韓非子 / 十過第十
君其出令,令民自遺三年之食,有餘粟者入之倉;遺三年之用,有餘錢者入之府;遺有奇人者使治城郭之繕。」君夕出令,明日,倉不容粟,府無積錢,庫不受甲兵。居五日而城郭已治,守備已具。君召張孟談而問之曰:「吾城郭已治,守備已具,錢粟已足,甲兵有餘。吾柰無箭何?」張孟談曰:「臣聞董子之治晉陽也,公宫之垣皆以荻蒿楛楚墻之,有楛高至于丈。君發而用之。」於是發而試之,其堅則雖菌簵之勁弗能過也。君曰:「吾箭已足矣,柰無金何?」張孟談曰:「臣聞董子之治晉陽也,公宫令舍之堂,皆以鍊銅爲柱、質。君發而用之。」於是發而用之,有餘金矣。號令已定,守備已具。三國之兵果至。至則乘晉陽之城,遂戰。三月弗能拔。因舒軍而圍之,決晉陽之水以灌之。圍晉陽三年。城中巢居而處,懸釜而炊,財食將盡,士大夫羸病。襄子謂張孟談曰:「粮食匱,財力盡,士大夫羸病,吾恐不能守矣!欲以城下,何國之可下?」張孟談曰:「臣聞之,亡弗能存,危弗能安,則無爲貴智矣。君釋此計者。臣請試潜行而出,見韓、魏之君。」張孟談見韓、魏之君曰:「臣聞脣亡齒寒。今知伯率二君而伐趙,趙將亡矣。趙亡,則二君爲之次。」二君曰:「我知其然也。
新字:君其出令,令民自遺三年之食,有余粟者入之倉;遺三年之用,有余銭者入之府;遺有奇人者使治城郭之繕。」君夕出令,明日,倉不容粟,府無積銭,庫不受甲兵。居五日而城郭已治,守備已具。君召張孟談而問之曰:「吾城郭已治,守備已具,銭粟已足,甲兵有余。吾柰無箭何?」張孟談曰:「臣聞董子之治晋陽也,公宮之垣皆以荻蒿楛楚墻之,有楛高至于丈。君発而用之。」於是発而試之,其堅則雖菌簵之勁弗能過也。君曰:「吾箭已足矣,柰無金何?」張孟談曰:「臣聞董子之治晋陽也,公宮令舎之堂,皆以錬銅為柱、質。君発而用之。」於是発而用之,有余金矣。号令已定,守備已具。三国之兵果至。至則乗晋陽之城,遂戦。三月弗能抜。因舒軍而囲之,決晋陽之水以灌之。囲晋陽三年。城中巣居而処,懸釜而炊,財食将尽,士大夫羸病。襄子謂張孟談曰:「粮食匱,財力尽,士大夫羸病,吾恐不能守矣!欲以城下,何国之可下?」張孟談曰:「臣聞之,亡弗能存,危弗能安,則無為貴智矣。君釈此計者。臣請試潜行而出,見韓、魏之君。」張孟談見韓、魏之君曰:「臣聞脣亡歯寒。今知伯率二君而伐趙,趙将亡矣。趙亡,則二君為之次。」二君曰:「我知其然也。
書き下し
君其れ令を出だし、民をして自ら三年の食を遺し、余粟有る者は之を倉に入れしめ、三年の用を遺し、余銭有る者は之を府に入れしめ、奇人有るを遺す者は城郭の繕を治めしめよ」と。君夕に令を出だし、明日、倉粟を容れず、府銭を積む無く、庫甲兵を受けず。居ること五日にして城郭已に治まり、守備已に具はる。君張孟談を召して之に問ひて曰く、「吾が城郭已に治まり、守備已に具はり、銭粟已に足り、甲兵余り有り。吾箭無きを奈何せん」と。張孟談曰く、「臣聞く、董子の晋陽を治むるや、公宮の垣は皆荻蒿楛楚を以て之を墻にし、楛の高さ丈に至る有り。君発して之を用ゐよ」と。是に於て発して之を試みるに、其の堅きこと則ち菌簵の勁と雖も過ぐること能はず。君曰く、「吾が箭已に足れり、金無きを奈何せん」と。張孟談曰く、「臣聞く、董子の晋陽を治むるや、公宮令舎の堂は、皆錬銅を以て柱・質と為す。君発して之を用ゐよ」と。是に於て発して之を用ゐ、余金有り。号令已に定まり、守備已に具はる。三国の兵果たして至る。至れば則ち晋陽の城に乗り、遂に戦ふ。三月にして抜くこと能はず。因りて軍を舒べて之を囲み、晋陽の水を決して以て之に灌ぐ。晋陽を囲むこと三年。城中巣居して処り、釜を懸けて炊ぎ、財食将に尽きんとし、士大夫羸病す。襄子張孟談に謂ひて曰く、「糧食匱しく、財力尽き、士大夫羸病す、吾恐らくは守ること能はざらん。城を以て下らんと欲す、何れの国にか之れ下るべき」と。張孟談曰く、「臣之を聞く、亡びて存すること能はず、危ふくして安んずること能はずんば、則ち智を貴ぶを為す無し。君此の計を釈てよ。臣請ふ試みに潜行して出で、韓・魏の君に見えん」と。張孟談韓・魏の君に見えて曰く、「臣聞く、唇亡ぶれば歯寒しと。今知伯二君を率ゐて趙を伐つ、趙将に亡びんとす。趙亡ぶれば、則ち二君之が次と為らん」と。二君曰く、「我其の然るを知るなり。
