韓非子 / 初見秦第一
然則是趙舉,趙舉則韓亡,韓亡則荆、魏不能獨立,荆、魏不能獨立,則是一舉而壞韓、蠹魏、挾荆,東以弱齊、燕,決白馬之口以沃魏氏,是一舉而三晉亡,從者敗也。大王垂拱以須之,天下編隨而服矣,霸王之名可成。而謀臣不爲,引軍而退,復與趙氏爲和。夫以大王之明,秦兵之强,弃霸王之業,地曾不可得,乃取欺於亡國,是謀臣之拙也。且夫趙當亡而不亡,秦當霸而不霸,天下固以量秦之謀臣一矣。乃復悉士卒以攻邯鄲,不能拔也,弃甲兵弩,戰竦而却,天下固已量秦力二矣。軍乃引而復,并於李下,大王又并軍而至,與戰不能尅之也,又不能反,軍罷而去,天下固量秦力三矣。内者量吾謀臣,外者極吾兵力。由是觀之,臣以爲天下之從,幾不難矣。内者,吾甲兵頓,士民病,蓄積索,田疇荒,囷倉虚;外者,天下皆比意甚固。願大王有以慮之也。
新字:然則是趙舉,趙舉則韓亡,韓亡則荆、魏不能独立,荆、魏不能独立,則是一舉而壊韓、蠹魏、挟荆,東以弱斉、燕,決白馬之口以沃魏氏,是一舉而三晋亡,従者敗也。大王垂拱以須之,天下編随而服矣,覇王之名可成。而謀臣不為,引軍而退,復与趙氏為和。夫以大王之明,秦兵之強,弃覇王之業,地曽不可得,乃取欺於亡国,是謀臣之拙也。且夫趙当亡而不亡,秦当覇而不覇,天下固以量秦之謀臣一矣。乃復悉士卒以攻邯鄲,不能抜也,弃甲兵弩,戦竦而却,天下固已量秦力二矣。軍乃引而復,并於李下,大王又并軍而至,与戦不能尅之也,又不能反,軍罷而去,天下固量秦力三矣。内者量吾謀臣,外者極吾兵力。由是観之,臣以為天下之従,幾不難矣。内者,吾甲兵頓,士民病,蓄積索,田疇荒,囷倉虚;外者,天下皆比意甚固。願大王有以慮之也。
書き下し
然らば則ち是れ趙挙がり、趙挙がれば則ち韓亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏独立すること能はず。荊・魏独立すること能はざれば、則ち是れ一挙にして韓を壊り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て斉・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に沃ぎ、是れ一挙にして三晋亡び、従者敗るるなり。大王垂拱して以て之を須たば、天下編随して服せん、覇王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た趙氏と和を為す。夫れ大王の明、秦兵の強きを以て、覇王の業を棄て、地曾て得べからず、乃ち亡国に欺かるるは、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙は亡ぶべくして亡びず、秦は覇たるべくして覇たらず、天下固より以て秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た士卒を悉くして以て邯鄲を攻むるも、抜くこと能はず、甲兵弩を棄て、戦竦して却く、天下固より已に秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて復り、李下に并せ、大王又軍を并せて至り、与に戦ひて之に克つこと能はず、又反ること能はず、軍罷れて去る、天下固より秦の力を量ること三なり。内は吾が謀臣を量り、外は吾が兵力を極む。是に由りて之を観れば、臣以為へらく、天下の従は、幾ど難からず。内は、吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚し。外は、天下皆比意甚だ固し。願はくは大王以て之を慮ること有れ。
現代語訳
