韓非子 / 初見秦第一
一舉而霸王之名可成也,四鄰諸侯可朝也,而謀臣不爲,引軍而退,復與荆人爲和。令荆人得收亡國,聚散民,立社稷主,置宗廟,令率天下西面以與秦爲難。此固以失霸王之道一矣。
新字:一舉而覇王之名可成也,四鄰諸侯可朝也,而謀臣不為,引軍而退,復与荆人為和。令荆人得収亡国,聚散民,立社稷主,置宗廟,令率天下西面以与秦為難。此固以失覇王之道一矣。
書き下し
一挙にして霸王の名成る可きなり、四隣の諸侯朝す可きなり。而るに謀臣為さず、軍を引きて退き、復た荆人と和を為す。荆人をして亡国を収め、散民を聚め、社稷の主を立て、宗廟を置き、天下を率いて西面して以て秦と難を為さしむ。此れ固より以て霸王の道を失うこと一なり。
現代語訳
一挙に覇王の名を成し、周囲の諸侯を朝貢させることができた。それなのに謀臣たちは実行せず、軍を引いて退き、また楚と和睦した。そのため楚は滅びかけた国を立て直し、散った民を集め、社稷の主を立て、宗廟を置き、天下を率いて西を向き秦と敵対することになった。これがもとより覇王の道を失った第一である。
解説
勝ち切らずに退いたことの代償が、時系列で並べられている。相手は国を立て直し、民を集め、体制を整え、やがて敵の中心になった。とどめを刺さなかった一度の判断が、後の最大の脅威を育てたという構図である。韓非子はこれを「霸王の道を失った第一」と数え、この後も二、三と続けていく。番号を振って失敗を数え上げる書き方に、冷徹さがある。事業の競争でも同じことが起きる。優位に立った局面で決着をつけず、和解や共存を選ぶ。その判断自体は穏当だが、相手に立て直す時間を与えることでもある。決着をつけるべき場面と、共存してよい場面の区別は難しい。ただ、退いた後に相手がどう回復するかまで見積もっているかどうかは、判断の質を分ける。
この章句が説くこと
決着機会損失退却戦略的決断回復実行力
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