現代語訳
君はお触れを出して、民に三年分の食糧を自分の手元に残させ、余った穀物を持つ者はそれを倉に納めさせ、三年分の費用を残させて、余った銭を持つ者はそれを府に納めさせ、手の空いた人がいる者には城郭の修繕をさせてください」。襄子が夕方にお触れを出すと、翌日には倉は穀物を収めきれず、府には銭を積む場所がなく、武器庫は鎧と武器を受け入れきれなくなった。五日たつと城郭はすでに修理され、守りの備えはすでに整った。襄子は張孟談を呼んで尋ねた。「城郭は修理され、守りの備えは整い、銭と穀物は足り、鎧と武器も余るほどだ。だが矢がないのはどうしたらよいか」。張孟談は言った。「私の聞くところでは、董閼于が晋陽を治めたとき、君主の宮殿の垣根はすべて荻や蒿や楛や楚の木で作らせ、楛の高さは一丈にも及ぶそうです。取り外してお使いください」。そこで取り外して試してみると、その堅さは名高い菌簵の竹の強さでも及ばないほどであった。襄子は言った。「矢はもう足りた。だが銅がないのはどうしたらよいか」。張孟談は言った。「私の聞くところでは、董閼于が晋陽を治めたとき、宮殿や役所の建物は、みな精錬した銅で柱と礎石を作ったそうです。取り外してお使いください」。そこで取り外して使うと、銅は余るほどであった。号令はすでに定まり、守りの備えは整った。果たして三国の兵がやって来た。到着するとすぐ晋陽の城壁に取りつき、戦いとなった。三か月たっても落とせなかった。そこで軍を広げて城を包囲し、晋陽の川の堤を切って水を注ぎ込んだ。晋陽を包囲すること三年、城の中では人々は木の上に巣を作るようにして住み、釜を吊るして煮炊きし、財物も食糧も尽きかけ、士大夫はやせ衰え病んだ。襄子は張孟談に言った。「食糧は乏しく、財力は尽き、士大夫はやせ衰え病んでいる。私はもう守りきれないのではないかと恐れる。城を明け渡して降伏したいが、どの国に降ればよいか」。張孟談は言った。「私はこう聞いています。滅びかけたものを存続させることができず、危ういものを安らかにすることができないなら、知恵を尊ぶ意味はない、と。君はその考えをお捨てください。私が試しにひそかに城を抜け出し、韓と魏の君に会ってまいります」。張孟談は韓と魏の君に会って言った。「私は唇がなくなれば歯が寒いと聞いています。いま知伯はお二人を率いて趙を討ち、趙は滅びようとしています。趙が滅べば、次はお二人の番でしょう」。二人の君は言った。「われわれもそのとおりだと分かっている。
解説
関連する章句
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『淮南子』人間訓智伯 韓・魏二國を率いて趙を伐ち、晉陽を圍み、晉水を決して之に灌ぐ。城下 木に緣りて處り、釜を縣けて炊ぐ。襄子 張孟談に謂いて曰く「城中の力 已に盡き、糧食 匱乏し、大夫 病めり。之を爲すこと奈何」と。張孟談曰く「亡ぶるを存する能わず、危うきを安んずる能わずんば、智士を貴ぶこと無からん。臣 請う、試みに潛行して、韓・魏の君に見えて之に約せん」と。乃ち韓・魏の君に見え、之に說きて曰く「臣 之を聞く、脣 亡びて齒 寒しと。今 智伯 二君を率いて趙を伐つ。趙 將に亡びんとす。趙 亡べば、則ち君 之が次と爲らん。今に及びて之を圖らずんば、禍 將に二君に及ばんとす」と。二君曰く「智伯の人と爲りや、粗中にして親しむこと少なし。我 謀りて泄れなば、事 必ず敗れん。之を爲すこと奈何」と。張孟談曰く「言は君の口を出でて、臣の耳に入る。人 孰か之を知る者あらんや。且つ情を同じくすれば相い成し、利を同じくすれば相い死す。君 其れ之を圖れ」と。二君 乃ち張孟談と陰かに謀り、之と期す。張孟談 乃ち襄子に報ず。