そうなれば趙を取ることができ、趙を取れば韓は滅び、韓が滅びれば楚と魏は独り立ちできない。楚と魏が独り立ちできなければ、一挙にして韓を壊し、魏をむしばみ、楚を挟み込み、東では斉と燕を弱め、白馬の渡し口を切って水を魏に注ぎ込むことができる。これで一挙にして三晋は滅び、合従する者たちは敗れるのである。大王は手をこまねいて待っているだけで、天下は列をなして従い、覇王の名を成すことができた。ところが謀臣はそうせず、軍を引き揚げて再び趙と和睦した。大王の聡明さと秦兵の強さをもってしながら、覇王の事業を捨て、土地は少しも得られず、かえって亡びかけた国に欺かれたのは、謀臣の拙さである。しかも趙は滅びるはずなのに滅びず、秦は覇者となるはずなのになれなかった。これで天下は秦の謀臣の力量を見定めた。これが一つ目である。さらに士卒を総動員して邯鄲を攻めたが落とせず、鎧や武器や弩を捨て、戦いにおびえて退いた。これで天下は秦の力を見定めた。これが二つ目である。軍は引き返して李下に集結し、大王もまた軍を合わせて到着したが、共に戦っても勝てず、かといって引き返すこともできず、軍は疲れ果てて去った。これで天下は秦の力を見定めた。これが三つ目である。内にはわが謀臣の力量を見定められ、外にはわが兵力の限界を見極められた。このことから見れば、私は天下の合従はほとんど難しくないと考える。内では、わが軍は疲れ、士民は病み、蓄えは尽き、田畑は荒れ、穀倉は空である。外では、天下の諸侯はみな結束が非常に固い。どうか大王にはこのことをよくお考えいただきたい。
解説
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一天下又比周して華下に軍す。大王詔を以て之を破り、兵梁の郭下に至る。梁を囲むこと数旬なれば、則ち梁抜くべし。梁を抜けば、則ち魏挙ぐべし。魏を挙ぐれば、則ち荊・趙の意絶ゆ。荊・趙の意絶ゆれば、則ち趙危ふし。趙危ふくして荊狐疑す。東は以て斉・燕を弱め、中は以て三晋を凌ぐ。然らば則ち是れ一挙にして覇王の名成すべく、四隣の諸侯朝せしむべきなり。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た魏氏と和を為し、魏氏をして反りて亡国を収め、散民を聚め、社稷の主を立て、宗廟を置かしめ、天下を率ゐて西面して以て秦と難を為さしむ。此れ固より以て覇王の道を失ふこと二なり。前者穰侯の秦を治むるや、一国の兵を用ゐて両国の功を成さんと欲す。是の故に兵終身外に暴露し、士民内に疲病し、覇王の名成らず。此れ固より以て覇王の道を失ふこと三なり。趙氏は中央の国なり、雑民の居る所なり、其の民軽くして用ゐ難し。号令治まらず、賞罰信ならず、地形便ならず、下其の民力を尽くすこと能はず。彼は固より亡国の形なり、而るに民萌を憂へず、其の士民を悉くして長平の下に軍し、以て韓の上党を争ふ。大王詔を以て之を破り、武安を抜く。是の時に当たりてや、趙氏上下相親しまず、貴賤相信ぜず。然らば則ち邯鄲守らず。邯鄲を抜き、山東河間を筦め、軍を引きて去り、西のかた脩武を攻め、羊腸を踰え、代・上党を降す。代は三十六県、上党は十七県、一領の甲を用ゐず、一士民を苦しめずして、此れ皆秦の有なり。代・上党は戦はずして畢く秦と為り、東陽・河外は戦はずして畢く反りて斉と為り、中山・呼沲以北は戦はずして畢く燕と為る。
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『韓非子』初見秦第一一挙にして霸王の名成る可きなり、四隣の諸侯朝す可きなり。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た荆人と和を為す。荆人をして亡国を収め、散民を聚め、社稷の主を立て、宗廟を置き、天下を率いて西面して以て秦と難を為さしむ。此れ固より以て霸王の道を失うこと一なり。
