韓非子 / 十過第十
由余出,公乃召内史廖而告之,曰:「寡人聞鄰國有聖人,敵國之憂也。今由余,聖人也,寡人患之,吾將柰何?」内史廖曰:「臣聞戎王之居,僻陋而道遠,未聞中國之聲。君其遺之女樂,以亂其政,而後爲由余請朝,以䟽其諫。彼君臣有間而後可圖也。」君曰:「諾。」乃使内史廖以女樂二八遺戎王,因爲由余請期。
新字:由余出,公乃召内史廖而告之,曰:「寡人聞鄰国有聖人,敵国之憂也。今由余,聖人也,寡人患之,吾将柰何?」内史廖曰:「臣聞戎王之居,僻陋而道遠,未聞中国之声。君其遺之女楽,以乱其政,而後為由余請朝,以䟽其諫。彼君臣有間而後可図也。」君曰:「諾。」乃使内史廖以女楽二八遺戎王,因為由余請期。
書き下し
由余出づ、公乃ち内史廖を召して之に告げて曰く、「寡人聞く、隣国に聖人有るは、敵国の憂ひなりと。今由余は、聖人なり、寡人之を患ふ、吾将に奈何せん」と。内史廖曰く、「臣聞く、戎王の居は、僻陋にして道遠く、未だ中国の声を聞かず。君其れ之に女楽を遺り、以て其の政を乱し、而る後に由余の為に朝を請ひ、以て其の諫めを疏んぜしめよ。彼君臣間有りて而る後に図るべきなり」と。君曰く、「諾」と。乃ち内史廖をして女楽二八を以て戎王に遺らしめ、因りて由余の為に期を請ふ。
現代語訳
由余が退出すると、穆公は内史の廖を呼んで告げた。「隣国に聖人がいるのは敵国にとっての憂いだと聞いている。いま由余は聖人である。私はこれを憂えている。どうしたらよいか」。内史廖は言った。「私の聞くところでは、戎の王の住まいは辺鄙で道も遠く、まだ中原の音楽を聞いたことがありません。君は戎の王に女の楽団を贈って政治を乱させ、そのうえで由余を秦に留めるよう願い出て、王と由余の間を遠ざけ、諫めが届かないようにしてください。王と臣の間に隙ができてから、事を図ればよいのです」。穆公は「よし」と言い、内史廖に女の楽団十六人を戎の王に贈らせ、由余の帰国の期日を延ばすよう願い出た。
解説
十過の第六「耽於女楽」の中盤で、秦の穆公が、隣国に聖人がいるのは敵国の憂いだとして、戎の賢臣由余を王から引き離す策を立てる場面です。内史廖の献策は、中原の音楽を知らない戎王に女楽を贈って政治を乱し、同時に由余の帰国を遅らせて王との間に隙を作るというものでした。この後、戎王は女楽にふけって政務を怠り、由余の諫めも聞かず、由余は秦に降り、秦は戎を併合したと続きます。優秀な人材を正面から倒せないとき、その人と主君の間を裂くのは古今変わらぬ手口です。トップが娯楽や快楽に溺れると、忠告する人との距離が開き、敵につけ入る隙を与えます。
関連する章句
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『長短経』昏智〔戎王、由余をして秦を観しむ。秦の穆公、由余の賢聖なるを以て、内史廖に問いて曰く「孤聞く、隣国に聖人有るは、敵国の憂いなり、と。今、由余は寡人の害なり。将に奈何せん」と。内史廖曰く「戎王は僻匿に処り、未だ嘗て中国の声を聞かず。君試みに其の女楽を遺りて、以て其の志を奪い、由余の為に請いて、以て其の間を疎んぜよ。留めて遣らず、以て其の期を失わしめよ。戎王之を怪しみ、必ず由余を疑わん。且つ戎王楽を好まば、必ず政に怠らん」と。繆公曰く「善し」と。女楽二八を以て戎王に遺る。戎王受けて之を悦び、年を終うるまで遷らず。由余諫むるも、聴かれず。繆公人をして間に由余を要えしむ。由余遂に秦に降る。
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『韓非子』十過第十女樂に耽り、國政を顧みざるは、則ち國を亡ぼすの禍なり。
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呂氏春秋・不苟③秦の繆公、戎の由余を見て、說びて之を留めんと欲す。由余肯ぜず。繆公以て蹇叔に告ぐ。蹇叔曰く、「君以て內史廖に告げよ。」內史廖對えて曰く、「戎人は五音と五味とに達せず。君、之を遺るに若かず。」繆公、女樂二八人と良宰とを以て之に遺る。戎王喜び、迷惑大亂し、酒を飲み、晝夜休まず。由余驟々諫むれども聽かず。因りて怒りて繆公に歸すなり。蹇叔、內史廖の為す所を為す能わざるに非ざるなり。其れ義として行わざるなり。繆公能く人臣をして時に其の正義を立てしむ。故に殽の恥を雪ぎ、而して西のかた河雍に至れるなり。