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『韓非子』十過第十韓の康子与ふる勿からんと欲す、段規諫めて曰く、「与へざるべからざるなり。夫れ知伯の人と為りや、利を好みて驁愎なり。彼来りて地を請ひて与へずんば、則ち兵を韓に移すこと必せり。君其れ之に与へよ。之に与へば、彼狃れて、又将に地を他国に請はんとす。他国且に聴かざる有らん、聴かざれば、則ち知伯必ず之に兵を加へん。是くの如くんば、韓以て患ひを免れて其の事の変を待つべし」と。康子曰く、「諾」と。因りて使者をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯説び、又人をして地を魏に請はしむ。宣子与ふる勿からんと欲す、趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請ひ、韓之に与ふ。今地を魏に請ひ、魏与へずんば、則ち是れ魏内に自ら強くして、外に知伯を怒らすなり。如し予へずんば、其の兵を魏に措くこと必せり。之に予ふるに如かず」と。宣子曰く、「諾」と。因りて人をして万家の県一を知伯に致さしむ。知伯又人をして趙に之きて蔡・皐狼の地を請はしむ、趙の襄子与へず。知伯因りて陰かに韓・魏と約し将に以て趙を伐たんとす。襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と為りや、陽に親しみて陰に疏んず。三たび韓・魏に使ひして寡人与らず、其の兵を寡人に措くこと必せり。今吾安くに居りて可ならん」と。張孟談曰く、「夫れ董閼子は、簡主の才臣なり、其の晋陽を治むるや、尹鐸之に循ひ、其の余教猶ほ存す、君其れ晋陽に定居せんのみ」と。君曰く、「諾」と。乃ち延陵生を召し、車騎を将ゐて先づ晋陽に至らしめ、君因りて之に従ふ。君至りて、其の城郭及び五官の蔵を行る。城郭治まらず、倉に積粟無く、府に儲銭無く、庫に甲兵無く、邑に守具無し。襄子懼れ、乃ち張孟談を召して曰く、「寡人城郭及び五官の蔵を行るに、皆備具せず、吾将に何を以て敵に応ぜんとす」と。張孟談曰く、「臣聞く、聖人の治は、民に蔵して、府庫に蔵せず、其の教へを脩むるを務めて城郭を治めず。
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戦国策・知伯帥趙韓魏而伐范中行氏知伯、趙・韓・魏を帥いて范中行氏を伐ち、之を滅ぼす。休すること數年、人をして地を韓に請わしむ。韓康子與えんと欲せず、段䂓諫めて曰く、「不可なり。夫れ知伯の人と爲りや、利を好みて鷙復なり、來りて地を請いて與えずんば、必ず兵を韓に加えん。君其れ之に與えよ。之に與うれば彼狃れて、又將に地を他國に請わんとす、他國聽かずんば、必ず之に鄉うに兵を以てせん。然らば則ち韓は以て患難を免れて、事の變を待つ可し。」康子曰く、「善し。」使者をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして地を魏に請わしむ。魏宣子與えんと欲せず。趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請い、韓之に與う。地を魏に請いて、魏與えずんば、則ち是れ魏內自ら強くして、外知伯を怒らすなり。然らば則ち其の兵を魏に錯くこと必せり。之に與うるに如かず。」宣子曰く、「諾。」因りて人をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして趙に之かしめ、蔡・皋狼の地を請わしむ。趙襄子與えず。知伯因りて陰かに韓・魏を結び、將に以て趙を伐たんとす。趙襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と爲り、陽には親しみて陰には疏んず、三たび韓・魏に使いして、寡人與からず、其の兵を移すこと寡人に必せん。今吾安くにか居りて可ならん。」