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戦国策・秦一・張儀說秦王張儀秦王に說きて曰わく、「臣之を聞く、知らずして言うは不智と為し、知りて言わざるは不忠と為す。人臣為りて不忠なれば當に死すべく、言審らかならざるも亦た當に死すべし。然りと雖も、臣願わくは聞く所を悉く言わん、大王其の罪を裁せよ。臣聞く、天下陰かに燕、陽に魏、荊に連なり齊に固く、餘韓を收めて從を成し、將に西南して以て秦の難を為さんとすと。臣竊かに之を笑う。世に三亡有りて、天下之を得るは、其れ此の謂いか。臣之を聞きて曰わく、『亂を以て治を攻むる者は亡び、邪を以て正を攻むる者は亡び、逆を以て順を攻むる者は亡ぶ』と。今天下の府庫盈たず、囷倉空虛にして、其の士民を悉くし、軍を張ること數千百萬、白刃前に在り、斧質後に在れど、皆去りて走り、死する能わず、其の百姓死する能わざるを罪すと雖も、其の上殺す能わざるなり。賞を言えば則ち與えず、罰を言えば則ち行われず、賞罰行われず、故に民死せざるなり。「今秦號令を出だして賞罰を行い、攻不攻相い事とす。其の父母懷袵の中を出でて、生まれて未だ嘗て寇を見ざるも、戰を聞けば頓足徒裼し、白刃を犯し、煨炭を蹈み、死を前に斷つ者是に比す。夫れ死を斷ずると生を斷ずるとは同じからざるも、民之を為す者は是れ奮を貴べばなり。一以て十に勝つべく、十以て百に勝つべく、百以て千に勝つべく、千以て萬に勝つべく、萬以て天下に勝つべし。今秦の地形、長を斷ちて短を續ぎ、方數千里、名師數百萬、秦の號令賞罰、地形の利害、天下之に如くは莫し。此を以て天下と、天下兼ねて之を有つに足らず。是れ秦戰いて未だ嘗て勝たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、當たる所未だ嘗て破らずんばあらざるを知るなり。地を開くこと數千里、此れ甚だ大功なり。然れども甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虛しく、四鄰の諸侯服せず、伯王の名成らず。此れ異故無く、謀臣皆其の忠を盡くさざればなり。「臣敢えて往昔を言わん。昔者齊南は荊を破り、中は宋を破り、西は秦を服し、北は燕を破り、中は韓・魏の君を使い、地廣くして兵強く、戰勝攻取して天下に詔令し、濟清河濁、以て限と為すに足り、長城・鉅坊、以て塞と為すに足る。齊は五戰の國なるも、一戰勝たずして齊無し。故に此に由りて之を觀れば、夫れ戰は萬乘の存亡なり。「且つ臣之を聞きて曰わく、『株を削り根を掘れば、禍と鄰たること無く、禍乃ち存せず』と。秦荊人と戰い、大いに荊を破り、郢を襲い、洞庭・五都・江南を取る。荊王亡走し、東のかた陳に伏す。是の時に當たりて、荊に隨うに兵を以てせば、則ち荊舉ぐべし。荊を舉ぐれば、則ち其の民貪るに足り、地利するに足る。東は以て齊・燕を強くし、中は三晉を陵ぐ。然らば則ち是れ一舉にして伯王の名成すべく、四鄰の諸侯朝せしむべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、荊人と和せり。今荊人亡國を收め、散民を聚め、社主を立て、宗廟を置き、天下を帥いて西面して秦の難を為さしむ。此れ固に已に伯王の道無きこと一なり。天下志を比べて華下に軍す。大王詐を以て之を破り、兵梁郭に至り、梁を圍むこと數旬にして、則ち梁拔くべし。梁を拔けば、則ち魏舉ぐべし。魏を舉ぐれば、則ち荊・趙の志絕ゆ。荊・趙の志絕ゆれば、則ち趙危うし。趙危うくして荊孤なり。東は以て齊・燕を強くし、中は三晉を陵ぐ。然らば則ち是れ一舉にして伯王の名成すべく、四鄰の諸侯朝せしむべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、魏氏と和し、魏氏をして亡國を收め、散民を聚め、社主を立て、宗廟を置かしむ。此れ固に已に伯王の道無きこと二なり。