囲炉夜話 / 第百七十六則・塵世の間已に天堂地獄を分かつ
作善降祥,不善降殃,可見塵世之間,已分天堂地獄。 人同此心,心同此理,可知庸愚之輩,不隔聖域賢關。
新字:作善降祥,不善降殃,可見塵世之間,已分天堂地獄。 人同此心,心同此理,可知庸愚之輩,不隔聖域賢関。
書き下し
善を作せば祥を降し、不善には殃を降す、見る可し塵世の間、已に天堂地獄を分かつを。 人此の心を同じくし、心此の理を同じくす、知る可し庸愚の輩も、聖域賢關を隔てざるを。
現代語訳
善を行えば幸いが降り、善くないことを行えば災いが降ると言います。このことから、この世の中ですでに天国と地獄が分かれていることが分かります。人はみな同じこの心を持ち、心はみな同じこの理を持っていると言います。このことから、平凡で愚かな人々も、聖人や賢人の境地から隔てられてはいないことが分かります。
解説
二つの古い言葉から、希望のある結論を導く対句です。上の句は『書経』伊訓の「善を作せば之に百祥を降し、不善を作せば之に百殃を降す」を踏まえ、天国や地獄を死後に求めなくても、善悪の報いはこの世ですでに分かれていると言います。下の句は、宋の陸九淵の「人は此の心を同じくし、心は此の理を同じくす」を踏まえます。聖域賢関とは、聖人や賢人の境地に入る門のことです。誰もが同じ心と理を持つ以上、凡人にもその門は閉ざされていないと言います。善を行う理由と、それが誰にでもできるという可能性の両方を与えている句です。
この章句が説くこと
因果善悪聖賢修身陸九淵
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