張孟談曰く、「夫れ董閼安于は簡主の才臣なり、世々晉陽を治め、尹澤之に循う、其の餘の政教猶お存す、君其れ晉陽に居を定めよ。」君曰く、「諾。」乃ち延陵王をして車騎を將いて先に晉陽に之かしめ、君因りて之に從う。至りて、城郭を行り、府庫を案じ、倉廩を視、張孟談を召して曰く、「吾が城郭の完きこと、府庫の用に足ること、倉廩の實つること、矢無きは奈何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の垣、皆狄蒿苫楚を以て之を廧す、其の高さ丈餘に至る、君發して之を用いよ。」是に於て發して之を試むるに、其の堅きこと則ち箘簬の勁も過ぐる能わず。君曰く、「足れり、吾が銅少きこと若何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の室、皆鍊銅を以て柱質と爲す、請う發して之を用いば、則ち餘銅有らん。」君曰く、「善し。」號令以て定まり、備守以て具わる。三國の兵晉陽の城に乘り、遂に戰う。三月拔く能わず、因りて軍を舒べて之を圍み、晉水を決して之に灌ぐ。晉陽を圍むこと三年、城中巢居して處り、釜を懸けて炊ぎ、財食將に盡きんとし、士卒病み羸る。襄子張孟談に謂いて曰く、「糧食匱しく、城力盡き、士大夫病めり、吾守る能わず。城を以て下らんと欲す、何如。」張孟談曰く、「臣之を聞く、亡びて存する能わず、危うくして安んずる能わずんば、則ち知士を貴ぶ爲し無きなり。君此の計を釋てて、復言うこと勿かれ。臣請う韓・魏の君に見えん。」襄子曰く、「諾。」張孟談是に於て陰かに韓・魏の君に見えて曰く、「臣聞く、脣亡ぶれば則ち齒寒しと、今知伯二國の君を帥いて趙を伐つ、趙將に亡びんとす、亡ぶれば則ち二君之に次たらん。」二君曰く、「我其の然るを知る。夫れ知伯の人と爲り、麁中にして親しむこと少なし、我が謀未だ遂げずして知られなば、則ち其の禍必ず至らん、之を奈何せん。」張孟談曰く、「謀は二君の口より出でて、臣の耳に入る、人之を知る莫きなり。」二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と期して曰く、夜、遣りて晉陽に入らしめんと。張孟談以て襄子に報ず、襄子之に再拜す。張孟談因りて知伯に朝して出で、知過に轅門の外に遇う。知過入りて知伯に見えて曰く、「二主殆ど將に變有らんとす。」君曰く、「何如。」對えて曰く、「臣張孟談に轅門の外に遇う、其の志矜り、其の行高し。」知伯曰く、「然らず。吾二主と約すること謹めり、趙を破りて其の地を三分せば、寡人之を親しむ所なり、必ず欺かざらん。子之を釋てて、口より出だすこと勿かれ。」知過出でて二主に見え、入りて知伯に說きて曰く、「二主色動きて意變ず、必ず君に背かん、之を殺さしむるに如かず。」知伯曰く、「兵晉陽に箸くこと三年なり、旦暮に當に之を拔きて其の利を饗くべし、乃ち他心有らんや。不可なり、子愼みて復言うこと勿かれ。」知過曰く、「殺さずんば則ち遂に之に親しめ。」知伯曰く、「之に親しむこと奈何せん。」知過曰く、「魏宣子の謀臣を趙葭と曰い、康子の謀臣を段䂓と曰う、是れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約し、趙を破らば二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせよ、是の如くんば則ち二主の心變ぜざる可くして、君其の欲する所を得ん。」知伯曰く、「趙を破りて其の地を三分し、又二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせば、則ち吾が得る所少なし、不可なり。」知過君の用いざるを見るや、言いて聽かれず、出でて其の姓を更めて輔氏と爲し、遂に去りて見えず。張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰く、「臣知過に轅門の外に遇う、其の視るに臣を疑うの心有り、入りて知伯に見え、出でて其の姓を更む。