師導古典を学びたいすべての人に

韓非子 / 存韓第二

今以臣愚議,秦發兵而未名所伐,則韓之用事者以事秦爲計矣。臣斯請往見韓王,使來入見,大王見,因内其身而勿遣,稍召其社稷之臣,以與韓人爲市,則韓可深割也。因令象武發東郡之卒,闚兵於境上而未名所之,則齊人懼而從蘇之計,是我兵未出而勁韓以威擒,强齊以義從矣。聞於諸侯也,趙氏破膽,荆人狐疑,必有忠計。荆人不動,魏不足患也,則諸侯可蠶食而盡,趙氏可得與敵矣。願陛下幸察愚臣之計,無忽。秦遂遣斯使韓也。李斯往詔韓王,未得見,因上書曰:「昔秦、韓勠力一意,以不相侵,天下莫敢犯,如此者數世矣。前時五諸侯嘗相與共伐韓,秦發兵以救之。韓居中國,地不能滿千里,而所以得與諸侯班位於天下,君臣相保者,以世世相教事秦之力也。先時五諸侯共伐秦,韓反與諸侯先爲鴈行以嚮秦軍於關下矣。諸侯兵困力極,無柰何,諸侯兵罷。杜倉相秦,起兵發將以報天下之怨而先攻荆。荆令尹患之,曰:『夫韓以秦爲不義,而與秦兄弟共苦天下。已又背秦,先爲鴈行以攻關。韓則居中國,展轉不可知。』天下共割韓上地十城以謝秦,解其兵。

新字:今以臣愚議,秦発兵而未名所伐,則韓之用事者以事秦為計矣。臣斯請往見韓王,使来入見,大王見,因内其身而勿遣,稍召其社稷之臣,以与韓人為市,則韓可深割也。因令象武発東郡之卒,闚兵於境上而未名所之,則斉人懼而従蘇之計,是我兵未出而勁韓以威擒,強斉以義従矣。聞於諸侯也,趙氏破胆,荆人狐疑,必有忠計。荆人不動,魏不足患也,則諸侯可蠶食而尽,趙氏可得与敵矣。願陛下幸察愚臣之計,無忽。秦遂遣斯使韓也。李斯往詔韓王,未得見,因上書曰:「昔秦、韓勠力一意,以不相侵,天下莫敢犯,如此者数世矣。前時五諸侯嘗相与共伐韓,秦発兵以救之。韓居中国,地不能満千里,而所以得与諸侯班位於天下,君臣相保者,以世世相教事秦之力也。先時五諸侯共伐秦,韓反与諸侯先為鴈行以嚮秦軍於関下矣。諸侯兵困力極,無柰何,諸侯兵罷。杜倉相秦,起兵発将以報天下之怨而先攻荆。荆令尹患之,曰:『夫韓以秦為不義,而与秦兄弟共苦天下。已又背秦,先為鴈行以攻関。韓則居中国,展転不可知。』天下共割韓上地十城以謝秦,解其兵。

書き下し

今臣の愚議を以てすれば、秦兵を発して未だ伐つ所を名づけざれば、則ち韓の用事者は秦に事ふるを以て計と為さん。臣斯請ふ、往きて韓王に見え、来りて入見せしめん。大王見て、因りて其の身を内れて遣らず、稍く其の社稷の臣を召し、以て韓人と市を為さば、則ち韓深く割くべきなり。因りて象武をして東郡の卒を発し、兵を境上に闚はしめて未だ之く所を名づけざれば、則ち斉人懼れて蘇の計に従はん。是れ我が兵未だ出でずして勁韓は威を以て擒へられ、強斉は義を以て従ふなり。諸侯に聞こゆるや、趙氏は胆を破り、荊人は狐疑し、必ず忠計有らん。荊人動かざれば、魏は患ふるに足らざるなり、則ち諸侯蚕食して尽くすべく、趙氏与に敵するを得べし。願はくは陛下幸ひに愚臣の計を察し、忽せにする無かれ。秦遂に斯を遣はして韓に使ひせしむ。李斯往きて韓王に詔す、未だ見ゆるを得ず、因りて書を上りて曰く、「昔秦・韓は力を勠せ意を一にし、以て相侵さず、天下敢へて犯す莫し、此くの如き者数世なり。前時五諸侯嘗て相与に共に韓を伐つ、秦兵を発して以て之を救ふ。韓は中国に居り、地は千里に満つること能はず、而して諸侯と天下に班位し、君臣相保つを得る所以の者は、世世相教へて秦に事ふるの力を以てなり。先時五諸侯共に秦を伐つ、韓反りて諸侯と先に雁行を為し以て秦軍に関下に嚮ふ。諸侯の兵困しみ力極まり、奈何ともする無く、諸侯の兵罷む。杜倉秦に相たり、兵を起こし将を発して以て天下の怨みに報いて先づ荊を攻む。荊の令尹之を患へて曰く、『夫れ韓は秦を以て不義と為し、而して秦と兄弟となりて共に天下を苦しむ。已にして又秦に背き、先に雁行を為して以て関を攻む。韓は則ち中国に居り、展転して知るべからず』と。天下共に韓の上地十城を割きて以て秦に謝し、其の兵を解く。

