまで世を用いること多し。斉の大夫、未だ老いて邑を辞する者有らず。今夫子独り之を辞するは、是れ国の故を毀ち、寡人を棄つるなり。不可なり」と。晏子対えて曰く、「嬰聞く、古の君に事うる者は、身に称いて食し、徳厚ければ禄を受け、徳薄ければ則ち禄を辞すと。徳厚くして禄を受くるは、上を明らかにする所以なり。徳薄くして禄を辞するは、下を潔くす可き所以なり。嬰老い、徳薄く能無くして厚く禄を受くるは、是れ上の明を掩い、下の行いを汙すなり。不可なり」と。公許さずして曰く、「昔吾が先君桓公、管仲の斉国を恤労する有り、身老いて、之を賞するに三帰を以てし、沢子孫に及ぶ。今夫子も亦寡人に相たり。夫子の為に三帰を為し、沢子孫に至らしめんと欲す。豈に不可ならんや」と。対えて曰く、「昔者管子桓公に事え、桓公の義は諸侯に高く、徳は百姓に備わる。今嬰君に事うるや、国は僅かに諸侯に斉しく、怨みは百姓に積む。嬰の罪多し。而るに君之を賞せんと欲す。豈に其の不肖の父を以て不肖の子の厚く賞を受け、以て国民の義を傷つくるを為さんや。且つ夫れ徳薄くして禄厚く、智惛くして家富むは、是れ汙を彰し教えに逆らうなり。不可なり」と。公許さず。晏子出ず。異日朝し、間を得て邑に入り、車一乗を致して後止む。

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