前者穰侯の秦を治むるや、一國の兵を用いて、兩國の功を成さんと欲す。是の故に兵終身外に暴靈し、士民內に潞病し、伯王の名成らず。此れ固に已に伯王の道無きこと三なり。「趙氏は中央の國にして、雜民の居る所なり。其の民輕くして用い難く、號令治まらず、賞罰信ならず、地形便ならず、上其の民力を盡くす能わず。彼固より亡國の形なるも、民氓を憂えず、其の士民を悉くし、長平の下に軍し、以て韓の上黨を爭う。大王詐を以て之を破り、武安を拔く。是の時に當たりて、趙氏上下相親しまず、貴賤相信ぜず。然らば則ち是れ邯鄲守らず、邯鄲を拔き、河間を完うし、軍を引きて去り、西のかた脩武を攻め、羊腸を踰え、代・上黨を降す。代三十六縣、上黨十七縣、一領の甲を用いず、一民を苦しめず、皆秦の有なり。代・上黨戰わずして已に秦と為り、東陽河外戰わずして已に反りて齊と為り、中の呼池以北戰わずして已に燕と為らん。然らば則ち是れ趙を舉ぐれば則ち韓必ず亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏獨立する能わず。荊・魏獨立する能わざれば、則ち是れ一舉にして韓を壞り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て齊・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に流す。一舉にして三晉亡び、從者敗る。大王拱手して以て須てば、天下遍く隨いて伏し、伯王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、趙氏と和を為す。大王の明、秦兵の強きを以て、伯王の業、地尊きを得べからずして、乃ち亡國に欺かるるを取る、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙當に亡ぶべくして亡びず、秦當に伯たるべくして伯たらず、天下固より秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た卒を悉くして邯鄲を攻むるも、拔く能わず、甲兵を棄てて怒り、戰慄して卻く。天下固より秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて退き、李下に并す。大王又軍を并せて與に戰うに致すも、能く厚く之に勝つに非ず、又交ごも罷れて卻く。天下固より秦の力を量ること三なり。內には吾が謀臣を量り、外には吾が兵力を極む。是に由りて之を觀れば、臣天下の從を以て、豈其れ難からんや。內には吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虛し。外には天下志を比ぶること甚だ固し。願わくは大王以て之を慮る有れ。「且つ臣之を聞く、戰戰慄慄として、日に一日を慎むと。苟くも其の道を慎まば、天下有つべし。何を以て其の然るを知るや。昔者紂天子と為り、天下を帥いて甲百萬を將い、左は淇谷に飲み、右は洹水に飲み、淇水竭きて洹水流れずして、以て周武の難を為す。武王素甲三千領を將い、戰うこと一日にして、紂の國を破り、其の身を禽にし、其の地に據りて、其の民を有つも、天下傷まざるは莫し。智伯三國の眾を帥い、以て趙の襄主を晉陽に攻め、水を決して之に灌ぎ、三年にして、城且に拔けんとす。襄主龜を錯き、策を數え兆を占い、以て利害を視、何れの國か降すべきかを、張孟談をして使いせしむ。是に於いて潛かに行きて出で、智伯の約に反き、兩國の眾を得て、以て智伯の國を攻め、其の身を禽にし、以て襄子の功を成す。今秦の地、長を斷ちて短を續ぎ、方數千里、名師數百萬、秦國の號令賞罰、地形の利害、天下之に如くは莫し。此を以て天下と、天下兼ねて之を有つべし。「臣死を昧して大王に見えんことを望み、天下の從を舉げ破り、趙を舉げ韓を亡ぼし、荊・魏を臣とし、齊・燕を親しみ、以て伯王の名を成し、四鄰の諸侯を朝せしむるの道を言う所以なり。大王試みに其の說を聽くに、一舉にして天下の從破れず、趙舉がらず、韓亡びず、荊・魏臣とせられず、齊・燕親しまず、伯王の名成らず、四鄰の諸侯朝せずんば、大王臣を斬りて以て國に徇え、以て主の為に謀りて不忠なる者とせよ。」
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『韓非子』存韓第二夫れ進みて趙を撃ちて取ること能はず、退きて韓を攻めて抜くこと能はざれば、則ち陥鋭の卒は野戦に懃み、負任の旅は内攻に罷れ、則ち群苦弱を合はせて以て敵して二万乗を共にす、韓を亡ぼすの心に非ざる所以なり。均しく貴臣の計の如くんば、則ち秦必ず天下の兵質と為らん。陛下金石と相弊すると雖も、則ち天下を兼ぬるの日未だし。今賤臣の愚計は、人をして荊に使ひせしめ、用事の臣に幣を重くし、趙の秦を欺く所以の者を明らかにし、魏と質して以て其の心を安んじ、韓を従へて趙を伐たば、趙斉と一と為ると雖も、患ふるに足らざるなり。二国の事畢はらば、則ち韓は書を移して以て定むべきなり。是れ我一挙にして二国亡形有り、則ち荊・魏又必ず自ら服せん。故に曰く、「兵は、
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戦国策・謂秦王秦王に謂ひて曰く、「臣竊かに王の齊を輕んじ楚を易んじて、韓を卑しみ畜ふを惑ふ。臣聞く、王者は兵勝ちて驕らず、伯主は約して忿らず、と。勝ちて驕らざれば、故に能く世を服せしめ、約して忿らざれば、故に能く鄰に從はしむ。今王、德を魏・趙に廣くして、齊を輕々しく失ふは驕なり。宜陽に戰ひ勝ちて、楚との交はりを恤へざるは忿なり。驕忿は伯主の業に非ざるなり。臣竊かに大王の為に之を慮りて取らざるなり。「詩に云ふ、『初有らざる靡く、克く終ふる有ること鮮し』と。故に先王の重んずる所の者は、唯だ始めと終はりとのみ。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤、范・中行を殘し、晉陽を圍逼して、卒に三家の笑ひと為れり。吳王夫差、越を會稽に棲ましめ、齊に艾陵に勝ち、黃池の遇を爲し、宋に無禮にして、遂に勾踐と禽にせられ、干隧に死せり。梁君、楚を伐ちて齊に勝ち、趙・韓の兵を制し、十二諸侯を驅りて天子に孟津に朝せしめしも、後に子死して、身は布冠して秦に拘せらる。三者は功無きに非ざるなり、能く始めて能く終はらざるなり。「今王、宜陽を破り、三川を殘して、天下の士をして敢へて言はざらしめ、天下の國を雍ぎ、兩周の疆を徙して、世主をして敢へて陽侯の塞に交はらざらしめ、黃棘を取りて、韓・楚の兵をして敢へて進まざらしむ。王若し能く此の尾を為さば、則ち三王も四に足らず、五伯も六に足らず。王若し能く此の尾を為す能はずして、後患有らば、則ち臣恐らくは諸侯の君、河・濟の士、王を以て吳・智の事と為さんことを。「詩に云ふ、『百里を行く者は九十を半ばとす』と。此れ末路の難きを言ふなり。今大王皆な驕色有り、臣の心を以て之を觀るに、天下の事、世主の心に依らば、楚兵を受くるに非ざれば、必ず秦なり。何を以て其の然るを知るや。秦人は魏を援けて以て楚を拒み、楚人は韓を援けて以て秦を拒み、四國の兵敵して、未だ復た戰ふ能はざるなり。齊・宋は繩墨の外に在りて以て權を為す、故に曰く、先に齊・宋を得る者は秦を伐つ、と。秦先に齊・宋を得れば、則ち韓氏鑠け、韓氏鑠くれば、則ち楚孤にして兵を受く。楚先に齊を得れば、則ち魏氏鑠け、魏氏鑠くれば、則ち秦孤にして兵を受けん。若し此の計に隨ひて之を行はば、則ち兩國なる者必ず天下の笑ひと為らん。」
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