現代語訳

いま私の愚見によれば、秦が兵を出して、どこを討つかを明らかにしなければ、韓の実権を握る者たちは秦に仕えることを得策と考えるだろう。私李斯が韓に行って韓王に会い、秦に来て拝謁するよう仕向けたい。大王が会われたら、そのまま身柄を留めて帰さず、少しずつ韓の社稷の重臣を呼び寄せて、韓の者たちと取引をすれば、韓から深く領土を割き取ることができる。あわせて将軍の象武に東郡の兵を出させ、国境で兵をちらつかせて行き先を明かさなければ、斉は恐れて蘇(荊蘇)の計略に従うだろう。こうすれば、わが兵が出ないうちに強い韓は威光で捕らえられ、強い斉は道義で従うことになる。このことが諸侯に伝われば、趙は肝をつぶし、楚は迷い、必ず秦に忠実な策をとるだろう。楚が動かなければ魏は恐れるに足らず、諸侯は蚕が桑を食うように少しずつ平らげることができ、趙とも互角に渡り合える。どうか陛下には私の計略をお察しいただき、おろそかになさらないでいただきたい。秦はそこで李斯を韓に使いさせた。李斯は韓に赴いて韓王に詔を伝えようとしたが会えず、そこで書を奉って言った。「昔、秦と韓は力を合わせ心を一つにして互いに侵さず、天下にあえて手出しする者はいなかった。こうした関係が数代続いた。以前、五つの諸侯が共に韓を討ったとき、秦は兵を出して救った。韓は中原にあって領土は千里に満たないのに、諸侯と並んで天下に地位を保ち、君臣が安泰でいられたのは、代々教え合って秦に仕えてきた力による。ところが先に五つの諸侯が共に秦を討ったとき、韓はかえって諸侯と共に先頭に並んで、函谷関の下で秦軍に向かってきた。諸侯の兵は苦しみ力尽き、どうしようもなくなって兵を引いた。杜倉が秦の宰相であったとき、兵を起こし将を出して天下への恨みを晴らそうと、まず楚を攻めた。楚の令尹はこれを憂えてこう言った。『韓は秦を不義だとしながら秦と兄弟となって共に天下を苦しめ、その後また秦に背いて先頭に立って関を攻めた。韓は中原にあって、どちらに転ぶか分からない』と。そこで天下は共に韓の上地の十城を割いて秦に謝罪し、秦の兵を解かせたのである。

解説

李斯が秦王に示した対韓策と、韓王に宛てた書の前半です。李斯は、行き先を明かさずに兵を動かして韓を脅し、韓王を秦に招いて留め置き、重臣と取引して領土を割かせるという、威圧と策略を組み合わせた手を献じます。続く韓王への書では、秦が韓を救ってきた恩と、韓が五国の連合に加わって秦に背いた過去を並べ、韓の裏切りを責めています。恩を数え上げてから裏切りを責めるのは、交渉で相手の負い目を突く典型的な話法です。交渉の場では、相手がこちらの過去の行動をどう記録し、どう使ってくるかを意識しておかなければなりません。

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる