韓非子 / 初見秦第一
秦與荆人戰,大破荆,襲郢,取洞庭、五渚、江南,荆王君臣亡走,東服於陳。當此時也,隨荆以兵,則荆可舉;荆可舉,則其民足貪也,地足利也,東以弱齊、燕,中以凌三晋。然則是
新字:秦与荆人戦,大破荆,襲郢,取洞庭、五渚、江南,荆王君臣亡走,東服於陳。当此時也,随荆以兵,則荆可舉;荆可舉,則其民足貪也,地足利也,東以弱斉、燕,中以凌三晋。然則是
書き下し
秦、荊人と戦ひ、大いに荊を破り、郢を襲ひ、洞庭・五渚・江南を取り、荊王君臣亡走し、東のかた陳に服す。此の時に当たりてや、荊に随ふに兵を以てすれば、則ち荊挙ぐべし。荊挙ぐべければ、則ち其の民貪るに足り、地利するに足るなり。東は以て斉・燕を弱め、中は以て三晋を凌ぐ。然らば則ち是れ
現代語訳
秦は楚(荊)と戦って大いに破り、都の郢を襲い、洞庭・五渚・江南を奪った。楚王とその臣下は逃げ出し、東の陳に身を寄せた。このとき兵を差し向けて楚を追撃していれば、楚は攻め取ることができた。楚を取れば、その民は手に入れる価値があり、土地も利益になる。東では斉と燕を弱め、中原では韓・魏・趙の三晋をしのぐことができた。そうであるならば、これは(一挙にして覇王の名を成せる機会だったのである)。
解説
秦が楚の都の郢を落とし、楚王が陳へ逃れた出来事を挙げ、そのとき追撃していれば楚を丸ごと取れたと惜しむ一節です。紀元前278年に秦の白起が郢を攻略した史実が背景にあります。韓非は、勝ちに乗じて一気に決着をつけるべき場面で手を緩めたことを、秦が覇業を逃した一つ目の失策として数えていきます。文は「然則是」で途切れ、続きは既存の章句にあります。仕事でも、競合が弱った瞬間や交渉で優位に立った瞬間を見送ると、相手は立ち直り、同じ好機は二度と来ないことがあります。好機を見極め、決めるべきときに決め切る判断力が問われています。
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一一挙にして霸王の名成る可きなり、四隣の諸侯朝す可きなり。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た荆人と和を為す。荆人をして亡国を収め、散民を聚め、社稷の主を立て、宗廟を置き、天下を率いて西面して以て秦と難を為さしむ。此れ固より以て霸王の道を失うこと一なり。
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『韓非子』初見秦第一然らば則ち是れ趙挙がり、趙挙がれば則ち韓亡び、韓亡ぶれば則ち荊・魏独立すること能はず。荊・魏独立すること能はざれば、則ち是れ一挙にして韓を壊り、魏を蠹み、荊を挾み、東は以て斉・燕を弱め、白馬の口を決して以て魏氏に沃ぎ、是れ一挙にして三晋亡び、従者敗るるなり。大王垂拱して以て之を須たば、天下編随して服せん、覇王の名成すべし。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た趙氏と和を為す。夫れ大王の明、秦兵の強きを以て、覇王の業を棄て、地曾て得べからず、乃ち亡国に欺かるるは、是れ謀臣の拙なり。且つ夫れ趙は亡ぶべくして亡びず、秦は覇たるべくして覇たらず、天下固より以て秦の謀臣を量ること一なり。乃ち復た士卒を悉くして以て邯鄲を攻むるも、抜くこと能はず、甲兵弩を棄て、戦竦して却く、天下固より已に秦の力を量ること二なり。軍乃ち引きて復り、李下に并せ、大王又軍を并せて至り、与に戦ひて之に克つこと能はず、又反ること能はず、軍罷れて去る、天下固より秦の力を量ること三なり。内は吾が謀臣を量り、外は吾が兵力を極む。是に由りて之を観れば、臣以為へらく、天下の従は、幾ど難からず。内は、吾が甲兵頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚し。外は、天下皆比意甚だ固し。願はくは大王以て之を慮ること有れ。
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『韓非子』初見秦第一天下又比周して華下に軍す。大王詔を以て之を破り、兵梁の郭下に至る。梁を囲むこと数旬なれば、則ち梁抜くべし。梁を抜けば、則ち魏挙ぐべし。魏を挙ぐれば、則ち荊・趙の意絶ゆ。荊・趙の意絶ゆれば、則ち趙危ふし。趙危ふくして荊狐疑す。東は以て斉・燕を弱め、中は以て三晋を凌ぐ。然らば則ち是れ一挙にして覇王の名成すべく、四隣の諸侯朝せしむべきなり。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た魏氏と和を為し、魏氏をして反りて亡国を収め、散民を聚め、社稷の主を立て、宗廟を置かしめ、天下を率ゐて西面して以て秦と難を為さしむ。此れ固より以て覇王の道を失ふこと二なり。前者穰侯の秦を治むるや、一国の兵を用ゐて両国の功を成さんと欲す。是の故に兵終身外に暴露し、士民内に疲病し、覇王の名成らず。此れ固より以て覇王の道を失ふこと三なり。趙氏は中央の国なり、雑民の居る所なり、其の民軽くして用ゐ難し。号令治まらず、賞罰信ならず、地形便ならず、下其の民力を尽くすこと能はず。彼は固より亡国の形なり、而るに民萌を憂へず、其の士民を悉くして長平の下に軍し、以て韓の上党を争ふ。大王詔を以て之を破り、武安を抜く。是の時に当たりてや、趙氏上下相親しまず、貴賤相信ぜず。然らば則ち邯鄲守らず。邯鄲を抜き、山東河間を筦め、軍を引きて去り、西のかた脩武を攻め、羊腸を踰え、代・上党を降す。代は三十六県、上党は十七県、一領の甲を用ゐず、一士民を苦しめずして、此れ皆秦の有なり。代・上党は戦はずして畢く秦と為り、東陽・河外は戦はずして畢く反りて斉と為り、中山・呼沲以北は戦はずして畢く燕と為る。
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『韓非子』初見秦第一臣敢へて之を言はん。往者斉は南のかた荊を破り、東のかた宋を破り、西のかた秦を服し、北のかた燕を破り、中は韓・魏を使ひ、土地広くして兵強く、戦へば克ち攻むれば取り、天下に詔令す。斉の清済濁河は、以て限りと為すに足り、長城巨防は、以て塞と為すに足る。斉は五戦の国なり、一戦克たずして斉無し。此に由りて之を観れば、夫れ戦ひは、万乗の存亡なり。
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史記 白起王翦列伝王翦果たして李信に代はりて荊を撃つ。荊国中の兵を悉くして以て秦を拒む。王翦至り、壁を堅くして之を守り、戦ふを肯ぜず。荊兵数々出でて挑戦するも、終に出でず。王翦日々士を休め洗沐せしめ、善く飲食して之を撫循し、親ら士卒と食を同じくす。之を久しくして、王翦人をして軍中に戯るるかを問はしむ。対へて曰く、「方に石を投じ距を超ゆ」と。是に於いて王翦曰く、「士卒用ふ可し」と。荊数々挑戦して秦出でず、乃ち引きて東す。翦因りて兵を挙げて之を追ひ、壮士をして撃たしめ、大いに荊軍を破る。蘄南に至り、其の将軍項燕を殺し、荊兵遂に敗走す。歳余にして、荊王負芻を虜にし、竟に荊地を平らげて郡県と為す。
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『韓非子』初見秦第一今秦の地は長きを折りて短きを補へば、方数千里、名師数十百万。秦の号令賞罰、地形利害、天下若くもの莫きなり。此を以て天下に与すれば、天下兼ねて有つに足らざるなり。是の故に秦戦ひて未だ嘗て克たずんばあらず、攻めて未だ嘗て取らずんばあらず、当たる所未だ嘗て破らずんばあらず、地を開くこと数千里、此れ其の大功なり。