韓非子 / 十過第十
戎王許諾,見其女樂而說之,設酒張飲,日以聽樂,終歲不遷,牛馬半死。由余歸,因諫戎王,戎王弗聽,由余遂去之秦。秦穆公迎而拜之上卿,問其兵勢與其地形。既以得之,舉兵而伐之,兼國十二,開地千里。故曰:耽於女樂,不顧國政,則亡國之禍也。
新字:戎王許諾,見其女楽而説之,設酒張飲,日以聴楽,終歳不遷,牛馬半死。由余帰,因諫戎王,戎王弗聴,由余遂去之秦。秦穆公迎而拝之上卿,問其兵勢与其地形。既以得之,舉兵而伐之,兼国十二,開地千里。故曰:耽於女楽,不顧国政,則亡国之禍也。
書き下し
女樂に耽り、國政を顧みざるは、則ち國を亡ぼすの禍なり。
現代語訳
女性や音楽(娯楽)に溺れて、国政を顧みないことは、国を滅ぼす災いである。
解説
秦の穆公が、戎王の「聖人」由余を引き抜くため、戎王に女楽(美女の楽団)を贈った策です。 戎王は女楽に夢中になり(耽り)、政治を疎かにし(國政を顧みず)、由余の諫言も聞かなくなりました。 リーダーが本業以外の「ペットプロジェクト」や「趣味」、あるいは社内での派手なイベント(女樂)にばかり熱中し、地味で重要な「本業のガバナンス」(國政)を疎かにすると、組織は弱体化し、優秀な人材(由余)は去っていくという教訓です。
この章句が説くこと
職務怠慢ペットプロジェクトガバナンス本業集中人材流出
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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