呻吟語 / 内篇・談道・只だ我無くんば、便ち是れ天清地寧
世之治亂,國之存亡,民之死生,只是個我心作用。只無我了,便是天清地寧、民安物阜世界。
新字:世之治乱,国之存亡,民之死生,只是個我心作用。只無我了,便是天清地寧、民安物阜世界。
書き下し
世の治亂、國の存亡、民の死生は、只だ是れ個の我が心の作用なり。只だ我無くんば、便ち是れ天清地寧、民安物阜の世界なり。
現代語訳
世が治まるか乱れるか、国が残るか滅ぶか、民が生きるか死ぬかは、ただ自分の心のはたらき次第です。我さえ無くなれば、そのまま天は澄み地は安らかで、民が安んじ物が豊かな世界になります。
解説
前の段の相責各尽を、さらに内側へ掘った一段です。責め合いが起きるのは、我という中心があるからで、その一点さえ消えれば世は自ずと澄む、と。国の存亡まで一人の心に帰すのは飛躍に見えますが、呂坤は役人として現場を見た人です。政の乱れがどこから始まるかを知っていたからこそ、こう書けたと読めます。世を憂える前に、まず自分の一点を見よということです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
我無私治乱心世界
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