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」襄子曰く、「諾。」張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰く、「夜堤を守るの吏を殺すことを期し、水を決して知伯の軍に灌がん。」知伯の軍水を救いて亂れ、韓・魏翼にして之を撃ち、襄子將卒其の前を犯し、大いに知伯の軍を敗りて知伯を禽う。知伯身死し、國亡び地分たれ、天下の笑いと爲る、此れ貪欲厭くこと無ければなり。夫れ知過に聽かざる、亦亡ぶる所以なり。知氏盡く滅び、唯輔氏のみ存す。
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『韓非子』十過第十然りと雖も、知伯の人と為りや、麤中にして親しむこと少なし。我謀りて覚らるれば、則ち其の禍必ず至らん。之を為すこと奈何せん」と。張孟談曰く、「謀は二君の口より出でて臣の耳に入る、人之を知る莫きなり」と。二君因りて張孟談と三軍の反を約し、之と日を期す。夜孟談を遣はして晋陽に入れ、以て二君の反を報ず。襄子孟談を迎へて之を再拝し、且つ恐れ且つ喜ぶ。二君約を以て張孟談を遣はし、因りて知伯に朝して出で、智過に轅門の外に遇ふ。智過其の色を怪しみ、因りて入りて知伯に見えて曰く、「二君の貌将に変有らんとす」と。君曰く、「何如」と。「其の行ひ矜にして意高く、他時の節に非ざるなり、君先んずるに如かず」と。君曰く、「吾二主と約すること謹めり、趙を破りて其の地を三分せんとす、寡人の之を親しむ所以なり、必ず侵欺せず。兵の晋陽に著くこと三年、今旦暮に将に之を抜きて其の利を嚮けんとす、何ぞ乃ち将に他心有らんや。必ず然らず。子釈きて憂ふる勿かれ、口に出だす勿かれ」と。明旦、二主又朝して出で、復た智過に轅門に見ゆ。智過入り見えて曰く、「君臣の言を以て二主に告げしか」と。君曰く、「何を以て之を知る」と。曰く、「今日二主朝して出で、臣を見て其の色動き、而して臣を視属す。此れ必ず変有らん、君之を殺すに如かず」と。君曰く、「子置きて復た言ふ勿かれ」と。智過曰く、「不可なり、必ず之を殺せ。若し殺すこと能はずんば、遂に之を親しめ」と。君曰く、「之を親しむこと奈何」と。智過曰く、「魏の宣子の謀臣を趙葭と曰ひ、韓の康子の謀臣を段規と曰ふ、此れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約し、趙国を破らば、因りて二子の者を封ずること各々万家の県一とせよ。是くの如くんば、則ち二主の心以て変ずる無かるべし」と。知伯曰く、「趙を破りて其の地を三分し、又二子の者を封ずること各々万家の県一とせば、則ち吾が得る所の者少なし。不可なり」と。
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『墨子』非攻中昔者、晉に六將軍有りて、智伯より强なるは莫し。其の土地の博く、人徒の衆きを計り、以て諸侯に抗し、以て英名を為さんと欲す。攻戰の速きに、故に其の爪牙の士を差論し、皆な舟車の衆を列ねて、以て中行氏を攻めて之を有つ。其の謀を以て既已に足れりと為し、又た兹の范氏を攻めて大いに之を敗り、三家を并せて以て一家と為すも止まず、又た趙襄子を晉陽に圍む。此くの若きに及べば、則ち韓・魏も亦た相い從いて謀りて曰く、「古者、語有り、脣亡ぶれば則ち齒寒しと。趙氏、朝に亡べば、我れ夕べに之に從わん。趙氏、夕べに亡べば、我れ朝に之に從わん。詩に曰く『魚は水を務めず、陸に將た何ぞ及ばんや』と」。是を以て三主の君、心を一にし力を戮せ、門を辟き道を除き、甲を奉じ士を興し、韓・魏は外自りし、趙氏は内自りして、智伯を擊ちて大いに之を敗る」と。
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