太上感応篇 / 悪行・人を辱めて勝ちを求む
侵人所愛,助人為非;逞志作威,辱人求勝;敗人苗稼,破人婚姻;苟富而驕,苟免無恥;
書き下し
人の愛する所を侵し、人の非を為すを助く。志を逞しくして威を作し、人を辱めて勝ちを求む。人の苗稼を敗り、人の婚姻を破る。苟くも富みて驕り、苟くも免れて恥無し。
現代語訳
人が大切にしているものを侵し、人が悪事をするのを手助けします。思うままに威張り散らし、人をはずかしめて勝とうとします。人の作物を台なしにし、人の縁組をこわします。たまたま富めば驕り、たまたま罰を免れれば恥じるところがありません。
解説
勝ち方の悪さを並べた段です。逞志作威と辱人求勝が対になっていて、どちらも自分の力を人に思い知らせることが目的になっています。勝つために辱めるのではなく、辱めることが勝ちだと感じている状態です。敗人苗稼は作物を荒らすことで、農を根に置く社会では生活そのものを断つ行いでした。末尾の二句は、たまたま手に入れた結果を自分の実力だと思い込む姿を突いています。苟富而驕は運よく富んで驕ること、苟免無恥は運よく罰を逃れて恥じないこと。うまくいった理由を正しく見ていない人は、同じやり方で必ずもう一度転びます。
この章句が説くこと
侮辱驕り勝ち方僥倖恥
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