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説苑・反質秦の穆公閑にして、由余に問いて曰く、「古の明王聖帝、國を得國を失うは當に何を以てするか?」由余曰く、「臣之を聞く、當に儉を以て之を得、奢を以て之を失う。」穆公曰く、「願わくは奢儉の節を聞かん。」由余曰く、「臣聞く堯天下を有つに、土簋に飯し、土鈃に啜す、其の地南は交趾に至り、北は幽都に至り、東西は日の出入する所に至り、賓服せざる莫し。堯天下を釋き、舜之を受け、食器を作為し、木を斬りて之を裁ち、銅鐵を銷し、其の刃を脩め、猶お之を漆黑にして以て器と為す。諸侯侈國の服せざる者十有三。舜天下を釋きて禹之を受け、祭器を作為し、其の外を漆して朱もて其の內を畫き、繒帛もて茵褥と為し、觴勺彩有り、飾を為すこと彌よ侈にして、國の服せざる者三十有二。夏后氏以て沒し、殷周之を受け、大器を作為し、九傲を建て、食器彫琢し、觴勺刻鏤し、四壁四帷、茵席彫文す、此れ彌よ侈にして、國の服せざる者五十有二。君文章を好めば、服する者彌よ侈す、故に儉は其の道なりと曰う。」由余出づるや、穆公內史廖を召して之に告げて曰く、「寡人鄰國に聖人有るを聞く、敵國の憂いなり。今由余は聖人なり、寡人之を患う。吾將に奈何せんとする?」內史廖曰く、「夫れ戎は辟にして遼遠なり、未だ中國の聲を聞かざるなり、君其れ之に女樂を遺りて以て其の政を亂し、而して厚く由余の為に期を請いて、以て其の間を疏んぜよ、彼君臣間有らば、然る後圖るべし。」君曰く、「諾。」と。乃ち女樂三九を以て戎王に遺り、因りて由余の為に期を請う。戎王果たして女樂を具えて之を好み、酒を設け樂を聽き、終年遷らず、馬牛羊半ば死す。由余歸りて諫むるも、諫聽かれず、遂に去りて、秦に入る、穆公迎えて拜して上卿と為す。其の兵勢と其の地利とを問い、既已に得れば、兵を舉げて之を伐ち、國十二を兼ね、地千里を開く。穆公奢主なるも、能く賢を聽き諫を納るる、故に西戎に霸たり。西戎は樂に淫し、利に誘われ、以て其の國を亡ぼす、質樸を離るるに由るなり。
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呂氏春秋・壅塞②秦の繆公の時、戎、彊大なり。秦の繆公、之に女樂二八と良宰とを遺る。戎王大いに喜び、其の故を以て、數々飲食し、日夜休まず。左右に秦の寇の至らんことを言う者有り、因りて弓を扞きて之を射る。秦の寇果して至る。戎王醉いて樽下に臥す。卒に生縛して之を擒にせり。未だ擒にせられざれば、則ち知る可からず。已に擒にせらるれば、則ち又知らず。善く說く者と雖も、猶ほ此を若何せん。
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『韓非子』十過第十智過其の言の聴かれざるを見るや、出でて、因りて其の族を更めて輔氏と為す。期日の夜に至り、趙氏其の堤を守るの吏を殺して其の水を決して知伯の軍に灌ぐ。知伯の軍水を救ひて乱れ、韓・魏翼して之を撃ち、襄子卒を将ゐて其の前を犯し、大いに知伯の軍を敗りて知伯を擒にす。知伯身死し軍破れ、国分かれて三と為り、天下の笑ひと為る。故に曰く、貪愎にして利を好めば、則ち国を滅ぼし身を殺すの本なり。奚をか女楽に耽ると謂ふ。昔者戎王由余をして秦に聘せしむ、穆公之に問ひて曰く、「寡人嘗て道を聞けども未だ之を目見するを得ず、願はくは古の明主の国を得国を失ふは常に何を以てするかを聞かん」と。由余対へて曰く、「臣嘗て之を聞くを得たり、常に倹を以て之を得、奢を以て之を失ふ」と。穆公曰く、「寡人辱とせずして道を子に問ふに、子倹を以て寡人に対ふるは、何ぞや」と。由余対へて曰く、「臣聞く、昔者堯天下を有つや、土簋に飯し、土鉶に飲む。其の地南は交趾に至り、北は幽都に至り、東西は日月の出入する所に至る者、賓服せざる莫し。堯天下を禅り、虞舜之を受け、食器を作為し、山木を斬りて之を財し、削鋸して其の迹を脩め、漆墨を其の上に流し、之を宮に輸して以て食器と為す。諸侯以て益々侈なりと為し、国の服せざる者十三。舜天下を禅りて之を禹に伝ふ、禹祭器を作為し、其の外を墨染し、而して其の内を朱画し、縵帛を茵と為し、蔣席に頗縁し、觴酌に采有り、而して樽俎に飾り有り。此れ弥々侈なり、而して国の服せざる者三十三。夏后氏没し、殷人之を受け、大路を作為して、九旒を建て、食器は雕琢し、觴酌は刻鏤し、白壁堊墀、茵席は雕文す。此れ弥々侈なり、而して国の服せざる者五十三。君子皆文章を知れども、而して服せんと欲する者弥々少なし。臣故に曰く、倹は其の道なり」と。